渡る世間に仕立て屋あり

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  狩りはベルサイユで  


その日の朝がやってきた。
拝謁用のよそ行きを着たボナシューは、手には大きな包みを抱えて
フォッソワイユール通りの家を出た。
「さあ、出発しよう」
晴れ渡った空に、雲雀の影が二三羽横切っていた。
「ボナシューさん。今日は天気だよ」
宮廷用のかつらをかぶり、靴を履いたジャンも空を仰ぎながら後に続く。
二人はお召し馬車に乗り込んだ。
「ダルタニャン、お父さんをお願いね」
「ああ」
コンスタンスが戸口で見送ると、ロシナンテに乗ったダルタニャンは帽子を振って挨拶した。
宮廷の御者が鞭をひと当てすると、馬車は軽快に走りはじめた。

パリから20km離れた寒村ベルサイユに、小高い丘と森林に囲まれた、すり鉢状の低地にルイ13世が造らせた
狩猟用の宿舎があった。そのこじんまりとした城館は、二棟の翼と白壁と青いスレート屋根を持ち「カルタの城」と呼ばれていた。
朝早くからお供の貴族たちや猟犬がぞくぞくと城館の前に集まりつつあった。
辺りに霧が立ち込め、狩猟用の角笛が木々の間からこだました。

「いかがです。陛下」
ペルスランは、華やかな襞レースの白い襟のいでたちで、国王のお召替えに参上した。
「フランドル製のレースの特級品です。陛下がお好みの白いレース襟を、さらに華麗にしてみました」
「ほう」
ルイ十三世は満足そうに鏡の前に立った。
「もう、スペイン風の服は時代遅れです。これからはフランス宮廷が、つまり陛下がヨーロッパの流行を牽引するお立場です。宮廷はひとつの劇場で陛下は世界の中心でございます」ペルスランは厳かに言葉を続けた。
「あまりに重厚な刺繍は避け、古代の英雄のように、軽快な絹織物で風にそよぐ感じを出しました。狩りでありますれば、やはり廷臣からはひときわ目立つ方がよろしく思われます」
「なるほど、豪華だな」
青い豊かなドレープをとった上着は、真っ白で繊細なレース襟が肩の所に垂れ下がり、金糸の房飾りが袖にあしらわれていた。その裾から赤い光沢のある乗馬用の半ズボンがのぞいていた。
「素晴らしい。さすがペルスランだ。さて、馬にひと乗りしてこよう」
ルイ十三世はテラスから外に出ようとした。
「陛下お待ちください」
リシュリューがそれをとどめた。
「お目にかけたいものがございます」
リシュリューが目配せで合図をすると、侍従が肖像画を携えて入室してきた。
「ザクセン選挙候の第三皇女マグダレーナ・ジュビレ姫の肖像画をお持ちしました。王弟殿下の後妻にと思いましたが、陛下にまずご覧いただこうかと……」
金の額縁で縁取られた、大きさの異なる三枚の肖像画には、薔薇色の頬のふくよかなブロンドの王女の姿が生き生きと写し出されていた。
「美しい乙女だな」
ルイ十三世は顔を近づけてしげしげと眺めた。
「はい。美しく慎み深いと噂の王女でございます。ザクセンのアルベルティン家は伝統的に多産の家系でございまして、さらに男の子の誕生が多うございます。ガストン殿下には姫はいても、男の子はおりませぬゆえ……」
リシュリューはニヤリとして国王の顔をみた。
「ふむ」
国王の顔にちらりと焦燥の影が走ったのを、リシュリューは抜け目なく見届けた。
「何の話をしているのですか。陛下」
そのとき、いきなり扉が開いてアンヌ王妃が入って来た。
「おお、アンヌか。来るとは知らなかった」
ルイ十三世とリシュリューは狼狽しながら、肖像画の前に立った。
「何か良からぬ胸騒ぎがしたものですから」
アンヌ王妃はちらりと王女の肖像画に目を留めた。
「どうしたのです?その肖像画は?」
「いえ、王弟殿下の後妻候補でございます」リシュリューは目を伏せて答えた。
「あら、可愛らしいこと。まるで娘のような妹ができるなんて嬉しいですわ」
王妃はどこか抑揚のない言い回しで言った。
「それよりも王妃。どうしたのだ。今日はいつもと何か違う」
国王は王妃をしげしげと眺めた。
「ちょっと髪型と化粧を替えてみましたの。コンスタンスが考えてくれましたのよ。ちょっと露出が多いかしらと思ったのですけど……」
ルイ十三世の目は、王妃の滑らかなデコルテとそこからちらりとのぞく胸の線に釘付けになった。
「陛下はお気に召しました?」
国王が気をとられている間にリシュリューがコホンと咳をした。
「陛下、狩りの犬を庭で待たせてあります。どうぞおはじめくださいますよう」
国王は意気揚々とペルスランの服を着て外に出た。

霧が晴れていき、木々のあいだから、陽光が差し込み始めた。
狩りの犬たちはさかんに吠えながら角笛を合図に走り出し、
伴の貴族たちは、しきりに国王の新しい衣装をほめそやした。
午前中に国王は、鹿1頭と雉2羽をしとめて、満足しながら昼食の時間になった。

「午後からは、ボナシューの衣装でございます」
廷臣がうやうやしく天幕を上げると、お召し替えをしたルイ十三世がそこから出てきた。
「ペルスランと比べるとずいぶん地味だな」
ボナシューの服を着た国王は鏡の前に立った。
「陛下。狩りは動きやすいように、必要のない装飾は省きました」
ボナシューは目を伏せて答えた。
「若干スペイン風で重重しく思われるが」
「生地はフィレンツェ産の絹織物で大変丈夫でございます。簡素なように見えますが、馬に乗った際に鮮やかな色の裏地が見えるようにしました」
小さな白い襟が首元に回り、細かな刺繍のある淡い光沢の黒の上着は、袖が細身に作られ、その端から鮮やかな紫の裏地がのぞいていた。同色の黒い半ズボンは、よくなめした黒の長靴のなかにたくし込まれていた。
「色を黒にしたのは、王者の威厳をひきたたせるためです。陛下のお人そのものに威光がございますから、服は単なる引き立て役にすぎません」
「なるほど」
ルイ十三世は髭をなでた。
「この勝負、甲乙つけがたいな」
午後の鷹狩りが始まった。

「おや、あの素晴らしく獲物をしとめる大鷹は何という」
鷹狩りを騎馬で眺めていた国王が尋ねると、鷹匠はその前に歩み出た。
「イギリス国王チャールズ一世からの贈り物でございます。名前はサンダースでございます」
「素晴らしい鷹だ。どうすればこのような鷹を育てられるのか」
国王は獰猛な目つきをした毛並みのよい大鷹をほれぼれと見つめた。
「亡きバッキンガム公が丹精込めて育てました」
「バッキンガム……」
その名前を聞くと、ルイ十三世の顔が曇った。
リシュリューは、小声で鷹匠を呼び付けた。
「王妃の前でこの忘れ形見の鷹を見せるがよい。どんな顔をするものか」
「はい、猊下」

「サンダース!こっちへ」
鷹匠は手を打って鷹を呼ぼうとした。
しかし、サンダースはその声を聞かずに、木の幹の上のリスめがけて急降下した。
リスは必死でサンダースに抵抗しながら、木の葉をゆらし、
国王が乗る葦毛の馬の前に、栗のイガがぽとんと落ちた、
馬は気づかずに、そのイガを力いっぱい前足で踏みつけた。
「ヒヒーン!!!」
馬は、急に後ろ脚で飛び上がると、高くいなないた。
「陛下!」
そして、そのままルイ十三世を乗せたまま、狂ったように走りはじめた。
「おい、ジュサックはどこだ!護衛隊長を呼んで来い!」
リシュリューは顔色を変えて叫んだ。
「トレヴィル殿!大変です!」
慌てて駆け付けたトレヴィルが馬に拍車を入れてその後を追う。

「あ、あそこは藪の中だ!」
ルイ十三世を乗せた馬は、暴れながら走り回り、目の前にうっそうと茂る藪の中に突っ込んでいった。
「陛下をお護りしろ!」
トレヴィルの馬もそれを追いかけ藪のなかに突っ込んだ。
「陛下!!」

藪のなかから出てきた馬は、ついに泡を吹きその場に倒れ込んだ。
「陛下、ご無事で!」
トレヴィルは馬から降りて国王を助け起こした。
茨の棘や、小さな小枝、ヒイラギの葉など、服に突き刺さっていたものを払うと、国王はゆっくりと立ち上がった。
「陛下!陛下!お怪我はございませんか?」
アンヌ王妃が金切声をあげて駆け付けた。
「私は大丈夫だ。皆の者安心するがよい」
国王は落ち着き払って答えた。
「それよりもこの服……」
ルイ十三世は、ボナシューの衣装をまじまじと見た。
「不思議だ。藪の中でも痛くもなかった。破れもしない」

「どういうことだ。ボナシュー」
ボナシューはおそるおそる前に進み出た。
「裏地を二重にいたしました。あと陛下は右利きとお見受けいたし、お倒れあそばせるときは右からと思い、右半分を三重にしてあります」
「なるほど、服とは人を守るもの、だな……」
国王は、ボナシューの方をそっとふり向いて微笑んだ。
「そちの真心、しかと受け取ったぞ」
「ありがたきお言葉にございます。陛下」
ボナシューは頭を深々と下げて退出した。

「リシュリューよ」
国王は、青ざめた顔で顛末を見ていた枢機卿のもとに行くと、厳かな声で命令した。
「戦争が間近に迫った今となっては、衣装ごときで贅沢をしていられんな。私も出陣する。奢侈禁止令を出して、しばらく質素倹約につとめよ」
「はは、陛下」
リシュリューは力ない声で頭を下げた。
「陛下、陛下。どうかお傷を見せてくださまし」
アンヌ王妃が、自ら湯の入った銀の桶を持って国王を追った。
「はは。このくらい戦争に出陣することに比べたらたいしたことない。そんなに心配するな。王妃よ」
「だって、陛下……」
アンヌ王妃は顔を覆った。
「泣くな、泣くでない。アンヌよ。せっかくの化粧が落ちるではないか」
国王は王妃の手を取った。
「今日のそなたはいつもよりもまして美しい。今宵はパリに戻らず、この城館で二人で過ごそうぞ」
ルイ十三世は王妃の腕をとった。
そして二人で腕を組みながら、ベルサイユの城館の廊下を歩いて行った。


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