十年後!

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  第28話 ジャンの挑戦  


パリ、マレ地区のボーモン邸。天井裏の色鮮やかに塗られた、瀟洒な内装のサロンでスカロンは書き物をしていた。
「こんにちは。スカロンさん。コートの直し仕上がったよ」ノックの音と共にジャンが入ってきた。
「やあ、君は、はだしのジャンじゃないか。久しぶり」
「実は、スカロンさん。今日はちょっと聞きたいことがあるんだ」
ジャンは鞄の中から一冊の本を取り出した。
「この本の中に、不思議な大砲の仕組みが書いてあるんだ。だけどラテン語だから読めないや。スカロンさんに読んでほしいんだ」

「どれどれ。アタナシウス・キルヒャーの『光と影の大いなる術』だな」スカロンは革表紙をめくってページをたぐりよせた。
「何なんだ。キルヒャーって」
「ローマのイエズス会の碩学じゃよ」
「で、ここに書かれた大砲の仕組みを見てくれよ」
「これは。集光鏡だ」
「集光鏡?」
「昔、シラクサにローマ海軍が攻めてきたとき、アルキメデスはこの集光鏡を使って、艦隊を燃やして撃沈させたんだ」
スカロンはふと、後ろの本棚に近寄ると一冊の本を取り出し、息をかけて埃をはらった。
「1560年にリヨンで出版されたゾナラスの年代記にも書いてある。

それから彼は驚くべき手段によって全ローマ艦隊を焼いた。
ある種の鏡を輝く太陽に向かって掲げて
太陽光線を受け取るのだが、当の鏡がとても滑らかで
すべすべしているために、空気に火がついて、
艦隊にまっすぐに向けられた大いなる炎は
それらを焼き尽くした。
それゆえ、マルケルスは望みを絶たれた」

「ねえ、でも、鏡だけで、本当に舟に火がつけられるのか?」
「古代の人々は、我々の計り知れないすぐれた知恵と大いなる術を持っていた」
「どうして今まで伝わっていないんだ?」
「国が亡び、年月が過ぎ去り、人々の記憶から消えていってしまったんだ。そこで、学者たちは失われしローマの偉大な文明を甦らせようとしてきた」スカロンはジャンに語った。
「キルヒャーの集光鏡の理論はこうじゃ。ひとつの焦点を想定した無数の鏡を輪上に組み合わせることにより、鏡の威力を倍増できる。そしてその輪を太陽の向きに合わせて動かし、舟まで届くようにするんだ」
「すごいや!」
「友人のデカルトは 極端に大きい鏡でなくては不可能だと言っておるが。まだだれも実際に試したことはないんだ」
「もし、この光の砲を今よみがえらせることができれば、これはすっごい武器になるよ」
「ははは。青年。やってみるがよい」
「おいらが?」
ジャンは思わずためらった。
「だって、おいら仕立て屋だし。それに戦う艦隊だって……」そこまで言いかけてジャンは膝を叩いた。
「そうだ。艦隊はマルセイユにいる!」
「地中海の太陽は強い。シラクサと同じくらいの光線を得ることができる」
「でも、鏡は高価だし。おいらみたいな庶民ができることじゃないや」
「いいことを教えてあげよう。ジャン。キルヒャーの本にある図面を書き写して、国防についての意見書を作るんだ。それを持って、マザランのところに行くとよい。もしかすると制作費をもらえるかもしれん」
「マザランが?そんなことまでしてくれるの?」
「君の実験が、王国のために役に立つということが証明できれば、な」
「マザランが断ったら?」
「そのときは、ボーフォール公や、コンデ大公や、有力者のもとに行くとよい。私がその提案書の下書きを書いて推薦人になってやろう」
「ありがとう。やってみるよ。スカロンさん」

ジャンはその日のうちにマザランの新王宮の請願の間の控室に駆け付けた。
「ああ、坊主。何の用だ?今日の分の請願の受領は終わったよ」役人が戸口に出てくるなり言った。
「時間がないんだ。マザラン、い、いや猊下に会いたいんだ」
「駄目駄目。猊下との謁見を三か月待っている人もいるんだ」
「新しい武器の話なんだ」
「遠くの田舎から出てきて謁見待ちの人だっているし、何しろ、新しい教会の建設の請願だって許可が下りるのが半年待ちなんだ。帰んな。坊主」
「ちぇッ」ジャンは舌打ちした。

「やっぱり駄目だったよ、けちんぼマザランじゃ」ジャンはふてくされながら、スカロンを訪ねた。
「ならば、ボーフォール公のもとに行くとよい」スカロンは笑いながら言った。
「でも、おいら貴族じゃないよ。会ってくれるのかい?」
「私が紹介文を書いてあげよう。ボーフォール公は、私の詩集の出版を援助してくれた恩人だ」スカロンは文机の上で、さらりと紹介状にサインをした。そしてジャンに手渡しながら言った。
「ジャン。覚えておくがよい。貴族というのは、民衆から取り立てた税金で贅沢な暮らしをしておる。だけれども、彼らは、そのお金で科学や芸術を応援してくれるんだ。貴族を憎むだけじゃなくて、彼らの力をうまく使ってやっていくというのも大事なことなんじゃないかな」
「わかったよ」紹介文を受けとったジャンは神妙になった。

「こんにちは。公爵」
ジャンは、ロジェ通りのボーフォール邸で、落ち着きなさそうに部屋に入った。
「ああ。フロンドの乱での君の働きは覚えているよ。勇敢な青年」
暖炉の前に腰掛けた公爵はジャンの姿を見てにっこりと笑った。
「おいらの、いや、僕の名前はジャンといいます。あの、普段は仕立て屋をしています」
公爵は、髭をなでながら、ジャンの書いた図面と計画書に目を通した。
「なるほど。面白い実験だ。もし、集光砲が実用化されればフランス軍にとって画期的な戦力になる」
「ね、そうでしょ!、い、いや、さようにございます」
「先立つものとしてまず、これを使いなさい」金貨の入った袋をわたした。
「こんなに?いいんですか?」
「はっはっは、マルセイユに行く旅費だ。ちょうど邸宅の部屋を模様替えしようと思っていたところだ。古い鏡がたんとある。それを使いなさい。足りなければ買い足しても良い」
「あ、ありがとうごございます」
「お礼の代わりといってはなんだが、その集光鏡の威力がいかほどのものであるか報告書を書いてもらえばよい」
「公爵。このご恩は忘れません」
「君の創意工夫を、皆のために役立てられれば、私は満足だ」
ボーフォール公は朗らかにジャンを見送った。

ジャンは工房の自分の作業場に戻ると、さっそく木でできた模型を組み立て、紙に図面を引いた。
「ええと。反射角に対して、太陽の向きを計算すると……」
そのとき、扉をノックする音がした。
「どうしたの?ジャン。食事もとらないで。スープが冷めちゃうわよ」コレットが言った。
「ああ、後にしてよ」ジャンは自分の世界に没頭しながら言った。
「必要な鏡は三千枚か…。」
夜が明けるころ、ジャンはため息をついた。

三千枚の鏡を集めての組み立て作業は、パリ城外の風車小屋の中で行われた。
「おーい!兄弟。手伝いに来たぜ!」辻音楽師のマルタンが顔を出した。
「いいところに来た。部品を切るのを手伝ってくれよ。」ジャンは梯子の上から叫んだ。
「あいよ。フロンドの乱が終わって退屈してたろ。あんた頭がいいんだからさ、でっかいことをやりとげてくれよ」
マルタンは鋸を引きながら快活にからかった。
ジャンが風車小屋に籠って一週間がたった。
「よし、あとは、マルセイユに行って組み立てるだけだ。」
ジャンは全ての部品を幌付の馬車に乗せた。

「ジャン。最近一体何に夢中になってるの? いつ寸法を取りに来てくれるのか、催促がきたわよ」
工房に帰るとコレットが腕を組んで待ち受けていた。
「悪いけどコレット。今大事な仕事をもらったんだ。代わりに寸法をとってきて欲しいんだ」
コレットは首をすくめた。
「いいの?私で?お客様が減っちゃうわよ!」
そのとき、戸口にひとりの青年が姿を現した。
「親方はいますか?」
「ジャンは今仕事がいっぱいで…」コレットが代わりに答える。
「いや、コンスタンスのお父上のボナシューさんにお会いしたい」
帽子をかぶり、銃士隊の制服を着たその青年は、サンドラスだった。
「ボナシュー親方は、今は馴染のお客以外の仕立ての仕事を受けてないよ」ジャンはようやく顔を出した。
「いいえ。あの。その用件ではなく、お父上と内うちにお話ししたく……」
ジャンは、邪魔が入ってやれやれという顔で、青年銃士を奥の部屋まで案内した。

サンドラスはいきなり部屋に入るなりボナシューの前に跪いた。
「あの。コンスタンス嬢を僕にください!」
ボナシューは、驚きのあまり椅子から半ばずり落ちた。
「いや。あの……」
「わかってます。お嬢さんは隊長の婚約者だってことは…!僕は隊長を尊敬しています。でも、僕は見ていて歯がゆかったんです!あの人は戦いが好きで、コンスタンス嬢はいつも置いてきぼり…。僕ならば、コンスタンス嬢と結婚したあかつきには、銃士をやめ父の領地を継いで家族のために生きます。お嬢さんを幸せにする自信はあります!」
「しかし、なあ」
「そこでお父上に僕の気持ちをお話しておきたかったんです。コンスタンス嬢の将来のことを考えるならば、お父上も僕と同じ気持ちになるはずだろうと!」
ボナシューは静かに言った。
「こういうことは、本人の気持ちも聞いてみんとなあ……」
「お父上はどう思われるのですか?お嬢さんをこのままにしておいていいと思われているのですか!?」
「そうさな……。本当のことを言うと、娘に早く身を落ち着けてもらいたい。だがな、わしは、まだダルタニャンを信じているよ。娘が選んだ男だからな」
「僕は今からマルセイユに行きます。もし無事に帰ってきたら、そのときもういちどお嬢さんを迎えに来ます」
サンドラスはもう一度顔を赤らめて一礼すると、工房を出て行った。

「お、おいら…別に聞いてしまうつもりはなかったんだけど……親方。あれでいいんですか?」
残されたジャンは当惑しながら尋ねた。
「……。ジャン。わしももう年をとった。仕立て屋はジャンに任せた。あとはコンスタンスさえ幸せになれば、いつ死んでもいい」
「何言ってるんだ!ボナシューさん。そんな縁起でもないこと……」
「ただな、正直なところコンスタンスは本当に幸せになるんだろうか…? 若いすぎるうちに出会ったあのふたりだからこそ、お互いをどれだけ理解しているかわからないまま、大人になってしまったのではないだろうか、時々心配になるんじゃ。ダルタニャンはうちのコンスタンスにはもったいないくらいの男だ。そう、平凡な幸せを望む娘には大きすぎるほどの、な……」
ボナシューは、ぽつりぽつりと言って息をついた。
「そんなことないよ!あの二人はお似合いだよ。おいらにはわかる。
待ってて。ボナシューさん。おいらが何とかしてみせる!」
ジャンは胸を叩いた。
着たままの服から、埃に交じって、キラキラと鏡の硝子の粉が舞い散った。



fig. キルヒャーの集光鏡
http://www.flickr.com/photos/85009674@N00/2815593173/


第28話 終わり
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