十年後!

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  第18話 オレイリーを探せ  

アトスとアラミスが楠の木亭の前までたどりついたのは、もう夕方になってからだった。
注意深く扉をノックすると、中から老人の声が聞こえた。
「誰かな?」
「パリ―というお方を探しています」
扉は注意深く開くと、中から白髪で髭をたくわえた老人が姿を現した。
「わしじゃよ」
アトスは急に小声になった。
「私は、ラ・フェール伯爵と申します。こちらはデルブレー卿。実は
とある秘密の要件でお会いしに来たのですが…」
名前を聞いて老人はふっと我に返った。
「ウインター卿の言っていた二人のフランスの貴族のことかね」
「はい」アトスは急にフランス語を話し始めた。
「ウインター卿は…?」
「ニューカッスルで戦死しました。」アトスは目を伏せた。
「国王陛下をお守りしての最期、あっぱれでございました」
「そうか…」パリ―という老人は重い口調で下を向いた。
「そこで、我々がおたずねしたのは…」
アラミスが本題に入ろうとしたとき、パリ―は制した。
「それでは、例の計画を実行に移すときが来たか…」
「例の計画とは?」
「わしは、父祖代々ウインター家に仕えておってな。スコットランドに逃れる前に、卿から遺言を預かったのだ。もし、卿と陛下の御身に万が一のことがあったら、王冠のルビーを外して、フランスに亡命中の王太子に届けよと…」
「して、そのルビーは?」
「かねてから卿はその側近に、宝石職人のオレイリーに王家の調度品の手入れと修復を依頼しておった。私は2日前に事態の急を告げ、密かにその王冠からルビーを外させたのじゃ。今朝、オレイリーとここで落ち合うことになっていたが、しかし、もう二時間たっても来ん」
「オレイリーの居所はわかりますか?」
「テンプル17番地だが」
パリ―とアトスとアラミスは、楠の木邸を出て目的地へと向かった。

オレイリーの家は、職人たちが密集して住む建物の三階にあった。その家の中は、狭いけれど清潔で居心地の良い調度が置かれていた、
「オレイリー、元気か?」老人パリ―は不安げにドアをノックした。
何の音もたてずに、静かにドアが開いた。
そこには、家じゅうが引っ掻き回され、行李はひっくり返され、絨毯ははがされていた。
オレイリーの妻が呆然自失の態で座っていた。その隣で小さな飼い犬が吠えていた。
「大丈夫ですか?奥様」アラミスはオレイリーの妻を抱え起こした。
「何があったんじゃ?」パリ―は尋ねた。
「買い物に出ていたら、うちのひとが連れて行かれていたんです。家じゅう荒らされて…」
「何だと?」
「手遅れかもしれん。奥さん、オレイリーは何か言っていましたか?」
「全くわかりません。今朝、昨日金物屋に修理にあずけた錐を取に行くように言われて、主人を置いて家を出ただけです」
「オレイリーを探そう」
アトスはそばで盛んに吠え立てているスパニエル犬に目をつけた。
「ご主人の居場所を嗅ぎ付けられるかもしれない」

ロンドンの迷路のような路地裏の小さな一軒家に
モードントはそのまま十名程の部下を引き連れ入っていった。
「お帰りなさいませ。参謀殿」
「その後変わりはないか」
モードントはそのとき、ようやく返り血を浴びた自分の黒い服に気付き、着替え始めた。
「参謀殿。宝石職人のオレイリーを見つけました」
「連れて来い」
モードントが言い終わらないうちに、綱でぐるぐる巻きにされた、宝石職人が兵士たちにひったてられてきた。
「お前か。オレイリー。黒太子のルビーをどこにやったのだ?」
「わたしは知りません」オレイリーは冷汗をかきながら言った。
「王宮の宝物を最後に手入れしたのはお前しかいない。わかっている。答えよ!」
モードントはいらいらしながら声をはりあげた。
「全くそのようなものは手を触れておりません」オレイリーは言い張る。
「嘘をつくな!お前の家の中を探したのだ。でも出てこなかった。白状させてやる。この男を鞭で叩け!」
鞭の先が空中に振りあがり、そして男の背中にビシッと食い込んだ。
「ううう…」オレイリーはしばらくのたうち回って苦しんでいた。

そのとき、
「待て!やめるんだ。」窓を乱暴にこじ開けて、ダルタニャンとポルトスが入りこんだ。
「俺たちが相手だ」二人は剣のさやを抜いた。
「何だと…。お前たちは…」
モードントは相手が職人服を着て変装している二人ということ気付くと、緑の目を見開いた。
「やれ!」兵士たちはいっせいに二人に襲い掛かる。
兵士たちに剣で応戦しているダルタニャンに、モードントは狙いを定めた。
「五人のうちの二人目…。これが裁きだ!」
引き金をひく寸前に、気付いたポルトスがモードントに体当たりをくらわせる。
「いてっ」モードントはよろめいて短銃を慌てて落とした。
廊下から新たに十数人の兵士が出てきた。
「モードント殿大丈夫ですか!?」
「殺れ!」モードントは冷酷に言った。
「僕が相手だ。お前はパトリックを殺した」
ダルタニャンは剣の切っ先をモードントの喉元に突きつけた。
「あれは裁きだったのだ!」
「ミレディーは天の裁きを受けるのにふさわしかった。それは自分でもわかっていた」
ダルタニャンはふと遠い目になった。
「違う!違う!男が五人がかりで罪のない女を凌辱した」
モードントは剣を抜いてダルタニャンの剣の一突きを受けた。
「何人もの罪のない人間をあやめたんだぞ!」
ダルタニャンは負けじと剣をつく。
「だけど私の肉親だったのだ!」
モードントは力を込めて叫んだ。

「肉親?君は…?」ダルタニャンがはっと我に返った。
そのとき犬の鳴き声がして、扉からアトスとアラミスが姿をあらわしいた。
「ダルタニャン遅れてすまない!」
四人のフランス人は剣を抜き、十数人の兵士たちと狭い室内で乱闘を繰り広げた。
ダルタニャンの渾身の一撃が、モードントの剣の鞘を大きく振り払った。
「くそ…!」
剣を失ったモードントは青ざめて壁の方に後ずさりした。
「降参するんだ!」ダルタニャンは、モードントの肩の上に最後の一突きを入れた。
その瞬間、壁の一部が裏返り、モードントの姿が見えなくなってしまった。
「隠し通路だ!」ダルタニャンは、慌てて壁を叩いた。
「まだ、この近くに逃げたはずだ!」
縛られたオレイリーをポルトスが肩に担ぎ、四人は外に出て、屋敷の周囲を隈なく探した。
しかし、モードントが逃亡した形跡は見つからなかった。

「危ないところをお助けいただき、ありがとうございました。」
パリ―老人と四人は、オレイリーを連れて、彼のアパートの一部屋に戻った。
部屋の中はまだ散乱したままだった。
「貴方はいつぞやの若者では…」
オレイリーはダルタニャンを見て、記憶を手繰った。
「そうです。以前王妃様のお使いでバッキンガム公のダイヤモンドを受け取りに参りました」
ダルタニャンは、十年以来見るオレイリーの顔にしわが刻まれ、髪が白くなっているのを認めた。
「このお方たちは、ウインター卿が信頼されているフランスの貴族たちです。黒太子のルビーを亡命中の皇太子に持ち帰ってくださるのです」パリ―は付け加えた。
「しかし、王冠のルビーはどこに行ってしまったんだろう?」
アトスは不思議そうに言った。
「そのことでしたら、大丈夫です」
オレイリーは言った。
「おい、お前、スミスのところに預けた道具箱を持ってきてくれ」
オレイリーはその妻に言った。
妻は、果物籠の中から、小さな木製の箱を取り出した。
「仕事道具の錐の切っ先がにぶってね…親友の鋳金師のところに調整に出したんです。信頼のおける男なので、箱ごと預かってもらいました」オレイリーは小さな木製の箱を開けた。
「実はこれは二重底になっていて、何かを隠すのに最適なのです」
赤いベルベットの敷き布の下に、もう一つ小さな仕切りが姿をあらわした。
その中には、ベルベットの布に幾重にもくるまれた卵ほどの大きさの包みを取り出した。
丁寧にひとつづつ布をはがしていくと、今まで見たこともないほど大きな、やや黒みを帯びた赤い宝石が出てきた。直線的なカットの仕方は古典的なものだが、光を反射して、内側から輝いている。
「これが黒太子のルビーです。エドワード一世の王冠につけられていてその命を救ったという…」
「ほう」
「このことを仰せつかってから、命を狙われることを覚悟しておりました。二重底の道具箱の中に隠しておいたのです。でも、もうこうやって皆さんの手に渡ってしまえば心配はありません」
オレイリーは丁寧にくるまれた宝石をアトスの手に渡した。
「皆様の旅の安全をお守りくださいますよう…」
「我々で無事に王太子のもとにお届けいたします」アトスは静かに答えた。
「そうだ、僕たちも急がなければ。サザンプトンの稲妻号は明日出航するぞ」ダルタニャンは言った。
「そうか。皆で夕飯でも食いたかったのに残念だな」ポルトスが残念そうに言った。
「こんなときに飲み食いしていられるか」とアラミス。
一同笑った。
ルビーの色は、まるで処刑台のやぐらに滴った血の色と同じだと思いながら、こんな風にかつての友人との心がひとつになったのは、何年ぶりだろうかとダルタニャンは考えていた。


第18話 終わり
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