十年後!

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  第30話 イフ城の攻防  


ルーブル宮からサン・トノレ通りをコンスタンスはいつものように仕事を終えると、パリ左岸のボナシュー邸まで家路についていた。
そのとき、コンスタンスの傍らを大きな幌馬車が盛大な軋み音をたてて止まった。
中から出てきたのはジャンであった。
「コンスタンス、いいところで会った!」
「ジャンじゃないの。どうしたの。ところで、このがらくたは一体何?」
「いいからすぐに馬車に乗ってよ」ジャンは質問に答えず、いきなりコンスタンスの腕をひっぱった。
「どこに行くの?」
「マルセイユ。ダルタニャンのところだ」
「大丈夫よ。ジャン。ダルタニャンはもう銃士見習いじゃないわ」
「そういうことじゃなんだ。これからマルセイユでやる仕事があるんだ。ちょうど、ひとり人手が足りなくって、馬車もひとり分空いている。いいから手伝ってよ」
「待ってよ。私は王妃様の……」
「ダルタニャンに会いたくないの?」
「会いたいわよ」
「じゃ、乗るんだ」
「一体どうしたのよ。ジャン。この中に入っているものは一体何なの?」コンスタンスはジャンに押されて幌馬車の中に入った。
「鏡だよ」
「鏡?」
コンスタンスはあきれ顔で馬車の中を見た。

マルセイユ。今日も続く快晴の空に白い鴎が待っている。
テラコッタの赤茶けたレンガをふいた平たい屋根は地中海沿岸独特のものであった。
港に面した宿屋であり、四人がアジトにしている白い鴎亭の一階の食堂の中では、ダルタニャンがひとり海図を眺めていた。
そのとき、窓から見慣れた帽子が見え、サンドラスが姿を現した。
「やあ。サンドラス!君も来たのか。ちょうどいい」
「隊長……!」陽気なダルタニャンとは裏腹に、サンドラスは思いつめた顔でその前に立ちふさがった。
「…ん?」
「あなたを見損ないました」サンドラスはいきなり剣を抜いた。
「決闘です!」そう言うなり、剣をダルタニャンの前に突きつけた。
「待って。どうしたんだ!サンドラス、何かの思い違いだ」ダルタニャンは思わず後ろに下がった。
「思い違いもあるもんですか。あなたという人は、コンスタンス嬢の心をもてあそぶにもほどがある」サンドラスの目は怒りでらんらんに光っていた。
「はあ?」
「僕は見ました。こんなときに、あなたは小舟の陰で女と情事を……」
「ちょ、ちょっと待った。あれは女じゃなくってアラ…」
ダルタニャンは言葉を飲み込んだ
「だったらあれは何なんですか!」
「ええと女だと思っていない。安心してくれ。あれは鮫の囮大作戦なんだ」
「なんですかその作戦名は!」
「ぼ、僕は潔白だ」
「とにかく、隊長は女心がわかっていないんです!」サンドラスはダルタニャンの前につめよる。

そのとき、戸口からアトスとポルトスが食堂に入ってきた。
「ダルタニャン、イフ城までの船を手配したぞ。そっちは大丈夫だろうな」
サンドラスは慌てて剣をしまい、ダルタニャンは何事もなかったかのように飛びのいた。
「ああ、こっちも首尾よく進行中。フィリップ殿下はご無事だ」ダルタニャンは咳払いをした。
そのとき、着替えを済ませて階段からアラミスが降りてきた。
「ダルタニャン、準備はいいか。夕方までにはここを出る」
「で、この青年は?」アトスが尋ねる。
「サンドラスだ。銃士隊の部下の。僕たちの力になってくれる」ダルタニャンはサンドラスを紹介した。
サンドラスはすかさず、アトスとアラミスの方に歩み寄った。
「あの…三銃士のアトス殿とアラミス殿ですよね。お会いできて光栄です。ブルッセル邸での大立ち回り、お二人と気付かない僕が迂闊でした。もしかして、僕の剣を払ったのは……」
「私だが」アラミスはすかさず言った。
「見事な腕前、尊敬しています。あ、握手してください」サンドラスは顔を赤らめながら手を差し出した。
「実に素直なよい青年じゃないか」ダルタニャンを横目で見ながらアトスは言った。
「素直な、って…あーあ。男心ってもんはわかんないよ」
ダルタニャンはふてくされながらつぶやいた。

海の向こうが夕焼け色に染まるころ、五人が乗り込んだ小舟は、マルセイユ沖の小島にあるイフ城に到着した。
赤く沈む太陽の前に、フランソワ一世時代に建設された砦が黒々と姿を現した。
「よいしょ、よいしょ。!」五人がかりで古ぼけた櫃を舟から引っ張りだした。
「舟は僕が見張ってます!」サンドラスは舟に残しし、四人は辺りを窺いながら砦の中に入った。
砦は全く荒れ果てたままであった。狭い通路、錆びた鉄格子のある小さな窓、海からの湿気でじめじめとおして、草が生い茂っていた。
島の別方向から、漁火が近づいてきて、二つの漁船のシルエットが赤々と照らし出された。
「奴らがやってきた」ポルトスは叫んだ。
「それでは配置に着こう」ダルタニャンは短く言った。
もう、日は暮れていた。

イフ城の地下室には、大きな古ぼけた櫃が中央に置かれていた。
通路からコツコツと、長靴の音が近づいてきて、松明の光が戸口に溢れた。
背の高い体格の良い人影が部屋に入ってきた。
注意深くあたりを見回すと、置かれた櫃に気付き、その蓋に手を伸ばした。
と、そのとき、
「エドアルド・マルキアリ」
ダルタニャンが部屋の影から出てきた。人影ははっとした。
「ふ、お前は…」
「国王の銃士隊長ダルタニャン」ダルタニャンは剣を抜いた。
「ダルタニャンか」マルキアリも剣を抜く。
「会うのは初めてでない。そうだろ」ダルタニャンは挑戦的に言った。
「そうかもしれん」
部屋の影から、剣を抜いたアトス、ポルトス、アラミスが姿を現わし、マルキアリを取り囲んだ。
「お前たちは、三銃士……」
「久しぶりだな」アラミスは言った。
「待て。お前たちの欲しいものを漁船に乗せて連れてきた」マルキアリはにやりと笑った。
「こちらもお望みの金貨を準備した。さあ、人質を渡してもらおう」アトスは冷静に言う。
「だが、鉄仮面。お前の身柄も引き渡してもらう」ダルタニャンは剣の一突きを入れた。
「はっはっは。私が鉄仮面だと?光栄だ」マルキアリはひらりとそれをよけ、部屋から出ると通路を駆けだした。
「待て。逃げる気か。」ダルタニャンは追いかけた。
「ダルタニャン。鉄仮面は任せた。人質は交換しておく」アトスはそれを追いかけるように言う。
マルキアリは狭い城の階段を駆け上がり、塔の上に姿を現した。
「待て。僕と勝負だ!」続いてダルタニャンも塔の上に躍り出た。
「はっはっは。ダルタニャン。十年ぶりだな」
黒い帽子の下の栗色の髪の毛とマントが風にはためいて揺れていた。
「今度は何を企んでる?」ダルタニャンは鋭い剣の一突きを入れた。
マルキアリは軽くかわして、塔の上の反対側に降り立った。
「青くさいところは相変わらずだ」
マルキアリも剣の一撃で応じた。ダルタニャンはそれを受け止め、しばらく睨み合い、丁々発止が繰り広げられた。
「フランス国王をすり替えて何がしたかったんだ?」ダルタニャンはマルキアリの剣を払いながら言った。
「教えてやろう。それは……」

「人質は艀(はしけ)に繋がれている」
漁師の格好をしたジェノヴァの水夫が顎をしゃくった。
暗闇の砂浜に、漁船に繋がれた艀が乗り上げていて、その上に鎖でつながれた集団のシルエットがぼんやりと見える。
身代金の入った櫃を数人がかりで担いで漁船に載せる水夫たちに付き添いながら、アトスは、ポルトスとアラミスに視線を投げた。
ポルトスとアラミスは艀まで走った。
波打ち際を渡り、艀までたどりつき、人質たちの顔を松明で照らし出した。
「君たちは…?」ポルトスは尋ねた。
鎖でつながれた11人の男たちは一斉に顔をあげた。
「あ? 俺たちは、マルセイユの港の人足だよ」
「そうそう。リグリア訛りの旦那が金貨をくれて、ここに乗っていろって言われたんだ」
「サン・マルグリット島監獄の囚人ではないのか?」アラミスも尋ねる。
「何それ?」一同きょとんとした顔を見合わせた。
「ちっくしょう、騙しやがって!」ポルトスは足踏みした。
そのとき、身代金の入った櫃を乗せた漁船は砂浜から海に滑り出した。

「はっはっはっはは…!」マルキアリの高笑いが聞こえたような気がした。
「教えてやろう。ダルタニャン。それは、報復だからだ!」塔の上のマルキアリは凄みのある声で叫んだ。
「報復……?」ダルタニャンは思わず後ずさりした。
潮風が二人の間を吹きぬける。
「1625年のジェノヴァ攻囲を覚えているか?」
マルキアリが言葉を発したその瞬間、砲声の轟きと共に、塔が爆発しながら崩れ落ちた。
「うわっ!」ダルタニャンの姿は瓦礫の下に見えなくなった。

「しまった!死角だった!」アトスが振り向くと、そこには、
大きなメデューサ号の船影が近づいていた。
「はっはっはっは……!」高笑いを空気の中に残したまま、
マルキアリは塔の残骸から飛び降りると、マントをはためかせて、漁船の上に着地した。
「諸君、また会おう!」

「ダルタニャン!」ポルトスは我に返ると崩れ落ちた塔に向かって駆けだした。
アトスとアラミスもそれに続く。
「大丈夫か!?ダルタニャン」瓦礫の隙間から声をかける。
「返事がないぞ」
ポルトスは腕まくりをすると、瓦礫の下の梁を持ち上げた。細かい埃が一斉に落ちてくる。
隙間を入っていった、アトスが喜びの声をあげた。
「いたぞ!」アラミスと二人がかりで、気を失ったダルタニャンを引き出した。

そのとき、再び砲声が鳴り響き、メデューサ号から二、三発の砲が付近に着弾した。
イフ城の古い砦は、ガタガタと音を立てて崩れ落ちはじめた。
「舟に戻るんだ!」ダルタニャンを抱えながら、三銃士は砲声のあいだを走りぬけた。

メデューサ号の甲板の上では、崩れゆくイフ城をマルキアリが遠巻きに見ていた。
「……。」
脳裏には、はるか昔の記憶が色鮮やかによみがえる。
「フランス軍が攻めてきた―!」
背後に迫る山々から、ある日突然轟いた砲声。
段上にへばりつくように建った中世の壮麗な建物の間を人々が逃げ惑う。
城壁に沿った山頂の要塞が、次々に爆破され崩れ落ちて消えた。

「おかしら、身代金の櫃が開きました」
ベルナルドの声にふと我に返ると、甲板には、斧で一撃に斬られた櫃がぱっくりと開いていた。
「どれ…」
中のものを手探りで取り出すと、それは金貨ではなく
石ころであった。櫃には、石ころがつめられていたのであった。
「あいつら…騙しやがって!」ベルナルドは地団駄を踏んで悔しがった。
「ふん、狐と狸の化かしあいか……。すぐに、マルセイユを出る!」マルキアリはそれを介さないかのように
短く言った。
「人質を持ってジェノヴァに戻る。すぐにだ」
「しかし…」ベルナルドが口をはさんだ。
「飲料水の蓄えがありません。このまま海に出たら、皆干からびてしまいます」
「…なんだと?」マルキアリが尋ねた。
「補給にいった連中が戻って来ません」
「ぶどう酒ではだめか?」
「マルセイユ中を探しましたがぶどう酒が品切れでした」
マルキアリはしばらく唇を噛んだ。
「仕方があるまい。フィリップひとりを残して他の囚人はマルセイユに置いていけ。明日の夜上陸して飲料水を確保する。いいな」
マルキアリは、夜のしじまに窓の灯がぼんやりと輝く港町の方角を見つめた。



第30話 終わり

fig. マルセイユ沖のイフ城
http://en.wikipedia.org/wiki/File:IsledIf_ChateaudIf_Marseille_NDDLG_11032007_JD.jpg
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