十年後!

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  最終話 ダルタニャンの婚礼  


ある晴れた日のパリ、サン・タンドレ・デ・ザール教会。
婚礼の秘跡をつかさどる司祭は、厳かな声で壇上から読み上げた。
「汝、シャルル・ダルタニャン、コンスタンス・ボナシューを妻とすることを誓うか」
「誓います」
「汝、コンスタンス・ボナシュー、シャルル・ダルタニャンを夫とすることを誓うか」
「はい。誓います」
ダルタニャンとコンスタンスは、向き合って右手を差し出した。
お互いの右手を握ると、それを高く掲げた。
一番後ろの席では、立会いに招かれていた宰相マザランがそれを遠くから見つめていた。

フォッソロワイユール通りのボナシュー宅の前では、
真新しいクロスをかけられた急ごしらえのテーブルが、いくつも道の真ん中まで並べられていた。
集まった客らがめいめい陽気に、ぶどう酒の瓶を開け、通りすがりの通行人まで巻き込んでダンスに興じていた。
「皆さん、今日のメインディッシュをどうぞ」
コレットはマルト―と二人がかりで、カリカリに焼けた子豚の丸焼きを屋外のテーブルに運び出した。。
「今日のご馳走はマルとーさんと私と二人で作ったんです」
「コンスタンスお嬢さんの花嫁姿をやっと拝めて、私はもう何も望むことがありません」
マルト―はそっと目頭を押さえた。「天国にいらっしゃる奥様に見て頂きたかった」
「コンスタンスさん、おめでとう」
ジャンの母のカトリーヌが、コンスタンスに話しかけた。
「オメデトウ、オメデトウ」カトリーヌの膝の上で、コピーがオウム返しに叫んだ。
「このぶどう酒はどこのだ?」その場に来ていたスカロンが尋ねた。
「コート・ド・ローヌ地方の上作のものさ。マルセイユの酒蔵からたんまり仕入れたんだ。俺のお祝いだ。
さあ、みんな飲んでくれ!」ポルトスが酒亀を工房のなかから次々に運んできた。
「やあ、はだしのジャン。来たぞ。音楽はまかせとけ!」辻音楽師のマルタンがその仲間を連れて、
宴席にはいっていくと、にぎやかにリュートとをかきならした。音楽にあわせてダンスが始まった。

「隊長ー!おめでとうございます!」そのとき、制服を着たままの銃士たちがあらわれた。
「当番の合間に来ました」
「明日の朝は遅くなってもいいです。僕たちで閲兵をやっときますから」
「何言ってるんだ!セバスチャン」
「やあ、みんな、ありがとう」ダルタニャンは照れながらひとりひとりの顔をみつめた。
騒がしい人の輪から少し離れていたところに、アトスとアラミスが立っているのに
ポルトスは気づいた。
「やあ。アトス、アラミス。僕は明日ピエールフォンに帰るよ。お別れだ」
ポルトスは、二人に近づきながら言った。
「ポルトス、男爵になったんだって。おめでとう」
アラミスはポルトスを抱擁した。
「マザランが今回の手柄として叙勲してくれたんだ。なあに。カミさんにいい手土産ができたよ」
「銃士隊に留まらないのか?」アトスは尋ねた。
「いいんだ。パリに来てダルタニャンと一緒に銃士隊を結成できて、君たちと一緒に戦えて楽しかったよ。でも、そろそろカミさんの顔が見たくなってきた」ポルトスはアトスを抱擁した。
「すまない」アトスは言った。
「おい、何でアトスが謝るんだ?アラミス、今生の別れみたいな顔で僕を見ないでくれよ。また会おうぜ。ピエールフォンに遊びに来てくれ」
そのとき、ジャンの仕切る声が入った。

「さあ、みんな、聞いて!ボナシューさんが最後の挨拶をするよ!」
出席者一同は一斉にしずまり、中央のテーブルのボナシューを見つめた。
ボナシューはテーブルに手をつきゆっくりと立ち上がると、低く通る声でしゃべった。
「えー。皆様。本日はお集まりいただき、ありがとうございます。
思いおこせば、十年前、パリに出てきたばかりダルタニャンとジャンと出会い、下宿人として当家でお預かりいたしました。それ以来、ずいぶんといろいろなことがありました。でも、今になってみれば、あのとき我が家に幸運が舞い込んできたのだと、そう思います。
ダルタニャンは、今はこのとおり、陛下の銃士隊長をつとめるほどの快男児でございます。
一介の町の仕立て屋としては、このご縁を身に余る栄誉に思います。
私のひとり娘、コンスタンスは、母親を幼いころに亡くし、私が男手ひとつで育てて参りました。
至らぬ父親であったと思いますが、今日この日を前に感無量です」
ボナシューの声がつまった。
「そして、本日この日に、皆様にお知らせしたく思います。
私、ボナシューは、本日より仕立て屋家業から引退し、全てを弟子のジャンに継がせることにしました。
ジャンは、腕が良く仕事熱心な職人です。実の娘はひとりですが、このような二人の息子に恵まれたことを、心から誇らしく思います。どうぞ、皆様、代が変わってもボナシュー工房をご愛顧くださいよう」
一同拍手が鳴り響いた。
「ボナシューさん!そんなの嫌だよ。おいらまだ教えてもらいたいことがいっぱいあるのに!」
ジャンが叫んだ。
「新生ボナシュー工房に乾杯!」
「新郎ダルタニャンに乾杯!」
「ポルトス男爵に乾杯!」
「ジャン、わしが代替わりした後の最初の客になるぞ!」
スカロンが陽気にブドウ酒を飲み干した。

マレ地区、シュヴルーズ公爵夫人の邸宅。
サロンの長椅子に優美に腰をおろした公爵夫人は
窓辺に差し込む日光で手紙を読んでいた。
「ごらんなさい。ラウルが書いたんですよ。もうラテン語の勉強を始めました」
公爵夫人は読んでいた手紙を広げて見せた。アトスは微笑んだ。
「マダム。おいとまごいに参りました」
「ブロワに行ってしまわれるのですね」公爵夫人の顔が曇った。「おひとりで淋しくありませんか?」
「実は、領地に戻り結婚をすることになりました」
「まあ、結婚を? 貴方は女嫌いだと思っていました」
公爵夫人は狼狽しながら答えた。
「お気持ちが変わりましたの?」
「いいえ。マダム。わたしの気持ちは変わりません。生涯をかけて貴方には変わらぬ友情を誓います」
アトスはひざまずいて公爵夫人の白い手に接吻した。
「ラウルのことはお任せください。伯爵。わたくしも変わらぬ友情を貴方に」
公爵夫人の白い指が、名残りおしそうに、アトスの襟先にそっと触れた。
「おしあわせに……伯爵」
この言葉を絞り出すのが精いっぱいだった。

アトスの後ろ姿を見送りながら公爵夫人は全てを理解した。
そうだ、それは最初から友情だったのだ。
頭のなかに、再びあの嵐の夜の出来事がよみがえる。
危険を告げるため、王妃の衣装係のコンスタンスが届けたのは、男物の軍服……解散直後の近衛銃士隊の制服だった。
季節外れの雨風のなか、侍女とともに馬を駆け、たどりついた村の司教館。
「誰かいますか?」
雷の光に照らされて、ひとりの男が飛び起きる。
「一夜の宿をお願いしたいのですが」
女は水にぬれた帽子を脱いだ。その瞬間雷光がとどろく。
男は、女を一目見るとあっと叫んで、上ずった声で誰かの名を呼んだが雷鳴にかきけされた。
床に落ちた燭台は、滴り落ちた水でその炎が消え、またあたりは闇夜に戻る。
「あなたの名は?」男は問うた。
「マリー・ミシヨン」女は暗闇の中で答えた。

公爵夫人は冷たい窓の桟に熱い額を押し付けながら考えた。
そう、最初からあの男は、私の中にひとりの女の面影しか見ていなかった。
デルブレー。
「貴方は結局、友情よりも愛情を選んだのね。伯爵」
公爵夫人はつぶやいた。

ひなげし、あねもね、ライラック、よく手入れされた花壇を南風が吹きぬける。
ここブロワの城でも季節は一巡し、白い蝶たちが舞い戻ってきた。
門の前に一台の瀟洒な馬車が、軽い音を立てて止まった。
「南の斜面は見渡す限りのぶどう畑、背後の丘には森が広がっていて恰好の狩猟場所だ。ほら、川の向こうには、ヴァロアの王様のかつての居城が見えるだろう」
馬車から降りてきたのは、ラ・フェール伯爵だった。
「今年は、春が早くて麦の収穫も多いだろう。そして、秋になれば、ラウルが休暇で帰ってくる」
伯爵はもうひとりの花嫁の手をとって、門から続く道を歩いて行った。

フォッソロワイユール通りのボナシュ―工房。
「ジャン、いるか?」
工房に飛び込んできたのは、ダルタニャンだった。
「どうしたんだよ。ここに戻って来るなんて。コンスタンスと夫婦喧嘩でもしたの?」
ジャンが縫い針を持ちながら奥から現れた。
「違うよ。注文だ」
ダルタニャンは帽子をとった。
「銃士隊の定員をもう二十名増やすことになった。来週までに制服を作ってほしいんだ」
「来週まで?」
「頼むよ。親方。これでマザランが気に入ってくれれば、また、注文が来るかもしれないんだよ」
「…いいよ」
ジャンは、慌てて表情を見られないようにくるりと向きを変えた。
「とっておきのものを、急いで仕上げるよ」
「じゃ」
ダルタニャンは言い残して出て行った。
「親方だってさ…へへっ」
ダルタニャンが出て行った後、どこかくすぐったいもの感じながら、ジャンは鼻の下を掻いた。
そして、腕まくりをすると、口笛を吹きながら、奥の仕事場に戻っていった。
「コレット!大変だよ。来週までに急ぎの注文が入ったよ!」




<完>

後日談。
サンドラスは、その後銃士隊長ダルタニャンの副官をつとめ『ダルタニャンの回想録』を書きあらわした。
そして、運命の1789年7月14日。バスティーユ要塞が陥落したときに、その囚人の記録が革命委員会の間に流出した。そのとき、マルキアリ、フランス読みでマルシェリと呼ばれ、贅沢な暮らしをしながらも素顔を隠されていた謎の囚人の名前が記録の中から現れた。彼の存在は、鉄仮面伝説として、後代にまで様々な人々の憶測を呼んだのであった。

the end.
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