十年後!

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  第35話 仮面の中の男  


パリ。
ダルタニャンは新王宮のマザランの執務室を扉をノックした。
「入るがよい。」マザランは机の上で書き物をしており、机の上に鉄仮面が置かれていた。
「猊下。マルセイユから戻りました。ご命令どおりエドアルド・マルキアリ、フランスでは鉄仮面を捕えました」
マザランは、ちらとダルタニャンを一瞥して、憮然そうにいった。
「それはご苦労であった。しかし、君の部下たちが職務放棄したことについてだが、隊長として責任はとってもらいたい」
「恐れながら猊下。隊長の私に命令をくだした、ということは銃士隊に命令をくだしたことであると解釈することもできます。確かに私の部下は命令に背いたのではなく、命令の解釈を間違えました」
ダルタニャンはしゃあしゃあと言ってのけた。
「まあ、銃士隊はそのままでよい。マルキアリに会わせくれ」
繋がれたマルキアリは、部屋に入って来ると挑発的にマザランを見据えた。
「マッツァリー二、この売国奴め。イタリア半島を売るつもりか」
「残念ながら私はジェノヴァ人ではない」マザランは肩をすくめた
「フランス人に成りすましたお前を見ると虫唾が走る。お前こそがフランス王家乗っ取り犯だ!」
マルキアリは吐き捨てるように言った。
「何とでも言うがよい。ジェノヴァの総督府から使者が来た。お前の愛したジェノヴァはお前を見捨てるつもりだ。ここではフランスの法で裁かれてもらおう」
マザランは逮捕状に署名をすると、ダルタニャンに渡した。
「ダルタニャン。この男に鉄仮面をつけ、バスティーユ牢獄の西の塔に監禁しなさい。素顔な他の人に見せぬよう。決して地中海の鮫であると悟られぬようにな」それから、言葉を続けた。
「ベーズモーに言って、部屋は居心地良く食事は上質なものを与えるのだ。このフランスでは、快適に暮らすための保障をしよう。そのための金には糸目をつけるな」
「結構な待遇だな」マルキアリは辛辣に言った。
「それがせめてもの私の良心だ」
マザランは低い声でつぶやいた。
「これで、ジェノヴァの英雄の名誉は色あせることはない」
マザランは、連行されるマルキアリを、敬意を込めて立ち上がって見送った。

バスチーユへと向かう護送車の中で、マルキアリは目を閉じた。
十年前と変わらないパリの街だったが、幾分新しい建物が急速に増えて行ったように思えた。

「フランス軍が撤退したぞ!」
ある日、背後の山々から港町を取り囲んでいた、青い百合の軍旗が引き潮のようにと引き揚げはじめた。
人々は口々に叫んで、広場では、白地に赤いジェノヴァの旗を持ち出し、音楽にあわせて踊りはじめた。
「エドアルドがやってくれた!」
「共和国ばんさい!」
「しかし、ジェノヴァがスペインと盟約を結んでいる限り、何度でもフランスは攻めて来る」ドージェが言った。
「スペインとの盟約は守る。俺はこれからパリに行ってブルボン王家の中枢を攪乱する。傀儡の王をたてればよい。ちゅうどいい手駒が手元にあるんだ」マルキアリは言った。
「まだ、戦いは終わっちゃいない」マルキアリはドージェの顔を見ながら続けた。
「エドアルド。だが、お前はジェノヴァの海軍提督だ。傭兵とはいえ民あっての軍隊だ。くれぐれもその誇りを忘れるな」はドージェは少々眉をひそめた。

嵐の夜、稲妻が光る。
血を流して倒れる二つの人影。
少年は暗い渡り廊下を死にもの狂いで駆けだした。
それに迫る沢山の魔の手。
少年は黒い鉄の仮面をかぶせられ、もがきながら、声にならない声で叫んでいた。
「助けてくれ!」

「報いだ…」護送馬車のマルキアリはそっと苦笑した。
馬車の横で、囚人を護送する任務についたダルタニャンはちらと横を見た。
「さらば、ダルタニャン。戦場で会いたかったな」マルキアリは言った。
これが鉄仮面とダルタニャンが言葉を交わした最後となった。

マザランの執務室では、次の訪問者が扉をノックした。
「入るがよい」
アラミスとフィリップが中に入ってきた。
「ルイ十三世の双子の弟君のフィリップ殿下をお連れしました」
「殿下。ご無事で何よりです」マザランは敬意を込めて立ち上がった。
「それでは、マザラン。約束を守ってくれるだろうな。、殿下を自由の身にすること。ルイ十三世とリシュリューの遺言通り、年金を元通りに戻すこと」アラミスが続けた。
「待て。アラミス君。デルブレー修道院長はどうした?ここに連れてくる話だったが」マザランはアラミスを問い詰めた。
「修道院長か。それなら」アラミスは決意したように言葉を続けた。「ここに……」
そのとき、フィリップが強い声でそれを遮った。
「そんな人は知らない」
マザランとアラミスは一斉にフィリップの顔を見た。
「そんな人は会ったこともない。私がノワジーで貧困にあったとき、哀れに思ったのか村の親切な尼さんが施しをしてくれた。ただそれだけだ」
「しかし、寄進物を運ぶ馬車に爆薬を運んでいたのは……」
「シュヴルーズ公爵夫人はいくつもの偽名を持っていると聞くが」代わりにフィリップは答えた。
「猊下はパリ条約でフロンド派貴族との和解したのをお忘れではないでしょうか」
アラミスも続けて言った。
「わかった。約束を守ることとしよう」マザランは観念したように言った。

新王宮の通路を並んで歩きながら、ふと、フィリップが立ち止り、アラミスに向き直った。
「アラミス殿。このたびはいろいろありがとう」
「お礼を言いたいのは私の方です。殿下」
「殿下はやめてくれ。フィリップで良い」
フィリップはアラミスの目を見ながら手を差し出した。
「これでお別れだ。だけれどもずっと僕らは友達でいてくれるか」
「ええ」アラミスはその手を握り返した。
「…自信がついたんだ」フィリップは微笑みながら、服の袖をまくり上げて腕を見せた。
「ごらん。数年間、自分で木を切り藁を運んだ。もう、ひとりでも大丈夫だ。少年はやがて大人になり、まるで自分を息子のように育ててくれた家庭教師とも別れる時が来る」
フィリップの目が急に真摯になった。
「その時が来たんだ。もう僕は貴方を解放しなくてはならない。そうだろう」
「…ええ」
「貴方が次に僕の前にどのような姿で現れようとも、僕の耳は覚えている。だけれども僕らの友情は変わることがない。いいね、約束だ」
「……」アラミスは言葉を探していた。
「さようなら、僕の永遠の友、そして家族」
フィリップはアラミスを軽く抱擁すると、通路を歩きだした。
そして通路の角まで来ると、振り返って小さく叫んだ。
「ノワジーの子羊は今頃歩き出している頃だろうか?」
「ええ、きっと……!」
アラミスは手を振った。
新王宮の通路を歩いていくフィリップの後ろ姿をアラミスはいつまでも見送っていた。

アトスのパリでの常宿としているシャルルマーニュ大帝館。
日当たりの良い角部屋に、ラ・フェール伯爵の名前でとった一室の中では、机や寝台の上、あちこちに衣服や書物が散らばっていた。
アトスは、手をとめしばしば感慨にふけりながら、パリに置いていく息子の冬の荷物をまとめていた。
これらの衣服が着られるのは今年いっぱい、来年になれば、もう少し大きなものを用意する必要があるだろう。
そのとき、扉がノックされた。
アトスが半分扉を開けると、そこにはアラミスが立っていた。
「やあ。君の方から訪ねて来てくれるとは珍しい」アトスは扉を開けて
アラミスを中にいれた。
「散らかっているけれども」
「すぐにおいとまするよ。お別れを言いに来た」アラミスは扉に背を向けて立った。
「お別れ……?」
「これで、僕の使命は終わったんでね。再び隠遁生活に戻るとする」
「故郷に帰るのか?」
「いや。もう、ノワジーには戻れない。マザランが手を回しているかもしれない」
「じゃあ、どこに行くつもりだ?」
「さあね」アラミスは肩をすくめた。「シュヴルーズ公爵夫人に頼んで辺境の修道院にでも籠るとしよう」
「それじゃ、また。友よ。僕への手紙は公爵夫人にことづけてくれたまえ」
アトスの次の質問を振り切るかのように、アラミスはくるりと背を向けると、
扉を出て歩き出した。
アトスはその後を追いかけて、叫んだ。
「待ってくれ。最後にひとつ聞いておきたいんだが……」アラミスはふと足を止めた。
「僕と一緒にブロワに来る気はあるか?」
アラミスは振り返った。





第35話 終わり
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