十年後!

BACK | NEXT | INDEX

  第31話 イスラムの商館  


「とりあえず、打ち身には湿布をしておいたよ」
アラミスが水の入った桶を、床の上に置いた。
白い鴎亭のダルタニャンの部屋には、三銃士がめいめい座りながら、
寝台に眠るダルタニャンを心配そうに覗きこんでいた。
「不覚だった。僕たちがついていながら……」アトスは眉間にしわをよせま腕を組んだ。
「ごめん。ダルタニャン」ポルトスも頭を垂れた。

そのとき、階段を慌ただしく駆け上がる音がして、聞きなれた声が飛び込んできた。
「銃士隊長のダルタニャンってここにいる?」戸口に顔を出したのはジャンだった。
「ジャン!」三人は一斉に叫んだ。
「何しに来たんだ?」
「何しにって。コンスタンスを連れてきたよ」ジャンが腕をひっぱるとコンスタンスも姿を現した。
「コンスタンス!」
「ダルタニャンはどこ?」
三銃士は深刻な顔つきをしながら押し黙った。
コンスタンスの視線が寝台の上に止まると、彼女は全てを理解した。
「ダルタニャン…。まさか、いやぁぁぁぁ!死なないで…!」
手に持っていた荷物をどさりと落とすと、枕元にとりすがった。
「ダルタニャンのばっきゃろー!こんなときに何やってるんだよ!」
ジャンも涙を流しながら、寝台に駆け寄った。
「命には別条ないそうだ。ただ高いところから落ちた衝撃で気を失っているだけだ」
アラミスが冷静に言葉をはさんだ。
「本当?」
「だといいが……」アトスも浮かぬ顔で答える。

戸口の影に、サンドラスがこっそり姿を見せた。
悲嘆に暮れるコンスタンスの後ろ姿を見ると、顔に影を落として、
向きを変え、その場を離れて階下に降りて行った。
その後ろ姿を、ポルトスのまなざしが追っていった。

パリ、トレヴィル邸の中庭…。
空から急降下してきた鳩が中庭の中央の井戸の上に止まった。
「マルセイユのサンドラスからの手紙だ」セバスチャンが伝書鳩の足から手紙を抜き取って広げた。
「隊長が負傷したって…!」セバスチャンが読み上げると、周りから若い銃士たちが集まってきた。
「大変だ!」
「いてもたってもいられないよ!俺たちも行こう」
「死ぬのなら、隊長と一緒じゃなきゃやだ!」
「みんな、二手に分かれてパリを脱出しよう。僕たちは今からマルセイユに発つ。今日の夜番のある者は残って明日の朝立つんだ。くれぐれもマザランに悟られるな」セバスチャンは周りの銃士の顔を見ながら言った。
「わかった」
銃士たちは一斉にうなずいた。

再びマルセイユ。
パニエ地区には、港からひとつ裏手に入ったところに薄暗い路地が伸びていた。
路地まで日除けが張り出して、麝香や顔料、珍しい珊瑚や貝殻、東方からの金属細工など、その下で山積みになった文物が売られていた。
「ダルタニャンが早く元気になるように、薬を買わなくては……」
コンスタンスが猥雑な下町をきょろきょろと見回すと、
「あそこだ!」一緒に来ていたジャンが指さした。
露店の中に、色とりどりの香辛料の山が積み上げられていた。
桂皮、白檀、樟脳、明礬、胡椒、ニクダン、大黄
白いターバンを巻いたイスラム商人が片言のフランス語で話しかけた。
「珍しい東方の薬あるよ」
「桂皮と樟脳を少しずつください」コンスタンスは立ち止った。
その隣には、絹織物が山のように積まれていた。
「へえ、珍しい生地だなあ」ジャンは興味を示した。
「コンスタンス、どう?この生地は?」
「ダルタニャンの意識が戻らないのに何言ってるの!」
そのとき、二人の傍らを、漁師に扮した男が通りかかると、香辛料売りのイスラム商人にリグリア訛りのフランス語で話しかけた。
「取引の話があるんだ」
「ああ、あんたは、ジェノヴァ船の」
男は商館の中に入っていた。
「ジェノヴァ船だって……。行って見よう」ジャンはコンスタンスを引っ張って、こっそりと商館の中を後をつけた。

葉巻の煙で蔓延した薄暗い部屋の中で、漁師の格好をした男は声を落とした。
「10人の人夫を売りたいんだが」
「彼らの身元は?」
「フランス人で元囚人だ」
「キリスト教徒ならベルベル人の海賊らにガレー船の漕ぎ手として売りつけられる。なあに。仲介料はもらうが」
「買値はいくらだ」
「物々交換で」
「ぶどう酒、あるいは飲料水が欲しい」
「残念ながら我々が扱っているものではない」
「ならば雨水を濾過するために明礬(みょうばん)を3ケースほど欲しい。受け渡しは人目を離れた場所にする」
「了解。今日の夕方カランクでどうだ」
「わかった。船の名前はセイレーン号だ」
「あんたの名前は?」
「ベルナルド。お前は?」
「アリー」
「これは手間賃だ」男はイスラム商人に金貨を差し出した。
ターバンを巻いた浅黒い肌の商人は、薄笑いを浮かべながら受け取った。
ジャンとコンスタンスは、部屋に積まれた荷物の間に身を隠しながら、顔を見合わせた。

メデューサ号の船首楼から、マルキアリはマルセイユの埠頭を見つめた。
船は上陸準備に向けて、沖合から岸辺に徐々に近づいている。
「船長。ベルナルドが戻りました」兵士が近づいた。
「ベルナルド。どうだった?取引は」
「今日の夕方カランクで、10人の囚人を交換します」
「身元がわれることはないか」
「囚人からガレー船の漕ぎ手になったところで、彼らにとっては同じことですよ」
「すぐにセイレーン号をカランクへ向かわせろ。フィリップひとりを残して、あとの10人を船から降ろせ」
「承知。ところで、船長……」ベルナルドは戸惑いながら言葉を続けた。
「我々の船団に入りたいという若者が来ています」
「なに?連れて来い」
マルキアリの前に、ぼろぼろの服を着た、波打つ栗毛の青年が姿を現した。それは……。
「サンドラスです。あなたの船に入れてください!」
サンドラスは思いつめた顔で、マルキアリの前に立った。
「お役に立てる情報を持ってきました。銃士隊長ダルタニャンは、現在マルセイユの白い鴎亭という宿屋の四階にいます。意識が戻らず寝たきりの状態です」
「こいつは信用できるのか?」
「あなたの信用を得るためにはどんなことでもします」
「では聞く。ダルタニャンを始末するにはどうする?」マルキアリは身を乗り出した。
「彼には唯一といっていいほどの弱点があります」
「それは?」
「それは…女です!」サンドラスは強い調子で答えた。
「彼は恋人のためなら、すすんで命をも投げ出すでしょう」
「よくわかっているな」
「女も一緒にいます。その女を囮にしてダルタニャンをおびきだすのです」サンドラスは声をひそめた。
「なるほどな。お前は頭がいい」
マルキアリはうなずいた。

白い鴎亭の四階のダルタニャンの部屋では……。
「う…ん」ダルタニャンはうっすらと瞼をあげた。
そのとき、自分を覗きこむ、天使のような緑色の目に気が付いた。
「なんだろう。天に召されたのかな。あたたかいベッドの上で、コンスタンスもいるぞ……」
ダルタニャンは独り言を言った。
「天国じゃないわ。ここはマルセイユよ。気が付いた?」コンスタンスは指を、ダルタニャンの頬に触れさせた。
「コンスタンス…!」ダルタニャンは夢うつつで飛び起きた。
「どうしてここに?」
「来ちゃいけない?」コンスタンスは微笑んだ。
「君の顔がこんなにも近くにある。夢を見ているようだ」ダルタニャンは腕をコンスタンスの首に伸ばした。
「不吉な予感がしたのよ。でも来てよかった」コンスタンスはそっとささやいた。

白い鴎亭の食堂では、三銃士が腕を組みながら、チェス盤と地図を眺めていた。
「ダルタニャンの意識が戻ったようだ」アラミスは言った。
「よかった。だが、大事をとってまだ宿屋で休んでいた方がいい」と、アトス。
「つまり、コンスタンスとジャンの話だと、セイレーン号だけ船隊を離れるということだな」ポルトスが言った。
「10人の囚人が売られる、ということは船に残る一人はフィリップ殿だ」とアラミスは続ける。
「セイレーン号一隻だけなら、そこに乗り込むいいチャンスじゃないか」とアトスは言った。
「カランクってどこにある?」
「宿屋の亭主によれば、ここから少し離れた岩場の海岸線だ。我々だけでもセイレーン号に潜入してフィリップ殿下を救出する」
「承知」アラミスとポルトスも顔を見合わせた。

宿屋の階段を、ふらふらと起き上がったダルタニャンは、
人目がないのを見回すと、ジャンを呼び止めた。
「ジャン!」
「ダルタニャン。起き上がれるようになったんだ。心配したよ」ジャンは駆け寄った。
「何で連れてきたんだ?」ダルタニャンは声を潜めて、ジャンに詰問した。
「何でって?」ジャンは聞き返した。
「コンスタンスだよ。僕が誰と戦っているのか知っているのか?」
「そんなの知らないよ。言っとくけど、ダルタニャンのためじゃないからね。おいら、マルセイユでやる実験があるんだ。助手が一人足りないから誘ったんだ」
「実験…て何すんだ、ジャン」ダルタニャンは言葉につまった。
「集光鏡だよ」
「集光鏡…。なんだそれ」
「それで艦隊を燃やすんだ」
「……。」
「あのな、ジャン。戦争ってのは、僕たちが命がけで船に大砲発射して斬りこんでいって……」
「これからは科学兵器の時代だよ。ダルタニャンみたいに剣を振り回わして戦うのは古いんだ」
「……。」
「もう、おいらだって大人なんだ。いっつもみそっかす扱いしないでくれよ!それに、ダルタニャンはいっつも目の前の任務のことばっかり考えていて、たまには、コンスタンスの言い分にも耳を傾けたらどう?」
ジャンはダルタニャンの前で叫んだ。
「わかったよ。ジャン。悪かったよ」ダルタニャンは力なく言った。
「ダルタニャン。ひょっとして、おいらがフロンド派にいたこと恨んでる?」
「恨んでなんかないよ。一人前の男のジャンが決めたんだ。応援するよ」

そのとき階下からポルトスの声がした。
「おーい!ダルタニャンとジャン、夕飯の時間だぞ。
久しぶりに皆揃ったんだ。今夜は盛大にやるぞ」
階下から、ムール貝をワインで蒸した匂いが漂ってきた。



第31話 終わり

fig.十六世紀後半のマルセイユ遠景
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Marseille_en_1575.jpg


BACK | NEXT | INDEX
inserted by FC2 system