十年後!

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  第32話 セイレーン号の積み荷  


湿気が立ち込める、光の刺さない船室では、人いきれで空気が濁っていた。ところどころ、囚人たちの手足にはめ込まれた鎖がじゃらりと音をたてた。
「もう何日目だ。俺たちがここに押し込まれたのは」顎鬚が異様にのびたしわだらけの囚人が声をあげる。
「サン・マルグリット監獄に比べればましだろ。少なくとも床が木だからな」もうひとりが力なく言った。
「これからどこに連れて行かれるんだろ」
「どこにいったって変わるのは牢屋番だけ。どうせ、俺たちは囚われのまま一生を終えるのさ」
「あきらめるな」囚人たちは一斉に声の方向を振り向いた。
「あんた誰?特別室にいた囚人だろ」
フィリップは、他の囚人たちとは離れた場所に座っていた。
「あんた、今までいい暮らししてたんだろ。俺たちは何十年間もあそこに閉じ込められていたんだよ」
「違う」フィリップは答えた。「わたしも生まれたときから囚人のようなものだった」
「嘘だよ。そんな贅沢な囚人なんてありやしない!」周りの男たちは笑った。
「どんなに贅沢なものであっても囚人であることには変わりない」フィリップはつぶやいた。
「だが、ここを脱出したとしてもどうやって生活しろというんだ?乞食をして暮らせというのか」
「あきらめるんじゃない」フィリップは立ち上がった。「運命は変えられる」
フィリップは、食事が入っていた陶器を力任せに床にたたきつけた。陶器は、がしゃりと音をたてて粉々に割れた。
その割れて鋭くとがった破片を、ひとつずつ囚人たちに渡した。そして、懐に隠し持っていた短剣で、ひとりひとりの縄を切っていった。
「おお、これで動きが楽になった」
「次にここから移動させられるときがチャンスだ。皆で看守を襲うんだ」フィリップは声をかけた。
10人の囚人たちの目に光が戻った。
「もし、生きて帰ることができて、食べるものに困ったら、ノワジーの私を訪ねて来てくれ。そこで農園を営む予定だ」
「あんたの名前は?」
「フィリップと呼んでくれ」


白い石灰岩の岩場に背の低い灌木がおいしげる、カランクでは、
人影はなく、そこに一層の巨大なガレオン船の船影が近づいてきて、静かに碇を降ろした。
岩場の影から、二人のイスラム商人が姿を現した。
ひとりは浅黒い肌にターバンを巻き、白いローブを身に着けていた。もうひとりの若者は、ヨーロッパ風の顔立ちに、イスラム風のズボンとチョッキを着こんでいた。
船から水夫が顔を出した。「アリーか?」
「この人はフランス語がしゃべれないんだ。ベルナルドさんとの約束どおり明礬3箱用意した」若者が代わりにパリの下町訛りのフランス語で答えた。
「よし、舟に乗せろ」
船腹の巻き上げ機からロープを二本おろし、棺桶のような箱の両側に括り付けた。巻き上げ機が回ると、ロープがするするとあがって、箱がひとつずつ船の上に上がっていった。
最後の箱を揚げる時、ロープがガタンと揺れた。
「その箱は重いんだ。気を付けて!」若者が声をあげた。

マルセイユ。大小さまざまな船が並ぶ埠頭では。
青い空に鴎が舞っていた。
「ダルタニャン、もう元気になったのね。よかった」ダルタニャンとコンスタンスが並んで歩いていた。
「コンスタンスのスープのおかげだよ。ほら」額に包帯を巻いたダルタニャンは、手足を動かしてみせた。
「やっぱり…。小さな家を探そう」ダルタニャンははにかみながら言った。
「覚えてる?昔二人で建設中の家を見たことが合ったよね。あのくらいがちょうどいい。手を伸ばせば暖炉が近くにあって、そこにコンスタンスのスープが温まっている」
「本当?いいの?」
「いいんだ。僕はコンスタンスが昔と変わらないで傍にいてくれる方がいい」
「私はいつでも私よ」
「僕は、そんなに変わっちゃった…?」ダルタニャンは心配そうにコンスタンスの目を覗きこんだ。
「いいえ。変わらないわ。いつまでもずっと」コンスタンスは確信をもって答えた。
そのとき、遠くから声がした。
「おーい!お若い隣人よ」漁船の上からカタルーニャ語で漁師が手を振っていた。
「ああ、いつぞやのおじさん」ダルタニャンも手を振り返した。
「今からバルセロナに帰るんだ。明日風の向きが変わって、満潮になる。これを餞別にやろう」
カタルーニャの漁師は釣ったばかりのスズキをダルタニャンに手渡した。
「煮込みにして食べれば精が付くよ」漁師はダルタニャンの額に巻かれた包帯を見やりながら言った。
漁船は、ダルタニャンとコンスタンスが手を振る中、帆に風を受け、沖合へと出航していった。
「ねえ、ところでコンスタンス。アトスやジャンたちはどこに行ったんだ?」
手を振りながら、ダルタニャンはコンスタンスの顔を見た。

再び、セイレーン号の船室の中では、カランクから荷揚げしたばかりの三つの明礬の箱を水夫たちが数人がかりで運びこみ、船室の床に置いて出て行った。
誰もいなくなったときに、明礬の木箱が中からそっと開いた。
顔を出したのは、アトスだった。
「ああ、窒息しそうだった」
隣の箱からアラミスも顔を出した。ポルトスは窮屈そうに箱から出た。箱の縁がめりめりと音をたてて壊れていた。
三人は、あたりをうかがいながら船室から出ると、奥の通路へと走った。
「奥の船室にフィリップ殿下がいるはずだ」
先にたどり着いたアトスが声をあげた。
「変だぞ。部屋が開けっ放しだ」
アラミスとポルトスも、鉄格子のはまっている船室に飛び込んだ。
そこには人影はなく、フィリップの姿もなかった。
そのとき、頭上で騒がしい声がして、兵士たちがバタバタと甲板に駆け付けていた。
「大変だ!囚人たちが反乱を起こしたぞ!」

カランクの岩場の間で、イスラム商人の格好をした若者、ジャンは
巻き上げ機のロープが降りてくるのを待ち構えていた。
「遅いぞ。ひょっとして10人の囚人を降ろさずに逃げるつもりじゃないだろうな」
そのとき、セイレーン号の甲板の上で銃声が聞こえ、騒がしくなった。
「アトスたちが見つかっちまったのか!?」不安になったジャンは、巻き上げ機のロープをたぐりながら船腹をよじのぼっていった。

甲板ではフィリップと囚人たちが、水夫相手に乱闘騒ぎを起こしていた。
「ええい、やっちまえ!」兵士が刀を抜いた。
「駄目だ。特別室の奴は傷つけるな。後の者は見せしめに皆殺しでいい」傍らの兵士がそれをとどめる。
「待て。私たちが相手になろう。囚人たちに手を出すな」
そのとき、アトス、アラミス、ポルトスが甲板に躍り出て剣を抜いた。
「殺れ!」兵士たちも剣を取り、乱闘が始まった。
アトスは、周りを取り囲まれた3人の兵士たちを相手に、次々に剣を払っていた。
ポルトスは力任せに拳を振り回して、大男の水夫たちを投げ飛ばしていた。
アラミスは、甲板の隅まで来ると、数人の兵士たちに取り囲まれた。
最初のとびかかってきたひとりの剣を払い、次の兵士の片腹に蹴りを入れた。
そのとき、横から出てきた男が斧で足元を打ち付けた。
「卑怯な」アラミスはそれをよけると床に転がった。
兵士が斧を振りおろしながら、それをかわすアラミスを船の端に追い詰めて行った。
「へっへっへ…」
「死ね!」ついに、渾身の一撃を頭上に振り下ろそうとした。
アラミスは思わず目をつぶる。
そのとき、鈍いどさっという音とともに、その兵士がいきなり崩れ落ちた。
後ろから現れたのはフィリップだった。
手に持った短剣は、兵士の脊髄に突き刺さっていた。。
フィリップは暖かな血しぶきをあびた手を見て、一瞬たじろいだ。
「…殿下!」アラミスは短く叫んだ。
フィリップは血を流しながら床に転がった兵士の手から斧をとりあげて、構えた。
「アンリ四世の息子の死にざまを見るがよい!」
斧を振りまわしながら、とびかかってくる兵士の攻撃を受け止めた。
ポルトスは、マストの支柱をめりめりと引っこ抜くと、それを振り回し、
数人の兵士たちを海の中に落とした。
「駄目だ。大砲を持ってこい、こいつらに向かってうちこめ!」残り少なくなった兵士たちの長が叫んだ。
「無理だよ。全部海に捨てちゃったもん」いつの間にかセイレーン号に上がりこんでいたジャンが答えた。
「なにぃ?」
戦闘は二時間で決着をつけた。セイレーン号のマストの上に白旗があがった。
「降参だ!」
船に残っていた数人の兵士と水夫が両手を挙げた。
「この船は我々が占領した。捕虜になってもらおう」アトスが答えた。
「自由だ。すげえや。俺たちは自由になったんだ」サン・マルグリット監獄の囚人たちは口々に叫んだ。
「ありがとよ。フィリップ」
フィリップは照れながら、アラミスの目を見た。

マルセイユの埠頭では、もう日が暮れかけていた。
「さあ、もう宿に帰ろうか」ダルタニャンは、カタルーニャの漁船が水平線の向こうに消えた後、
燦然と輝く夕日を見ながら、コンスタンスに声をかけた。
そのとき、堤防の向こうから、見慣れた青い制服の男たちが姿を現した。
「たいちょぉぉぉぉぉぉーーーー!!」
ダルタニャンの姿を認めると、銃士たちは一斉に駆けだした。
「ご無事でしたか!?」
「よかった。隊長がお元気で」
「僕らも一緒に戦います!」
ダルタニャンは駆け寄ってきた部下の銃士たちの顔を見た。
「君たち、いいのか。パリでの当番は……」
「隊長がここで命を賭けているときに、僕らはマザランの傍らにいたくありません」
「隊長がいない銃士隊に残っているのは嫌です」
「死ぬのなら隊長と一緒です!」
「ありがとう。みんな……」ダルタニャンは言葉につまった。
そのとき、背後からアトスの声がした。
「フィリップ殿下も加わるそうだ」
ダルタニャンが振り返ると、アトス、アラミス、ポルトス、ジャンの傍らにフィリップが立っていた。
「殿下。ご無事で……」十年ぶりにフィリップの顔を見たダルタニャンは帽子をとった。
「早速殿下は、セイレーン号を占領なされたのだ」
「ははは、三銃士が救い出してくれたのだ」フィリップは笑った。
「よし、みんな。ここで誓いだ」ダルタニャンは剣を抜いて、夕日に掲げた。
「明日は全員で総攻撃を行う」
男たちは一斉に剣を抜いて、夕日に掲げる
「ひとりはみんなのために! みんなはひとりのために!」一同
地中海の太陽の最後の光を受けて、数十の剣身が一斉にきらめいた。

そのとき、既に夕日が残り少なくなった海から、
大きなガレオン船の船影が岸に向かって、ゆっくり、ゆっくり近づいてきた。
「おい、何だあれは……!」
「こっちに向かってくる!上陸する気だ」
その場にいた人は口々に叫んだ。
メデューサ号を先頭に、残り八隻の船団は上陸準備を開始していた。





第32話 終わり

fig. カランク風景
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Vue_on_Marseille_and_Cassis_Calanques.jpg

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