渡る世間に仕立て屋あり

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  ペルスランの挑戦状  


「なに、生地が届かない?」
ボナシューは思わず問い返した。
朝の光が差し込む工房のなかで、御用聞きの生地商は困ったように肩をすくめた。
「いやあ、それが親方。昨日ベルシーの船着き場に着くはずだった荷物が行方不明になってしまって。フィレンツェの絹織物とジェノヴァのビロードがリヴォルノの船で届くはずだったんだけど、荷物を降ろした途端何者かに持ち去られたらしいんです」
ユダヤの商人は、黒い帽子をかぶり、毛皮の縁飾りのついた黒い長い上着を身にまとっていた。
「他に在庫はないのか」
「王侯貴族のお召し物にふさわしい高級織物なら入手経路は限られていましてねえ。昨日ブリージュの仲買人のところに行ってみたんですよ。そしたら、僅差でペルスランの店の者が買い占めて行ったという話。困った、困った。あたくしたちの商売あがったりですわ」
商人は頭をかかえた。

そのとき、フォッソワイユール通りの石畳を打つ杖の音が聞こえ、扉を軋ませ入ってくる人影があった。
「大変じゃ。ボナシュー親方。大変なことになったぞ!」
仕立て屋ギルドの組合長のバイエだった。
「たった今、陛下の使者が来て通達があった」
バイエは、肩で息をしながら続けた。
「陛下の狩りの衣装を、ペルスランと競作することになった。期限は二週間後だ」
「……どういうことです?」
ボナシューはしばらく途方に暮れていた。。
「ボナシュー親方。あんたがやるんじゃよ」
「私が……ですか?」
ボナシューは腑に落ちないという顔でバイエの顔を見た。
「今まで王家からご注文をいただくことはありましたが、しかし、また何故競作などということに?」
「わからん」
バイエは眉をしかめた。
「ペルスランの店の宣伝行為じゃろう。いずれにせよ、頼むよ、ボナシュー親方。パリの仕立て屋ギルドの水準も試されているんだ。ここであんたが負けたら、わしらがペルスランに屈服したことになる」
「そんな、大げさな。陛下からご注文をいただけるだけでも光栄なことですのに」
「やってくれるだろうな」
「ええ。ありがたくお引き受けします。しかし、私は、私の服を作るだけです」

「お父さん!」
そのとき、工房の扉が開いて、コンスタンスが飛び込んできた。
「王妃様から聞いたわ。陛下の狩りの衣装を頼まれたんですって……!」
コンスタンスは父親の首に腕を回して抱きついた。
「負けないで。信じてるわ、お父さん!」
ボナシューは、娘の金髪の髪の毛を撫でた。
「なあに、今まで通りの仕事をすることに代わりはないさ。お前もこんなことで動揺せずに、今まで通り王妃様にお仕えするんだよ」
目を伏せた娘の横顔に、仕立て屋はふと妻の面影を見たような気がした。

「あのう……私にもお手伝いさせてください!」
いつの間にか工房に来ていたカトリーヌも駆け寄った。
「何ができるかわかりませんけど、お役に立ちたいんです」
「そうだよ。ボナシューさん。期限は二週間しかないんだ。それに、ペルスランの店に比べれば、おいらたちはこんな人数だよ」
ジャンも駆け寄った。
「心配しなくていい。ジャン。二週間でも陛下の服は作れる」

「しかし、問題は生地じゃ」
バイエは、工房に天井まで届く大きな棚を見上げながら言った。
そこには、金銀の刺繍が施されたダマスクス織、繊細な繻子、淡く光る絹織物、色とりどりの反物が並んでいた。
「陛下の衣装となれば、ありふれた生地では作れまい」
「うーむ。現にペルスラン工房もパリ中の上等な織物を探し回っている」
ユダヤの生地商も腕を組んだ。
「なあに。狩りということであれば、陛下の着心地が良いものが一番です。仕立て屋の腕が生地の豪華さに負けてしまっては、面目ないですから」
ボナシューはつとめて明るく言った。
「わしはこれからギルドに加盟している職人を回って、貯め込んでいる布地がないか聞いて来よう」
「あたくしも、城門外で取引している同業者をあたってみますよ」
生地商と組合長はあたふたと工房を出て行った。

ベルシーの船着き場では、河岸の赤茶けた土から埃がもうもうと舞い上がり、雨が少なくて緑色に濁ったセーヌ川の水面を、大小さまざまな帆船が滑るように行き来していた。
下流側に遠くルーブル宮殿とシテ島が見え、また無数の教会の尖塔が、針のように夕暮れの空を突き刺していた。
「おーい、ちょっと、そこどいてくれ」
船乗りたちが巻き上げ機を使って、次々と荷物を降ろすと、丸太を並べた板の上に乗せる。そして今度はそこから、丸太を転がして土手を上がり、道では人夫たちがロバの曳く荷車に積み替えて行った。
「すみません。お聞きしてもいいですか」
カトリーヌは、躊躇しながら麻袋を担いだ人夫に声をかけた。
「おととい、リヴォルノから来た荷物をご存じですか」
「おい、忙しいんだよ。仕事の邪魔だ」
人夫は、カトリーヌを突き飛ばすと、吐き捨てるように言った。
「カトリーヌさん!」
そのとき、聞きなれた声がして、河岸の階段を降りて来る足音があった。
ポルトスだった。
「大丈夫ですか?」
ポルトスはカトリーヌを抱え起こした。
「しかしまた、こんなところでどうしたんですか?日が暮れますよ」
「行方不明になった荷物を探しているんです」
「そういうことなら」
ポルトスは胸をどんと叩いた。そして、つかつかと先程の人夫のもとに歩みよると、その胸ぐらを掴んだ。
「おい、このご婦人が聞いていることに答えろ!銃士隊のポルトスだ。おととい降ろされた荷物はどこ行ったんだ?」
「ひええ、し、知りません…」
ポルトスは人夫を軽々と担ぎあげて、水辺に宙ぶらりんにかざした
「嘘だ。こんなに人がいるのに、目撃者がいないなんてありえない。川のなかに放りこむぞ」
「は、白状します」
人夫は手足をじたばたさせて答えた。
「護衛隊が来たんだ。泣く子もだまる枢機卿の命令書を持ってたんだ。さ、逆らえねえよ」
「護衛隊……?」
「指定された馬車まで運んだよ」
「そうか」
ポルトスは人夫を降ろした。
「あ、ありがとうございます」
カトリーヌは小声で礼を言った。
「大丈夫ですよ。あとは俺たちにまかせてください」
ポルトスは豪快に笑った。

「天にまします我が主よ。主の慈しみに感謝して今日一日の食事をいただきます」
ボナシューは手をあわせて食前のお祈りをした。
「アーメン」
蝋燭の暖かな光のもとで、皆も手を組んだ。
「ああ、お腹すいた。いっただきま〜す」
ジャンがフォークを取り上げると、テーブルには大きな鵞鳥の丸焼きが皿に載っていた。
「マルト、今日はえらく豪勢じゃないか」
「朝市で手に入れたんです。旦那様。皆さんにも沢山食べてもらって、元気を出してもらわなくちゃ」
そのとき、家の外の通りに複数の足音が聞こえ、ガラガラガシャーンという金属の鈍い音が響き渡った。
「……!?」
家の扉を開けてみると、足音は急に遠くなり、通りには人影がなかった。
そして、松明の赤い光が、先がへしゃげたまま石畳に転がっている、はさみ型の看板を照らし出していた。
「お父さん!」
コンスタンスは金切り声をあげた。
「誰がこんなことしたんだ……?」
ダルタニャンも声を震わせた。
「ひどいよ、卑怯だよっ。ペルスランのやつ」
ジャンは思わず涙声になった。
「ペルスランではない」
軒下から無残に叩き落とされた看板を、両手で抱えながらボナシューはつぶやいた。
「えっ?」
「本当に仕立ての仕事を愛している者ならば、こんなことはしない」
「じゃあ、誰が一体こんな妨害を……?」

「マルトや」
ボナシューは振り返って、マルトを見た。
「どういう意図があるのか、聞いて確かめてみる必要がありそうだ」
「旦那様……」
マルトもボナシューにうなずいた。
「会われるんですか。お気をつけて」
「行って来るよ」
ボナシューはそのまま急ぎ足で夜の街に消えて行った。

「ボナシューさん、誰に会いに行ったんだ?」
ジャンは、不可解なままマルトに尋ねた。
「お弟子さんです」
マルトは台所に戻りながら言った。
「お弟子さん?」
ダルタニャンも聞き返す。
「旦那様、五年前に可愛がっていたお弟子さんに裏切られたんです……」


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