十年後!

BACK | NEXT | INDEX

  第14話 ニューカッスルの戦い  


スコットランド北部、ニューカッスル郊外では、空は灰色の厚い雲で覆われ、海から冷たい北風が吹いている。ヒースの茂みが荒涼と広がる原野に点々と、ところどころ石の城壁の跡が朽ち果てた姿を晒していた。かつてローマ人たちが到達し、ハドリアヌス帝の城壁を築いたこの地は、まさにヨーロッパの果ての地と呼ぶに相応しい場所だった。
タイン川のほとりにタインマス城はあった。半ば荒れ果てて茂みに覆われながら、疲れ果てた様子の兵士たちが城の周りを取り囲んで守っていた。

「街の様子はどうだった?」歩哨のひとりは、偵察から戻ってきた黒いマントの男に話しかけた。
「何ともいえん。陛下のご様子は?」
マントの男はフランス語訛りの英語で答える。
「地下室にいる」
マントの男は兵士たちがうずくまって仮眠をとっている階段を器用に降りていきながら、地下の一室に入っていった。
「ラ・フェール伯爵、偵察はいかがだった?」老いた貴族が立ち上がって迎えた。
「しっ。重大なことですので、陛下の御前で話します。アラミスは?」
「ここだ」
同じく地下室からフランス語での返答があった。「陛下は今しがた起床された」
地下室の隅のにわかごしらえに絨毯を引いた一角に、チャールズ一世の姿があった。ここ何日かの不眠のせいか、目の下には隅ができ、髪の毛は乱れていた。
「陛下、クロムウェル軍はタイン川の向こう側に到着しました」
「ほう」
「そして早速ニューカッスル市街で国王を引き渡す取引を持ちかけたもよう」
「それで、応じたのか?」チャールズは気色ばんで尋ねた。
「結論はまだ出ず、クロムウェルの使者は陣地に戻りました」
「一刻も猶予はならん。ウインター卿」
チャールズは老貴族に声をかけた。「皆に武装するように言ってくれ」
「ははっ」ウインター卿と呼ばれた男は国王の足元にひれ伏した。
「ラ・フェール伯爵にデルブレー卿、このとおり自国の民にまで見放され、私の味方はそなたたちだけになってしまった。これが最後の戦いになるやもしれん」
「何をおっしゃいます。陛下」アトスが答えた。
「この戦いを突破すればまた道は開けてきます」アラミスも応じる。
「甲冑をつけて準備をしてくれ。明日薄暮のころに出撃する」
チャールズは自身で最後の命令を下した。

夜のとばりがおりて、タイン川の対岸では、赤々と宿営地の明かりがともり始めた。。
タインマス城の主塔の上でアトスとアラミスは、風に吹かれながら敵陣営の様子を見張っていた。
厚い雲が垂れこめて今にも雨が降り出しそうだった。
「ここに来たことを後悔してるか?」
アラミスは胸甲の紐を後ろ手で止めながら言った。
「いいや」
既に、肩と胸と脛部分に甲冑をつけ終えたアトスは、望遠鏡を片手に敵陣を眺めていた。
「息子がいるんだろう?」
「……」アトスは答えなかった。
「わかっているよ。ラウルは君の息子だろう?」
「そうだ」アトスは観念したようにつぶやいた。
「なのに何故父上と呼ばせていない」
「……」アトスの髭の下から苦い微笑みがもれた。「迷いがあるからさ」
「迷い?」
「あれは一瞬の迷いだったんだ」アトスは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
しばらくの沈黙の後、再びアトスは口を開いた。
「君こそどうしてパリに来る気になったんだ?」
「……」アラミスは押し黙ったまま、鈍く光る金属の覆いを肩にを取り付けていた。
「相変わらずだな」アトスは再び苦笑した。
「探している人がいるんだ。ただそれだけさ」
アラミスは甲冑をつけ終えると、アトスとは反対側の方向を眺めやった。

「おい、あの光は何だ?」アラミスは叫んだ。
タイン川と反対方向の指さす方向をアトスは望遠鏡を回した。
「軍隊の松明だ。近づいてくる。」
「でも、何故あの方向から…?!」
「スコットランド人が裏切ったんだ!」アトスは小さく叫んだ。
「ということは……」
「我々をはさみうちにする気だ!」
アトスとアラミスは主塔から城郭の中に向けて叫んだ。
「おい、敵が攻めてきたぞ!」
「すぐにこの城を捨てるんだ!陛下をお護りしろ!」
二人は、狭い回廊の中を走り回る兵士たちをよけながら進んだ。
「大砲は置いていけ!動けない者は地下室に入れろ!」
中堀の外につないでいた馬に飛び乗ると、甲冑に身をつつんだチャールズとウインター卿が馬に乗って待機していた。
「陛下、下流方向へ退避します!」
「進め!」
チャールズを真ん中に、両翼ににアトスとアラミスを従えて、数十騎にも満たない国王軍は暗闇の中を全速力で駆けだした。
冷たい雨が降りはじめていた。

しばらく駆けていると川の対岸の松明の明かりが次第に大きくなり、騎馬の無数の蹄の音が聞こえてきた。
「クロムウェル軍だ。こっちからも来たか!」
馬のシルエットが見えるくらいまで河岸に近づくと、マスケット銃が一斉に火を噴いた。
外側を固めていた国王軍の重騎兵が何騎かどさっと崩れ落ちた。
次第に雨の音に加えて、バシャバシャとして水音が近くなっていく。
「川を渡ってくる気だ」
アラミスはマスケット銃を担ぐと狙いを定めた。
「川から上がった直後の馬を狙え!」
一騎一騎敵の騎兵の足元を崩していく。
下流から既に川を渡り終えた騎兵団が抜刀した。
「銃は使えない!抜刀しろ!」
皆一斉に刀を抜いた。至近距離での斬りあいが始まった。
アトスもアラミスも馬の上から、敵の渾身の一撃をかわしながら、急所に剣を突き入れていた。
「観念しろ!ウィンター卿!チャールズを渡すんだ」
そのときひとり騎馬の男が飛び出し、ウインター卿の前に立ちふさがった。ウインター卿はクロムウェル軍に兵士に囲まれ、男によって喉元に一撃をつかれ馬から落ちた。
「モードント、お前か…?」ウィンター卿はかすれた声で応じた。
「お前がウインター家を乗っ取ったおかげで、僕と姉上は日陰の身になったのだ…」
若い騎馬の男は目をぎらぎらさせながら、老いたウィンター卿が絶命したのを見届けた。
既に味方の騎兵は姿がなく、チャールズは十数騎の装甲兵に取り囲まれていた。
甲冑にはじかれて跳ね返る雨に視界を遮られながら、アトスとアラミスは最後の応戦をしていた。
装甲兵の一撃がアラミスの馬に当たると、アラミスは馬から転げ落ちた。泥の中につっぷしたアラミスを装甲兵が数人がかり上から取り押さえた。
「アラミス!」
激昂したアトスは目の前の敵に向かってなりふり構わず剣を振り回した。
ひとりの兵士が銃身でアトスのこめかみを殴りつけると、アトスは一瞬気を失った。
雨音が一層強くなった。

そのとき懐かしいフランス語が聞こえてきた。
「チャールズは既に我々の捕虜になった。君たち降伏するんだ!」
ダルタニャンがアトスを後ろ手に抑え込み、ポルトスが装甲兵たちを振り払いアラミスをうばいとった。
「アトス、頼むから」ダルタニャンはアトスの横からささやいた。
「わかった。降伏しよう」アトスは両手を挙げた。
「このフランス人たちは我々が捕虜にする!」ダルタニャンが叫んだ。
「ダルタニャン、ポルトス!」頬と髪に泥をつけながらアラミスが叫んだ。
「どうしてここに?」
「理由はあとだ。」ポルトスはアラミスを抱え込んだ。
既に武器を渡したチャールズもモードントに付き添われて、視線は宙をさまよっていた。
「我々は負けた……」
アトスとアラミスも、生きていることを確認するかのように、チャールズとお互いの顔をみやった。
こうして、国王軍の最後の三人は、重い足をひきずりながら敵陣にひきたてられていた。
アラミスは、アトスのこめかみにまだ流れている血に気が付くと、そっとハンカチを渡した。
雨はまだ激しく振っていた。
戦いは終わったのだ。


第14話終わり

fig. タインマス城跡
http://www.castlestories.net/England/Tyne-and-Wear/Tynemouth-Castle.html
BACK | NEXT | INDEX
inserted by FC2 system