十年後!

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  第19話 稲妻号の脱出  


イギリスサザンプトン港では、朝日が昇ると盛んに水夫たちが盛んに行き来しながら舟からの荷物を荷揚げしていた。 この地方の気候にはよくあることで、海岸線には靄がたちこめていた。
立ち並ぶ大小さまざまな船のシルエットが、水平線の向こうに浮かんでは消える。

「おーい。稲妻号はここかい?」ひとりの水夫が碇を結んだ舫(もやい)を手繰り寄せながら言った。
「そうだよ」
「今から荷積みする」
「何を?」
「極上のポルト酒をだ」
「へえ?」
「注文主の依頼だ」
「あいよ」水夫たちが大きな樽を運びこもうとしているとき、
ひとりの男が近づいてきた。マントの襟を立て人目をはばかるようにしている。
「ああ、すまんが、そっちの樽じゃない」
男はあごをしゃくると、別方向から、違った樽を持った人側たちが出てきた。
「こっちの樽の方が極上だ。こっちを乗せてくれ」
「あなたは?」
「注文主の代理人だ。」
「代理人?」
「注文主は気前の良いフランスの貴族だろう」
「ああ、デュ・バロン殿の名前でご注文くださった」
「なるほど、デュ・バロン殿だ。私は、同じ値段でさらに品質の良いこちらの銘柄をお薦めしたのだ。こちらの樽を乗せてくれたまえ」
男は、人足たちに、数十個の樽を担がせて稲妻号に運ばせた。最後の樽にが船の中に収まるのを見届けると、満足したように霞の中に消えて行った。

正午近くになり、霞が一層濃くなり始めた。
と、そのとき四人の人影があらわれ、先ほどの稲妻号の方に向かって行った。
「船長はいるか?」ガスコン訛りのフランス語で水夫に尋ねた。
「ああ、中で待っている」
「船長と我々だけにしてもらえないか。秘密の使命があるんだ」
四人の人影が、船に乗り込むと、水夫たちはけげんそうに船から離れた。

稲妻号のすぐ隣に停泊中の、ウェスタ号の甲板には、先ほどのマントの襟を立てた男がじっと柱の陰でその様子をうかがっていた。
「乗り込んだか?」
「はい。四名です」
「フランス人だな?」
「フランス語を話していました」男は水夫に二言、三言言葉を交わすと、静かにほくそ笑んだ。
「五人のうちの残りの四人がこれで一気に始末できる。なあに、王冠のルビーが海の底に沈んだって、困るのは王太子だけだ。」
「時間だ。船長に出航するように言ってくれ」男は声を高らかに言った。
「了解。モードント殿!」船長は舵を取りながら言った。
マントの襟が潮風に吹かれ、男の顔があらわになった。緑の目と刈り込まれた髪の毛…それは紛れもなくモードントだった。
「稲妻号の横につけて進んでくれ。私がいいというまでだ」
モードントはウェスタ号の船長に告げた。

舟の帆が十分に膨れ、舳は日没の方角の西を目指して進んでいた。ドーバーの白い崖が次第に靄の中に消えたところ、
対岸のカレーの街が水平線の向こうにうっすらと姿をあらわした。ウェスタ号は、鏡のように凪いだ海を滑るようにして進み、すぐ近くにはそれに平行して航行する、稲妻号の舳先が見えた。
「そろそろだ。」モードントは火打石をすって火をつけ、矢じりの先の油を含ませた布に炎をうつした。
そのまま潮風に揺れながら、弓を渾身の力で引き絞り、矢を放った。
矢は稲妻号の帆に刺さった。
炎が風にふためきながら、静かに燃え広がっていく。
「あと数秒で奴らは一貫の終わりだ」モードントは満足そうにその情景を眺めていた。

「誰が一貫の終わりだって?」ふと聞き覚えのあるフランス語が頭上から響いた。
慌ててモードントが見上げると、ウェスタ号の甲板の上に立っていたのは、なんとダルタニャンだった。
ポルトス、アラミス、アトスがそれに続いて、モードントに近寄った。
「お前たちは…!」モードントの顔が蒼白になった。
「稲妻号に乗っていたのではなかったのか!?」
「こんなことだと思ってね。罠をかけておいたのさ」
ダルタニャンは手を腰にあてながらモードントに歩み寄った。
「じゃあ、あの船には誰が…」モードントは声をわななかせた。
「無人だ」アトスが簡潔に答える。
「ほら。綱を切れば離れていくよ。もうすぐ爆発しそうだ」
ポルトスはそういいながら、ウェスタ号の横に結わえられた綱を剣でばっさりと切った。水中で稲妻号とつながっていた綱はみるみるうちに、海の中に沈み、稲妻号は波に揺れながら遠く離れていく。
「嘘だ。船長がいたはずだ」モードントは稲妻号を凝視した。
「陸に置いてきた」とアラミス。
そのとき、ちょうど燃え広がる火が船室のなかに移り、火薬の樽に引火しはじめた。
二、三、小さな爆発が船室部分で起こり、それに誘われて大きな炎が轟音とともに高く舞い上がったかと思うと、船は真っ二つに割れた。
そのまま黒い煙をあげながら、くすぶりつづけ、ついには船影は見えなくなってしまった。

「君が爆薬の樽と入れ替えたポルト酒の樽は、こっちのウェスタ号に積んだのさ。フランスに着いたら乾杯するためにね」ポルトスは言った。
「君も一杯どうかい?モードント君。捕虜にしてマザランのもとに一緒に連れて行くさ。クロムウェル将軍へのいい取引材料ができる」
ダルタニャンもつられて言う。
「そうはさせるものか。お前らのひとりでも巻き添えにしてやる」
モードントは懐から短銃を取り出した。
その前にアラミスが剣を抜き、切っ先を首元に突きつけた。
「パトリックとウインター卿、チャールズ一世を手にかけたのはお前だろう」
「待て。この青年が一体何の恨みでこのようなことをしでかしたのか、我々は聞く必要がある」アトスが静かにそれをとどめた。
「ミレディーの肉親と言ったよね…」ダルタニャンは尋ねた。
「そうだ。私のただひとりの肉親だ」モードントは答える。
「私は、ウインター卿の私生児として生まれた。母は私を生んですぐに死に別れ、年の離れた姉がいた。修道院にいれられていた姉は、遠い親戚のもとに預けられていた私を訪ね、まるで母親のようにかわいがってくれた。そのまま、ひとりで生きていかなければならなかった私は、貧しい修道僧として修行を積んでいたが、ある日父のウインター卿が子供を残さずに亡くなった。その遺言には、ただひとりの男の子である私を嫡子とし、跡継ぎにするという…。私は一夜にしてイギリス名門の貴族の跡取りとなったのだ」
モードントは言葉を続けた。
「私は、すぐに姉を呼び寄せようと四方八方に手を尽くして探した。しかし、姉はもうイギリスにはいなかった。修道僧をたぶらかした罪で百合の烙印を押され、行方が知れなかった。やがて、私は、姉がフランスで五人の男たちの手にかかり処刑されたことを知った。その上、伯父のジェームズはウィンター家を乗っ取ろうと、国王チャールズ一世をそそのかし、父の遺言を無効にした。かくして、ウインター家を追われた私は、伯父と国王に復讐を誓うため、クロムウェル軍に入った」
「待て。君は間違っている。神に誓って言うがミレディーを殺したのは僕たちじゃない。処刑は行われなかったのだ。この僕がミレディーを逃がし、髪だけを切ってパトリックに渡した。その後、鉄仮面やマンソンたちとベルイール島の砦に立てこもったミレディーは、自ら爆薬に火をつけたんだ」
ダルタニャンは落ち着き払っていった。
「姉上はそんな人ではない。乳母の話では、病弱でいつもかげろうの鳴くような声で歌を口ずさんでいた」モードントは首を振った。
「君の乳母はずいぶんと記憶力のいい人みたいだな」アラミスは言った。
「バッキンガム公暗殺だって姉上ひとりの力ではできることではない。誰かにそそのかされたんだ。砦に立てこもったとしても、それは女ひとりの力でできることなのか?男どもが自分たちに都合のいいように、ひとりの女に罪を着せただけではないか」モードントは言葉を続けた。
「この青年の言うことには一理ある」アトスは静かに言った。
「アトス。何を言うんだ。ミレディーがやったことを忘れたのか!」アラミスが食って掛かった。
「しかし君は今やクロムウェルの参謀として認められている。将来のある君が、このような意味のない血を流し続けるのは無駄な努力だと思わんか…」アトスは諭すように言った。
「必要な犠牲だ!」モードントは短銃の引き金をアトスに向かって引いた。
スギューンという鈍い音がし、アトスの体がよろめいた。弾はすんでのところで右ひじをかすった。
「アトス!」
「この男を押さえろ!」ポルトスが後ろから羽交い絞めにしようと腕を広げた。
しかしモードントはやみくもに剣を振り回しながらそれをすり抜けた。
「誰も私を捕えることができるものか!」
モードントは短銃をめくらめっぽうに打ち放しながら、甲板の縁の手すりに飛び乗った
すかさず、ダルタニャンは伏せながらそこに鋭く剣を一突きすると、モードントはあっとよろめいてバランスを崩した。
そのままぞっとするような高い声をあげながら、海の中に落ちて行った。
水面には小さなしぶきがあがり、落ちたあとにはあぶくがぶくぶくと舞い上っていた。
やがて、そのあぶくは次第に小さくなり、凪いだ海の表には何も見えなくなった。
ウェスタ号は何事もなかったかのように、舳をカレーの港に向けて航海を続けていた。

船腹に打ち寄せる波を見ながら、四人は静かにモードントの消えた跡を見やっていた。
「あの青年も、復讐さえ考えなければ、もっとましな人生を送れただろうに…」ポルトスがつぶやいた。
「今からでも遅くないさ」アトスは言った。
やがて、遠くに点々と見えたカレーの街の鐘楼や城壁の形がだんだん大きくなって目の前にあらわれてきた。港に近づいたのだ。
「フランスだ…!戻って来た」
潮風に髪をなびかせながら、四人は行き先を凝視した。
「何だか涙が出てきたよ。覚えているかい。僕たちが若かったころを」ダルタニャンが言った。
「みんな、今でも若いさ」とアラミス。
「十年間いろんなことがあったなあ。でも、この瞬間全て忘れた」ダルタニャンが無感量に言う。
「だが、現実は忘れてはならない。ダルタニャン」とアトス。
「フランスでは僕とアラミスには逮捕状が出ている。そして…」
「すっかりと忘れていたよ。僕とポルトスは、モードントと共にクロムウェルのところに言ってマザランが命じたことと正反対のことをしていた」
「つまり、僕たちは四人ともフランスでは身の危険を感じなくてはならないわけだ」とポルトス。
「フランスに着いたら、別々に行動した方がよい。僕とアラミスはサン・ヴァレリーからディエップを通ってパリに戻る」
「わかった。僕とポルトスは、アミアン、コンピエーニュ、サンリスを通ってパリに戻る。もし、無事だったら、一週間後の土曜日の6時にシャンティイー青い孔雀亭で落ち合おう。」
「ポルト酒での乾杯はそのときまでにお預けか」ポルトスは残念そうに言った。
「そのくらい我慢しろ」アラミスが言うと、
四人は声をたてて笑いあった。
夕日の中に空高くカモメたちのシルエットが吸い込まれていった。


第19話 終わり
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