十年後!

BACK | NEXT | INDEX

  第11話 王宮襲撃  


ルーブル宮殿の水辺のギャラリーの一室では、今まさに夜明け前の薄暮の時間であった。
アンヌ太后は、部屋着に蝋燭をともしたまま、落ち着かぬように長椅子に腰掛け、その前には、これまた部屋着姿の宰相マザランが立っていた。
「高等法官ブルッセルとブランメニルに逮捕状を出しました。先ほど銃士隊が屯所を出発しました」
マザランは小声で報告した。
「パリの民衆は色めきたつことでしょうに」
アンヌは心配そうにつぶやいた。
「大丈夫です。ランスからコンデ大公が大連隊を引き連れ戻ってきました。これで一気にパリを制圧できます。ブルッセルはヴァンドーモワ街道の宿屋に潜伏しているのを突きとめました。いずれにせよ、日が高くならないうちに連行すれば、民衆は気が付きますまい」
マザランは、窓辺のセーヌ川を目をやり、朝焼けの空の下、ロワイヤル橋を青い制服の銃士隊が二列の騎馬で進んでいくのを見送った。
「さあ、決戦です…!」

良く晴れた郊外の地に朝日が昇り出た。鳥のさえずりや、鶏の雄叫びがこだまする中、ヴァンドーモワ街道の西のはずれの宿屋、金の百合邸の前で、銃士隊の進軍は音もなく止まった。
「裏口を見張れ!」
「隊長、包囲は完了しました」
最後の報告を受けて、ダルタニャンはうなずいた。
「よし、中に入るぞ」
ダルタニャンが突入すると、物音をたてぬよう宿屋の中を探し回った。
ブルッセルは、二階の小さな部屋に、寝間着姿で座っていた。
「高等法官ブルッセル殿。国王に対する謀反の疑いで逮捕する!」
ダルタニャンは、静かに部屋の中に進み出ると、ブルッセルの面前に逮捕状を突きつけた。
「何を…。私は法の名に従ったまでだ。王権は法を蹂躙するのか」
ブルッセルは拳をわななかせながら、立ち上がった。
「法官殿。取り急ぎ、ルーブル宮殿においで願いたいのです」
ダルタニャンは相手に敬意をこめて帽子を脱いだ。

サン・ジェルマン広場では、恒例の朝市が行われ、人々でごったがえしていた。地方から城内に入った果物や、ぶどう酒、皮をはいだばかりの獣禽が、威勢のいい掛け声とともに吊るされて売られていた。
「おーい!大変だ。聞いてくれ!」
朝市のひとごみのど真ん中に男が駆け込んでいた。
「ブルッセルとブランメニルが早朝逮捕された!」
「なんだと!」
「マザランは高等法院をぶっ潰す気か!」
「これ以上税金をかけられたら、我々はどうしたらいいんだ!」
人々の間に動揺が走る。
「みんな、バリケードを築くんだ! ブルッセルとブランメニルのために立ちあがろう!」ひとりの若い男が前に進み出た。
「そうだ、彼らを守れるのは俺たちしかいない!」
「家じゅうの武器をかき集めろ!」
果物売りも、卵売りもあわてて、仮設の店をバタバタと閉じ始めた。人々のわめき声は、ますます大きく高くなりながら、
広場から人々は次々に走り去った。

レ・アール広場のイノサンの泉の前では、スカロンが演説をしていた。
「皆のども、ついにマザランは我々に挑戦状をたたきつけたぞ!」
屈強な男たちだけでなく、老人、女子供たちがその周りを取り囲んで聞いている。
「あのイタリア人は、幼い国王陛下と大公殿下を意のままに操り、フランスを我が家のように乗っ取ろうとしている。ルイ十三世陛下が遺言で残した摂政会議を守らず、誇り高き高等法院を凌辱した。これを先祖代々のフランス国王に対する謀反といわずに、何と言おう」
「そうだ。そうだー!」人々はこぶしをあげて叫んだ。
「イタリア人は出ていけー!」
「ブルッセルを取り戻せ!」
「ブランメニルを取り戻せ!」
そのとき、その場にまたひとりの男が走り寄ってきた。
「聞いたか!国王とマザランはパリを脱出したらしい」
「何だって!」
「奴らは我々を捨てたのか!」怒号がひときわ大きくなった。
「コンデ大公がランスから戻ってきた。国王と合流し我々を包囲するつもりだ!」
「王宮に行こう!」
「先手を打って王宮に行くんだ!」
王宮へ、王宮へ!人々のどよめきはみるみるうちに大きくなった。

ヴァル・ド・グラース教会前の採石場
大きな円状の巻き上げ機が、勢いよくカタカタと音を立てて回り、その前は黒い人だかりでごったがえしていた。
地下からあらわれてきたのは、石ではなく、巨大な砲身と投石器だった。
巻き上げ機の上に乗りながら、ジャンは叫んだ。
「みんな、武器はここだ! 火薬もあるぞ!」
集まった人々は、わーと歓声をあげて、兵器を受け取ると、無秩序に走り出した。
「投石器はドーフィーヌ広場へ。火薬はパヴェ通りに持って行くんだ!ベルシー河岸には、武器の入った積み荷が引き揚げられている。手の空いている人は、そっちを手伝ってくれ!」
男たちの一群は、砲身を担ぎあげ、人々の群れは四方八方に飛び散っていった。
鼻の上に汗をにじませながら、ジャンはつぶやいた。
「さあ、決戦だ…!」

マザランがパリの異変に気付いたのは、正午を回るころであった。
「枢機卿殿。大変です。護衛隊の一部が民衆に襲われました」
マンシーニが色めき立って、ルーブル宮内にある枢機卿の控室に駆けこんだ。
「ならば、鉄砲でもぶっぱなして威嚇すればよい」
マザランは書類から顔をあげずに言った。
「我々も取り囲まれたのです」
そう言った、マンシーニの形相は青ざめ、マントは破れ、帽子には銃弾の穴が開いていた。
マザランはあっけにとられて、甥を凝視した。
「全ての護衛隊士を撤退させ、ルーブル宮に引き上げてもいいでしょうか」マンシーニは必死の面持ちで懇願した。
マザランは立ち上がった。
そのとき、ダルタニャンも駆け込んできた。
「銃士隊全員を王宮に配置につかせました」
「何だと?どういうことだ?」マザランは聞き返した。
「民衆が進軍してきます」
「どこにだ?」
「ここにです」
そのとき、銃弾が部屋のガラスに当たり、ガラスが粉々に砕け散った。マザランの顔色が一瞬で変わった。
「おい、馬車を出せ!国王陛下を脱出させるのだ!」
「無理です」ダルタニャンは落ち着き払って答えた。「我々は包囲されています」
マザランは中庭のバルコニーへの窓を開けた。城柵を突き破って、眼下に民衆が一斉になだれこんできた。
誰かが窓の中のマザランの姿を認めた。
「マザランがいるぞ!」
「逃げてなかったのか!」
「マザランを倒せ!」
「ブルッセルとブランメニルを返せ!」
「マザランはやめろ!」
窓めがけて石を雨あられと降らせる。慌ててマザランは部屋の奥に避難した。
「陛下!」
「太后殿下!」
枢機卿とダルタニャンは、ルイ十四世とアンヌの部屋に走った。
「あの物音は何なのです?」
幼い国王はアンヌの膝の上で不安げに尋ねた。その傍らにはコンスタンスがいた。
「恐れながら陛下。陛下の臣民でございます」
「コンデ大公の連隊が、ブーローニュの森付近に駐屯していると聞きましたが」
「昨日から連絡役の兵士が戻ってきません。」ダルタニャンは口ごもった。
「彼らの要求は何なのです?」アンヌは尋ねた。
「私の首です」マザランは声を震わせていった。「覚悟を決めました」
「いいえ。それはなりません」アンヌ太后が押しとどめた。
「ブルッセルとブランメニルを釈放するのです」
「しかし、それでは…」
躊躇するマザランに向かって、アンヌは毅然と言った。
「命令書を書くのです。あの二人を放すことくらいは、大した犠牲にはなりません」
「貴方を失うことに比べたら…」アンヌの最後のつぶやきは、コンスタンスの耳にもはっきりと聞こえた。

ルーブル宮殿の中庭の人だかりは時間がたつにつれて増えていった。
銃士たちが中庭で、人間の鎖になりながら群衆が宮殿内になだれこむのをかろうじて押しとどめていた。
「ブルッセルとブランメニルを釈放しろ!」
その騒ぎが頂点に達したときに、中庭の三階のバルコニーに人影が現れた。
銃士隊長ダルタニャンだった。
何人かの人々は、ダルタニャンに向かって銃の照準を合わせた。地階の銃士たちは、彼らをまた銃で狙った。
「聞くんだ!さきほど、マザラン枢機卿はブルッセルとブランメニルの釈放に同意した」
ダルタニャンは、バルコニーから眼下を埋め尽くす群衆たちによく響く声で話した。
「これが命令書だ」書類を高く掲げて開いた。
中庭の前に、それぞれポルトスとサンドラスに付き添われて、ブルッセルとブランメニルが進み出た。
ポルトスとサンドラスは二人の縄を解いた。
「釈放だ!」
「釈放されたぞ!」どよめきは歓声に変わった。
民衆の群れは、二人の高等法官を喜びの叫びで取り囲み、やがて中庭から去り始めた。
黒い人だかりは、ぞろぞろと王宮から撤退しはじめた。
額に汗を浮かべたマザランと、アンヌ太后と少年ルイは、窓の外から呆然としたように事の成り行きを見送っていた。

「ダルタニャン隊長!ご無事で!」
隊士たちは、口々に叫びならダルタニャンの周りに集まってきた。
「君たちもご苦労だった」
ダルタニャンはひとりひとりに肩をたたきながら、続いて命令を下した。
「明日まで持ち場についていてくれ。まだ油断はならない」

新王宮前広場にずらり並んだ投石器の傍らで、ジャンはその照準を新王宮、すなわち枢機卿の居城に合わせていた。
「よし。発射だ!」
手前のハンドルを下におろすと、横に連なった連射式投石器は次々に石を投下しはじめた。
枢機卿の邸宅の中庭を、護衛兵たちがが戸惑いながら右往左往しているのが、広場から認められた。
「囚人を出せ!」
「降伏しろ!」
そのとき、サン・タントワーヌ通りをルーブル宮殿から人々の一群が歓声をあげながら突き進んでいた。
「ブルッセルが釈放されたぞ!」
「勝利だ!」
「我々は勝利したぞー!」
誰もが肩をたたき、帽子を投げ合いながら、喜びあっている。
「高等法院ばんさい!」
ジャンも飛び上がってその群衆に加わった。
既に日は西の方に傾いていた。長い一日が終わろうとしていた。



第11話 終わり

BACK | NEXT | INDEX
inserted by FC2 system