渡る世間に仕立て屋あり

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  王様の仕立て屋  


パリの街並みが夕焼け色に染まるころ、
ボナシューとジャンは二人で歩いて帰路についていた。
長く伸びた二人の影が石畳に重なる。
「あーあ。宮廷は窮屈だったよ」
ジャンは三つ編みのかつらを脱ぎ捨てると、髪の毛を左右に振った。
「こんなかつら、かぶんないといけないなんてさ」
「ははは。たまにはいいだろう」
ボナシューは隣で笑った。
「あのね、親方」
ジャンはふと足を止めて、ボナシューの方に向き直った。
「おいら仕立て屋になりたい」
「ジャン……」
「だからお願いだ。おいらに服の作り方教えてください」
ボナシューはしばらく途方に暮れていたが、やがてにっこりとほほ笑むとジャンの肩を叩いた。
「少なくとも十年間は修業だ。覚えることいっぱいあって大変だぞ」
「いいんだ。親方みたいな服、作るんだ」
ジャンはボナシューを見上げながら言った。
「……だっておいらのお師匠はパリ一の仕立て屋だもん」
ボナシューは、ジャンの頭をくしゅくしゅと撫でた。
「こらこら、調子に乗るんじゃないぞ」
フォッソワイユール通りに二人の笑い声がこだました。

トレヴィル殿の館にある銃士隊の控室では。
「おい、みんないるか?」
アトスが機嫌よく入ってくると、テーブルの上に重い白い小さな袋を投げ出した。
「聞いてくれ。賭けで40ピストール手に入れた」
アトスは、袋から金貨をじゃらじゃら出すと、几帳面な手つきでその山をきれいに四等分した。
「つまり、我々四人で四等分すればひとりあたり10ピストール。なあに、ラ・ロシュルまでの遠征費の足しになろう」
「いいのか。アトス」
ダルタニャンは尋ねた。
「もちろんだ。使ってくれ」
アトスは鷹揚に答えた
「しかし、アトス。そこまでして遠征費を稼がなくても、君の実家は確かロワールの名家……」
金貨の山を前にしたポルトスは、受け取るのに躊躇しながら言った。
「僕の家がどうであろうと、借り物の翼なぞ使いたくなかったのさ」
アトスは懐から白い手紙を取り出した。
そして勢いよくびりびりと破ると窓から捨てた。
小さな紙片が風に舞ってちらちらと飛んで行った。

「ボナシューさんの健康を祝して乾杯〜!」
日曜日のフォッソワイユール通りのボナシュー宅では、皆集まっての
昼食会が催されていた。
マルトが、ぐつぐつ煮えているパセリの入った鳥の内臓煮込みを取り出して暖炉からテーブルの上に置いた。
「さあ、皆さん召し上がれ」
「いっただきます〜」
「皆さん協力してくれてありがとう。心ばかりのお礼です」
ボナシューは集まった皆を見回した。
「いやなに、ボナシューさんの人徳ですよ」
アトスは、陶器のぶどう酒に半分口をつけながら言った。
「お父さん、もう体調は大丈夫?」
コンスタンスは心配そうに尋ねた。
「ああ、もうこのとおり。ぴんぴんしているよ。まだまだやることはあるし、なあ」
ボナシューは嬉しそうに笑った。
「あれ、ポルトスはどこに行ったんだ?」
ダルタニャンは、煮込みをとりわけながら声をあげた。
「おいらの母ちゃんもいないよ」
ジャンは立ち上がって辺りを見回した。
「しっ」
アラミスは意味ありげに微笑んだ。

昼過ぎの人気のなくなった、セーヌ川の土手沿いに、
巨人のようなポルトスの影と、カトリーヌの小さな影が並んで歩いていた。
「いい季節になりましたね」
ポルトスが何と言っていいか分からずに話しかけた。
「ええ」
カトリーヌも下を見ながら答えた
「あのう」
「あの…」
二人は同時に言い出して足をとめた。
「ああ、あの……俺もうすぐ戦争に行くんです。その前に言っておきたいことがあって……」
「私も」カトリーヌは相槌を打った。
「帰ってきたら……」
「今でも……待ってるんです」
ポルトスの声を打ち消すようにカトリーヌは小さな声で言った。
「だって、あの人、必ず帰って来るって言ったから……」
セーヌ川の川面が太陽の光を浴びてきらきら光っていた。
「そ、そうですか……」
ポルトスは泣き笑いの表情で言った。
「だけど、約束して。絶対に戻って来るって」
「はい。戻って来ますよ」
ポルトスは力強くつぶやいた。


「旦那様、言ったじゃありませんか、危ないって。もう歳なんだから無理なさらないでくださいよ」
「いいんだマルト。これは自分でやるよ」
追いかけるマルトの声を後にして、ボナシューは、古びた木の梯子を担いで家から出て行き、それを軒先に立てかけた。
「それ」
梯子をぎしぎし軋ませその上まで登ると、ふうと一息つき
腰につけた古い麻布で、軒先のはさみの看板を磨き始めた。
「どうかな。マルト。先が少し曲がってしまったようだが」
通りに出てきたマルトは、まぶしそうに目をくらませて、
先が少しひしゃげたはさみの看板を見上げた。
「そんなに気になりませんよ。旦那様」
「はは。錆びて古びていても、このほうがいい味が出ているかもしれないな」
「そうですね」
マルトはうなずいた。
「まだ看板は変えられんよ。ジャンが一人前になるまでは」
ボナシューは、口笛を吹きはじめ、磨く手に力を込めた。

ふと見上げると、雲の切れ目から雲雀が二三羽、黒い影を
落としながら飛んでいった。その向こうには、抜けるように青い空が広がっていた。


THE END
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