十年後!

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  第29話 白の女王  


白い鴎亭のバルコニーでは、ダルタニャンとアラミスが風に吹かれていた。
港に面した四階にあるこの場所からは、マルセイユ港が一望できる。
「さてと、僕たちはマルキアリをおびきだす」ダルタニャンは、港を眺めながら言った。
「だが、どうやって?」アラミスは腕を組んだ。
「どの船に乗っているかもわからない。正面から訪ねていくしかない」
「だが、ダルタニャン。もし、マルキアリが鉄仮面だとしたら、直接対決した僕たちは顔を知られているじゃないか」
「そうだ。普通に乗り込んでいっても警戒されるだけだ」ダルタニャンも腕を組んで、しばらく考えていたが、やがでポツリと言った。
「変装、するしかないな」
「変装か…。何にしようか……」アラミスも繰り返した。
バルコニーの下に視線を落とすと、建物の間に小さな運河が流れていて、その脇では洗濯女たちが、おしゃべりしながら洗濯の最中だった。赤や黒、青、色とりどりのお仕着せや晴れ着、マントが、洗い上げられ紐に張られて、風にはためいていた。
洗濯女たちの衣類をしばらく見つめていたダルタニャンは急に叫んだ。
「そうだ!いい考えがある」
ダルタニャンは部屋に戻ると、バルコニーにいるアラミスにチェスの駒を放り投げた。
「…?」アラミスが受け取ったのは白のクイーンだった。
「黒の王をおびき出すのは、白の女王だ!」ダルタニャンは続ける。
駒を見つめていたアラミスはダルタニャンに視線を移す。
「で、君は?」
「僕は白のナイト」馬の形の駒を見せた。

マルセイユ沖合2マイル。洋上のメデューサ号では。
「おい、あれを見ろ。」船首楼に居た見張りの水夫が声をあげた。
「何?」
「女だ。女がひとり海上にいるぞ」
「あ? 夢でも見たんじゃないか?」
「夢じゃない。女がひとりと従者を乗せた小舟が、近づいてくるぞ!」
「どけ!」もうひとりの水夫は望遠鏡を覗き見た。
小舟の舳先に、背の高い貴婦人がひとり仁王立ちになっていた。金の縫い取りのある、青いダマスクス織のスカートが風にはためいていく。
きつく結い上げた髪は、斜にかぶった男物の羽根つき帽子の中にしまわれていた。女はマザランの署名のある書状を空高く掲げていた。
小舟の後ろでは、従者がひとり櫂を漕いでいた。
白い縦ロールの巻髪のかつらをつけ、ぴんとはねた口髭をたくわえ、悪趣味なほど派手な赤と黒の上着を着て、バスク地方独特のベレー帽をかぶっていた。
地中海の陽光は、櫂が水しぶきをあげるたびに、キラキラと反射していた。

「おい、何か書つけを持っているぞ」水夫が言った。
「ロープを降ろせ。船長に取り次げ!」
船弦から昇降用ロープが降ろされ、貴婦人と従者がその戸板に飛び乗ると、巻き上げ機が動き、戸板はするすると上に上がっていった
「宰相マザランの使いで来た。首領に会わせてくれ」従者は船に上るなり言った。
それは、変装したアラミスとダルタニャンだった。

「私の船にようこそ。お訪ねいただくとは実に光栄だ。勇敢なマダム」
船長室では、背の高い褐色の髪の男が座っていた。黒いビロードの上着をまとい、日に焼けた額の中央には十字の刀傷がついていた。
「私が、エドアルド・マルキアリだ」男は立ち上がった。
「これをご覧ください」アラミスは、マザランからの信任書を前に掲げた。
「はっはっは。マゼランも実に私を高く買ってくれたものだ。ジェノヴァ共和国海軍提督のこの私に女の使者をよこすなどとはな」
「用件は軍事に関することではなく、取引の申し出なのです」アラミスはひるまずに言った。
「して、何がお望みか」
「囚人の交換。サン・マルグリット島で捕虜にした十一人の囚人を全員をひきわたすこと」
「それで、何とひきかえる?」
「身代金」
「はっはっは」マルキアリは急に笑い出した。「ならぬ!」
「サン・マルグリット島は我々の領土だ。以前フランスがジェノヴァに攻め込んだとき、私がスペイン艦隊とともに占領し砦を築いた。それを取り返して何が悪い!」
マルキアリは凄みのある声で言った。
「だが、囚人は、貴方にとって何も価値はないはず」
エドアルドはにやりと笑った。
「マダム。それではその囚人がどんな重要な意味を持つか貴女はご存じなのか?」
「いいえ」
アラミスは、つかつかと前に歩み寄り、傭兵隊長の胸にピストルを突きつけた。
「では、これで本気で取引をする気になるか。返事を聞かせてもらおう」
「はっはっは。これは面白い。マダム。狙いは俺の心臓にドンぴしゃだ」
周りの兵士たちは一斉に剣を抜き、銃を構えた。ダルタニャンもつられて剣を抜く。
マルキアリはふいに両手を挙げながら叫んだ。
「皆のもの剣を納めろ。我が軍の鉄の軍規では、女に刃を向けることができないのだ」
「明日の夜、イフ城の地下にに一万リーブルの金貨を用意する。11人の囚人をそこで交換する。わかったな」アラミスは続ける。
「同意しよう。マダム。貴女に再び会いたくなった」
「囚人は無傷だろうな」
「ならばご覧に入れよう」マルキアリは向き直った。
「ベルナルド!客人をセイレーン号までお連れしろ」
部下のベルナルドは、変装したアラミスとダルタニャン連れながら甲板に出た。
ふいに、隣に停泊していたガレオン船が、眼の前に迫り器用に横づけされた。
「こちらだ」
水夫たちが船弦に板をかけると、マルキアリは身軽に板に飛び乗り、隣の船まで渡っていった。
「どうぞ。マダム」マルキアリは薄ら笑いを浮かべながら、アラミスに手を差し伸べた。
アラミスはそれを無視して、板から船に飛び降りた。ダルタニャンが後に続く。
風にあおられたペティコートの下に履いた長靴、マルキアリは見逃さなかった。

マルキアリは薄暗いセイレーン号の船室の廊下を先頭に立って歩いて行った。
突き当りに、小さな明り取りの窓がある船室があった。窓には鉄格子がはまっていた。
「11人無事収容されている。見てみるんだな」マルキアリは顎をしゃくると甲板に戻っていった。
「僕はここで見張っている。君はフィリップ王子を見つけるんだ」
二人残されたダルタニャンは小声でアラミスに囁いた。
「わかった」
アラミスは奥の部屋まで進んでいくと、扉にはめ込まれた鉄格子の窓に近づいた。
「デルブレー修道院長!」暗い船室からひとりの男が駆け寄ってきた。
「来ては駄目だ。ここに来てはいけない!」叫びながら近づいてくるのはフィリップだった。
「殿下!」アラミスは鉄格子の隙間から手を伸ばした。
「必ず助け参ります。それまであきらめないでください」
「逃げてくれ。あの男は……!」フィリップが言いかけた途端、
「アラミス、人が来るぞ!」通路にいたダルタニャンが叫んだ。
「殿下、これを。」アラミスは短剣を鉄格子ごしにフィリップに手渡した。
ダルタニャンとアラミスは、兵士に付き添われて慌てて通路を駆けあがり、甲板の上に出た。

「はっはっは。どうやらお前たちが只者ではなさそうだ」
甲板には刀を抜いた兵士たちが、二人を囲んだ。
「私の船に乗り込んだからには、生きては帰さぬ」マルキアリは高らかに言って剣を抜いた。
「殺れ!武装した女は別だ。手加減しなくてもよい」
ダルタニャンは剣を抜いた。アラミスは長靴から銃を引き抜いて構えた。
「僕が相手だ!」ダルタニャンはマルキアリの前に立ちふさがり、丁丁発止がはじまった。
マルキアリが怪力で剣を突くと、ダルタニャンは身軽によけ、甲板の縁の手すりに飛び乗った。マルキアリも手すりに飛び乗り、お互い剣を交える。
と、そのとき、風が吹いてダルタニャンのかつらがずれ、目の前にかぶさった。
「うわっ!」すかさず、マルキアリはとどめの一撃を加えようとした。
「ダルタニャン危ない!」アラミスは銃の引き金を引いた。
「おぬし!」弾がかすったマルキアリがよろける。
背後から迫った兵士の剣を、再び銃弾でとばすと、アラミスはその剣を手に取った。
ダルタニャンはマストに駆け寄ると、帆を張るロープをつかみ助走をつけ、ターザンのように空中に舞いあがった。
「アラミスこっちだ!」
そして、二・三人の兵士たちと剣を交えながら船尾に追い詰められていったアラミスをそのままかっさらうと、二人は海上に躍り出た。紺碧の海と空に溶け込むかのように青いスカートがはためく。
そのまま小舟めがけて着地した。
メデューサ号と、セイレーン号の船腹の砲門が一斉に開いた。
「ダルタニャン、狙われているぞ!」
「危ない!伏せろ!」
砲門が火を噴くよりも前に、ダルタニャンはアラミスの腕をつかんで海の中に飛び込んだ。
頭上では砲弾が着水して、水しぶきを上げていた。
標的を水中に見失ない、次第に大砲の音も空中で薄れて行った。

ちょうどそのころ、マルセイユの市庁舎前で、ひとりの貴族が足を止めた。
何かを包んだシーツを手に持って、市長に面会を求めていた。アトスだった。
「市民たちの安全にかかわる問題だ。すぐにお達し願いたい」
アトスは長いガウンを身にまとった市長の前に通されると、手に持っていたシーツを広げた。
中にあったのは、犬の死体だった。
「私の飼い犬が、市場前の井戸で水を飲んでいたら、急に苦しみ出してその二時間後に死んでしまったのです。あの井戸水には毒が入っているのではないでしょうか」アトスは言った。
「なぬ。それは一大事だ。すぐにあの井戸水を飲用禁止にする!」市長は命令をくだした。。
しばらくして、街の中央市場にある井戸に官吏があわただしく走ってきて張り紙を貼った。
<毒、飲用禁止>
アトスは、同じ張り紙を手に入れると、市街地じゅうの井戸に貼って歩いた。

「やあ、おやっさん!」
ポルトスはワイン売りの店を訪ねた。
「おや、旦那?」店主が出てきた。
「この前聞いた、極上のコート・ド・ローヌのぶどう酒なんだけど、すまないが譲ってくれないか」ポルトスは店主にそっと耳打ちした。
「実はマザラン猊下がご所望なんだ」
「しかし、これはジェノヴァ提督とのお約束でして……」
「おい、店主。お前はフランス人だろう。フランスの宰相の注文の方が優先だ。猊下のご機嫌を損ねてもいいのか」
「いや、それは…。もちろん猊下にお売りします。ただ……」
ポルトスは店主に金貨を握らせた。
「マザラン殿はこの店全部のぶどう酒を買い取ってくださるそうだ」
「しかし…。相手は地中海の鮫ですから、仕返しが怖うございます」
「まかせろ!」ポルトスは胸をドンと叩いた。「俺の名はデュ・バロン。国王の銃士隊の副隊長をやっている。もし、あいつらがこの店に手出しをしたら俺がやっつけてやる!大船に乗った気持ちでいればよい」
「はあ」
「じゃあ、荷車を手配する。よろしくな」ポルトスはにこやかに店を出た。
その二時間後には、人足たちがやってきて、その店のぶどう酒を一滴のこらず持って行ってしまった。

入江につながれた半ば朽ちた小舟の陰で、ダルタニャンは海から顔を出した。
「プハー」小舟に先に上ると、アラミスの腕を引っ張り上げた。
「大丈夫か」
「ああ。すまない」アラミスも小舟に上がった。
「だいぶ遠くまで泳いだな」
ダルタニャンが目を凝らすと、沖合には九隻のガレオン船の影がまだくっきりと見えていた。
「ここなら、砲弾も届かないだろう」海から上がったアラミスの髪はほどけて肩にかかっていた。
ダルタニャンも、自分のかつらと付け髭がとれてなくなっているのに気がついた。
そのとき、砂浜を歩いてくるひとりの人影に気が付いた。
「あれは…。サンドラスじゃないか!」
ダルタニャンは水で重くなった長靴を脱ぎながら手を振った。
「おーい!サンドラス!」
「隊長!ダルタニャン隊長!」サンドラスも手を振り駆け寄ろうとした。
そのとき、何を見たのかぎくりとして、急に背を向けて逃げ出した。
「何だい。あいつ。急に逃げることはないだろうに」
「サンドラス?」アラミスは尋ねた。
「僕の銃士隊の部下だよ」長靴を脱いだダルタニャンは答えた。




第29話終わり
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