十年後!

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  第23話 パリ帰還  


サン・ジェルマン・アン・レー城の王妃の居間では。
「それでは、フロンド派の代表たちは和平条約への署名を要求しているのですね」
アンヌ太后はマザランに話しかけた。
マザランは頭を抱えた。代表団が持ってきた条約文書は枢機卿の机の上にある。
その文面を見直すたびに、苦々しい思いでいっぱいだった。
「連中ときたら途方もない条件をつきつけてきました」
「果たしてそれは?」
「サン・ルイ憲章の受容と監察官制度の廃止。ボーフォール公とシュヴルーズ公爵夫人、レス大司教補らフロンド派貴族たちと宮廷との和解……」
「しかし、貴方がパリを追われずに済み、わたくしと陛下がルーブル宮殿に戻ることを考えたら、考えてもいいのではないでしょうか」太后は静かに言った。
「しかしながら、国家の財政は逼迫しており…」
「別の収入源を確保できませんか」
そこまで言いかけた途端、マンシーニが部屋に入ってきた。
「猊下。ヴァティカン教皇庁の大使が引見を求めています」
マザランは、非礼を詫び太后の居間から退出した。

マザランの書斎の中には、今朝ローマから到着したばかりの司教が3名 マザランを待っていた。
「教皇庁の特任大使です。猊下」大使はイタリア語で話しかけた。
「何か教皇庁から知らせが…?」
「実は、親フランス派のデル・モンテ枢機卿のもとに、このようなものが届けられまして…」
大使は持ってきた黒い箱の中を開けた。
箱の中のものを見るなり、マザランは青い顔になって飛び上がった。
「こ、これは…。」
「一種の犯行予告です。」
「十年前と同じく奴の仕業か?」
「まだわかりなせん。」
「で、何か異変は?」
「ジェノヴァ艦隊が地中海を北上しています。行先はトゥーロンかマルセイユかと予想されます」
「ジェノヴァ艦隊…」マザランは唾を飲み込んだ。
「あの男です。地中海の鮫…!」大使はマザランの顔に声を近づけた。
「わかった。サン・マルグリット島の守備を固めよう」
マザランはつぶやいた。
大使が出て行ったあと、マザランは冷汗をふきながら机に戻ると、ペンをとった。
「わがフランス軍の主力艦隊はフランドル戦争のために北洋上に出払ってしまっている。首府で内乱が起こっているこの機に南方を掠め取られたら元も子もない…」
つぶやきながら条約文書にサインをした。

パリ市庁舎では、フロンド派貴族の首領たちと民衆の代表たちがつめかけていた。
「コンデ大公軍はぞくぞく引き揚げていく…」
そのとき、レ大司教補が部屋に入ってきた。
「たった今サン・ジェルマンから戻った。太后とマザランが和平条約に批准しましたぞ」
文書を高く掲げて叫んだ。
「ついに和平だ!」
「我々の宮廷内での立場も保障されるのでしょうな」
「でも、もう少し粘ったら、もっと得るものはあったでしょうが…」シュヴルーズ公爵夫人は残念そうに言った。
「パリの民衆は飢餓に苦しんでいます。マダム。このくらいで充分でしょう」スカロンがすかさず言った。
一同は皆晴れやかな顔に包まれた。パリ中の教会という教会が勝利の鐘を打ち鳴らしていた。

「ただいま!コレット!」
ボナシューの工房に戻って来るとジャンは元気よく言った。
「ジャン!。無事だったのね!」コレットがジャンに駆け寄る。
「パリ封鎖は終わったよ!明日からまた食料が入ってくる」
「よかった。全て元の通りね…」
「でも少し淋しいな」ジャンはそっと小声でつぶやいた。

サン・ジェルマン・アン・レー城の中庭にでは、銃士隊が続々と戻り集結していた。
「ダルタニャン、ダルタニャン…」
野営続きで埃にまみれた軍馬の間を縫って、コンスタンスが若き銃士隊長の姿を見つけた。
「コンスタンス…!」
ダルタニャンはコンスタンスを抱き寄せた。
「元気で帰って来てくれて良かった」
「しばらくぶりだね。」ダルタニャンは顔をほころばせた。
「……」コンスタンスは急に真顔になった。
「三か月も一体どこに行っていたの?どうして私に知らせてくれなかったの?」
「コンスタンス…それは」
「発つ前に顔を見せて行ってくれてもいいじゃない」
ダルタニャンはそのときに、イギリスに立つ前に最後に会ったのがジャンだったことを思い出した。
「君を巻き込みたくなかったんだ。モードントが相手だからなおさら」
「モードントって…?」
「ミレディーの弟さ」
「ミレディーが相手でも私は平気だったわよ」
ダルタニャンは頭を掻いた。
「違う。コンスタンス…。そういうことじゃない」
どんなふうに説明していいのか、もどかしい気持ちを持て余しながら、 コンスタンスの頬にキスをした。
コンスタンスとは、冒険を分かち合うというよりも、もっと別の種類の時間……それは平穏や安寧といえるものだけれど、それを共にする伴侶なのではないか、今やコンスタンスの居場所はそういうところにあるのではないか、それは確かな確信であると同時に、ひとつの亀裂でもあった。

シュヴルーズ公爵夫人の邸宅の屋根裏では、開け放たれた小さな木枠の窓の外から、様々な鐘の音と路上のざわめきが流れ込んできた。
讃美歌の鼻歌を歌いながら、アラミスはたらいのお湯を手でかくと、 落馬の痕が青く残った白い肢体の節々にあてた。
ちょうと入浴の最中に、迷い込んだ小さな白い蝶が、ひらひらと舞い降り、たらいの縁に止まった。
アラミスはそれに気づくと、やおら大きなシーツをつかみ、それで身体をすっぽり覆い、湯気と水滴をしたたらせながら、立ち上がって窓辺まで歩くと窓を閉めた。
鐘の音は遠くなった。

朝から空は青く晴れた日、サン・トノレ通りの沿道には沢山の群衆がつめかけていた。
今日は国王と太后とマザラン枢機卿が、ルーブル宮殿に帰還する日なのだ。
お召馬車が門から入ってくると、民衆たちは一斉に声をあげた。
「国王陛下万歳!」
「太后殿下万歳!」
銃士隊の制服を着たダルタニャンとポルトスはその馬車の先頭にたって警護についていた。
「そのまま前進!」ダルタニャンは銃士隊に指示を下した。
「ダルタニャン殿!」馬車の窓を開けて幼い国王が顔を出した。
「みんな喜んでますね!」国王は沿道の人々に小さな手を振った。
「国王陛下をパリに再びお迎えできたのが嬉しいのです」
ダルタニャンは帽子をとって答えた。
人々の晴れやかな顔には、数か月続いた食糧難やバリケードの小競り合いが終わったことへの安堵の気持ちもあった。
遠くからルーブル宮殿の城郭が行く先に姿をあらわした。
「ルーブル宮殿だ!」ルイ十四世は叫んだ。
「帰って来た!僕のパリ!」
銃士隊は整然と行列を作りながら、お召馬車とともにルーブル宮殿へと向かっていった。



第23話 終わり


fig. サン・ジェルマン・アン・レー城
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ch%C3%A2teau_de_Saint-Germain-en-Laye01.jpg
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