渡る世間に仕立て屋あり

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  コレット救出作戦  


「え〜お風呂はいかがですか〜!」
「お風呂〜お風呂〜お風呂やさんです〜」
ダルタニャンとジャンは、風呂桶の乗った荷車をひきながら、
ボン・ザンファン通りの角で止まった。
「ここがそうだよ」
「いくぞ!」
二人は男爵家の高い塀の前で小声で言い合った。
「こんにちは〜!お風呂屋さんで〜す!」
ダルタニャンが、いかめしい鉄格子の門の中へ声をかけると、黒い服を着た女中頭が出てきて気づいた。
「おや、あなた」
「お久しぶりです〜。しばらく休業してたんですけど、また復活したんです。お風呂屋さん」
「まあ」
「奥方様のお風呂を頼まれまして」
「変ねえ。奥様は呼んでいないんだけど」
女中頭が半ば開けた門の扉の隙間に、ジャンはすかさず体をくぐりいれた。
「特典なんです。ボナシューさんに服を頼むともれなくついてきます」
「そんなの聞いたことないわ。そういえばこの坊やは……」
「そう、覚えてる? おいらボナシューさんのいいつけで来たんだ。奥様のお湯に入れる薬草を持ってきたよ」
鉄の軋む音がして門が開けられると、二人は荷車をひいて中へ入って行った。

「お湯を沸かすので台所を借ります」
ダルタニャンとジャンは、荷車から大きな風呂桶を降ろすと、二人がかりで担いで光の刺さない台所に入って行った。
すると火のない大きな暖炉の前で、コレットがひとりかがみこんで銀器を磨いていた。
装飾の施されたスプーン、フォーク、象嵌細工の籠、山のような食器類に囲まれ、そのひとつひとつに息を吹きかけ、もみくちゃにした白い布でこすっていた。
「コレット!」
ジャンは小声で叫んで駆け寄った。
「ジャン!」
コレットは銀器を床に置くと立ち上がった。
「どうしてここに……?」
「今から脱出するよ。この服を着て」
ジャンは風呂桶の中から着替えの服を取り出した。

「いいお湯でした?」
使い終わった風呂桶を麻布でぬぐいながらダルタニャンは尋ねた。
「ええ、ありがとう」
男爵夫人は扇で仰ぎながら言った。
「余り外に出られないから気分転換になったわ」
「お気に召したようでしたら、またボナシュー工房をよろしくお願いします」
ダルタニャンは、荷車に風呂桶をゆわいつけた。
「またよろしくね、ジャーン」ジャンは甲高い声で手を振った。

「コレット! コレット!さっきから姿が見えないけどどこに行ったのかしら」
女中頭は廊下を歩きながら辺りを見回した。
しばらくして、洗濯小屋の片隅でうずくまって銀器を磨いているコレットの後ろ姿を見つけた。
「コレット!旦那様がお呼びよ」
コレットは振り向かずに一心に銀の水差しを磨いていた。
「どうしたの、コレット?」
女中頭はつかつかと歩み寄り、コレットの肩に手を掛けたそのとき、
「ジャーン、おいらコレットだと思った?」
ジャンはすかさず白い頭巾をとって振り向いた。
「ひええええええええええ……」
女中頭は腰を抜かして尻餅をついた。
女中の服を着たジャンは駆けだした。
「だ、旦那様ぁぁぁ!」
女中頭は助けを求める声をあげた。

「何があったのだ?」
二階から髭の生えた強面の男爵が降りてきて尋ねた。
「そ、そこに怪しい少年が!」
「なぬっ」
男爵は部屋に戻ると猟銃を取り出して構えた。
「ま、待ってよ。おじさん」
ズキューン、と猟銃が火を噴いた。
「うわわわわわ……」
ジャンはスカートにけつまずきながら階段を駆け上がった。

「ねえ、ダルタニャン。さっきからちっとも当たっていないように思えるんだけど……」
ジャンの服を着たコレットが、通りの向こうから男爵家の高い塀を見上げた。
「うーん。実は弓矢はあんまし得意じゃないんだ」
ダルタニャンは目を凝らして、館の壁に向かって弓をひきしぼった。
「ダルタニャンはいつも自分が突っ込んでいく方だもんね」
放たれた矢は、壁に当たらずに空に向かって吸い込まれていった。

「ダルタニャン、うまくやってくれてるだろうな」
三階まで昇ったジャンは細い廊下の突きあたりで振り返ると、
廊下の奥からゆっくりと猟銃を持った人影が近づいてきた。

「これが最後の矢だ」
ダルタニャンは深呼吸して、弓をひきしぼった。
ひゅるひゅると縄のついた矢は城館の三階の右端の窓のちょうど上に命中した。
「当たった!!」
そのとき、矢があたった窓の隣の窓からメイド服姿のジャンが顔を出した。
「ダルタニャンのへったくそ。こっちの窓だよっ」
「ごめん、ごめん」
ジャンの背後に人影が迫っていた。
「覚悟しな。小僧」
男爵は窓辺のジャンに狙いをつけて引き金をひいた。

そのとき、ジャンは窓枠につかまり、ポケットから滑車を取り出すと、隣の窓にジャンプした。
そして、すかさずロープにかけた滑車をすべらせ、空中を横切って行った。
男爵の銃声が虚空にむなしく響いた。

パレ・カルディナール、枢機卿の執務室では。
「このたびは最高級の絹で作らせました、枢機卿の緋色のガウンでございます。どうかお納めくださいますよう」
ペルスランは、意味ありげな笑みをたたえながら、部下の持ってきた包みを広げた。
「なるほどこれはすばらしい出来栄えだ」
リシュリューも思わずつぶやいた。
「猊下に大変お似合いでございます」
ペルスランは続けた。
「この出来にご満足いただけましたら、猊下が保護されているアカデミー・フランセーズの俳優の舞台衣装、このペルスランにお任せいただきたく存じます。この頭の中にとどめておけないほどの着想がございます。早速構想図をお目にかけましょう」
「なかなかやる気があるな。よろしい任せよう」
「恐れながら、猊下。私には夢がございます」
「夢、だと?」
「このパリを流行の発信地にすることです」
ペルスランは大きな石ついた指輪がはまった指を広げた。
「美しく斬新な意匠を生み出すための創意は、つまらぬ手仕事から切り離す必要があります。進取の精神にあふれる職人を抜擢するため、昔ながらの慣れあいが続くギルドの撤廃を求めます。そのあかつきには、
仕立て屋は単なる職人ではなく、芸術家に等しい地位を手に入れることでしょう」
「ほう。考えたものだな」
ボナシューは、この熱を込めて話す仕立て屋を見つめた。
「そこで、お願いがあります。猊下」
ペルスランの目がきらりと光った。
「ボナシューとの対決を望みます。陛下のお召し物を競作し、この私の腕と構想を陛下の御前で知らしめたいのです」
「ボナシューとの競作?」
「はい。パリ一の仕立て屋の栄誉をかけて」
「ふむ」リシュリューは髭をなでた。
「王妃の腹心の衣装係、確かボナシューの娘とかいったな。あの小娘を遠ざけるチャンスかもしれん……」
リシュリューは、誰も聞きとれないような声でつぶやいた。

夕日が家々の屋根の向こうに消えるころ、フォッソワイユール通りに、風呂桶を積んだ荷車の音がガラガラと響いた。
「ねえ、ダルタニャン。仕立て屋になったら、人を助けることってできるかな……」
ジャンはいつになくしんみりと言った。
「何言ってんだ。ジャン。ボナシューさんがいなかったら、コレットは見つからなかったじゃないか」
「あ、お母さん!」
コレットは、ボナシューの家の前に立っている母親に気づいた。
「コレット!良かった……」
コレットの母は、駆け寄った娘を抱きしめた。
ボナシューが家から出てきた。
「ありがとう。ダルタニャンにジャン」
ボナシューはコレットに向き直った
「それでだ、コレット。マルトが週に二日実家に戻ることになった。代わりにうちで働いてくれんかね。ちょうどコレットのお母さんに相談していたところだ」
「いいんですか!ありがとうございます」
コレットは飛び上がった。
「これからよろしくね。ジャン」コレットは手を差し出した。
「言っとくからな。今までの遊びとは違うんだぞ」ジャンはもったいぶって腕を組んだ。
「まあ、照れちゃって」
コレットはくすくす笑いながらたしなめた。
「照れてなんかないよっ」
「はっはっはっ」
一同笑いに包まれた。
「さあ、皆さん夕食の準備が出来ましたよ」
マルトが家から出てきて呼びかけると、戸口から肉入りのスープの香りが漂ってきた。

平和な晩餐の時間の裏で、リシュリューとペルスランの計画が着々と進んでいたことは、誰も知る由がなかった。


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