十年後!

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  第12話 パリ脱出  


日が暮れてもなお、まだパリの喧騒は静まらなかった。
ルーブル宮殿の枢機卿の控室の一室に、ダルタニャンは呼び出された。
マザランは、部屋の中から何やら貴重品をとりまとめている模様だった。
「ダルタニャン君、折り入って相談があるんだが…。人目につかない馬車は手配できるかね?」
「探してみますが…。何人乗りでしょうか?」
「太后殿下と、国王陛下、そして私の最低3人だ」
「どちらへ?」
「サン・ジェルマン・アン・レー城だ。先ほど太后と話し合い、これ以上パリにいても国王陛下に危険が及ぶやもしれぬということになった」
「恐れながら猊下、国王陛下に危険が及ぶことはありますまい。危険なのは、むしろ…」
「この私だ。わかっておる」マザランは苦々しい笑みをを浮かべた。
「ルイ14世陛下と太后殿下のみならば、脱出は容易でしょうが、
全てのパリ城門には、市民たちが自警団を作り、出入りする人間を厳しく検査しています」
「それでは、私が変装すれば問題なかろう。どのみちこのままでも、敵に包囲されていることには変わりはない」
「しかし…」ダルタニャンは頭を掻いた。
「宮殿内の馬車には、殆ど全て国王の紋章が入っております。いい馬車があるかどうか…」

ダルタニャンは、廊下でポルトスに出会ったときに、妙案をひらめいた。
「そうだ。ポルトス。この前押収した、シュヴルーズ公爵家の馬車を持ってくるんだ。」
そのまま、ダルタニャンは、部下たちには、再び宮殿警備の持ち場にいるように指示を出した。

真夜中をすぎるあたりに、暗闇のなかから一台の馬車が宮殿の裏口につけられた。
黒塗りの木造で、正面には、金泥でシュヴルーズ公爵家の紋章が描かれている。
「陛下、太后殿下、こちらでございます」
馬車と同じく押収された黒いシュヴルーズ公爵家のお仕着せを着たダルタニャンが、松明で足先を照らしながら、アンヌと幼い国王を誘導した。国王は眠そうに眼をこすりながら馬車に乗り込む。
「陛下、しばらくのご辛抱です」
「まあ、これは、公爵家の馬車ではありませんか」
アンヌは乗り込むときに驚きの声をあげた。
「これならば、フロンド派に怪しまれますまい」
ダルタニャンは声を潜めた。
「陛下、ご無事でいらっしゃいますか」
次に裏口の階段を降りて現れたのは、マザランとポルトスだった。
ダルタニャンと同じ、シュヴルーズ家の黒いお仕着せの御者服を着ている。
3人が無事に馬車の中に入ると、ポルトスは後ろに、ダルタニャンは前の御者台に登り馬にムチをあてた。
「よし、いくぞ!」

馬車はサン・トノーレ通りを東に進んでいった。真夜中だというのに、パリの街角には松明が点々とともり、人々は起きて、盛んに通りを往来し、興奮冷めやらぬ声で口々に騒ぎ立てていた。
「ブルッセル万歳!」
「マザランを倒せ!」
サン・トノーレ通りを途中まで行ったところに、樽を積み上げたバリケードが道を塞いでいた。
斧や槍やら思い思いに武装した市民たちが、馬車を取り囲んだ。
「その馬車、止まれ!」男が松明を近づけた。
「シュヴルーズ公爵家の馬車だ。見えないか」ダルタニャンは紋章を指し示した。
「中を見せろ」男がドアの取っ手に手をかける。
「しっ」ダルタニャンは指を口にあてた。「公爵夫人は年下の恋人と逢引中だぜ」
「はっはっは!」群がった男たちは笑った。
「ひとりは黒髪の伯爵、もうひとりは金髪の美青年、いずれもフロンド派さ」
「一度に二人も!そいつはすげえ!」ダルタニャンの冗談に気を良くして、周りの男たちははやしたてた。
「今晩英気を養って、明日にはマザランをぶったたおしてくれるだろうさ」調子に乗ってダルタニャンは微笑んだ。
「いいぞ!いいぞ!兄弟!その代わりちょっとこっち来い!一杯飲めや!」
騒ぎ立てながら、男たちはダルタニャンと後部のポルトスと変装したマザランを馬車から降ろして、近くの小さな民家に連れて行った。
「シュヴルーズ公爵家の御者だったら、何か最新情報を知ってるかい?」
小さな陶器に、緑色の濃く濁ったニガヨモギ酒(アブサン)が注がれ、ダルタニャンとポルトス、マザランはそれを黙って飲み干した。
「マザランの話でも何でもいい」
民家の中では、粗末なテーブルの上で男たちが監視兼酒盛りをしていた。
「マザランのことだったら、彼に聞いてくれ。何でも知っているぜ」
ダルタニャンは、黒い御者姿のマザランを前に押し出した。
「マザランのとびきりの笑い話を頼むぜ」
一同は興味しんしんで身を乗り出した。
「ええと、枢機卿マザランの…。とびきりの…。ああ、そうだ」
アブサンのアルコール度数に頭がくらくらとなりながら、マザランは話し始めた。

「ある日宰相は侍従と究極の倹約生活について話をしていた。
『猊下、薪代をきりつめねばなりません』
『それなら、太后殿下と同じものを使えばよい』
『猊下、寝台のリネンをきりつめねばなりません』
『それなら、すでに太后と同じものを使っておる』
『猊下、衣装代をきりつめねばなりません』
『それなら、緋色の司祭服以外は必要ない。毎晩服は要らなかろう』」

「あっっはっはっは!こいつは面白い!」
周りの男たちは手をうって笑い始めた。
「もう一杯飲めや!」
マザランは差し出されたもう一杯のニガヨモギ酒を目をつぶって飲み干した。
「愉快な奴だ。兄弟。君の名は?」男たちは、マザランの肩を組み握手をしながら尋ねた。
「ジュール」
「おう、よろしくジュール!」
「また会おうぜ。ジュール!」
「元気でな。君の母さんによろしく。ジュール!」
酔っぱらった男たちは口々に帽子を振りながら3人を戸口に見送った。
3人が再び馬車に乗り込むと、マザランはきまり悪そうに咳ばらいをした。
「さあ、行こう」

馬車は再びサン・トノレ通りを東に進み、サン・トノレ門近くに差し掛かった。
城門の前でまた市民たちの自警団が検問を行っていた。
「おーい止まるんだ。」松明を持った民衆が再び馬車を取り囲んだ。
「通してくれ。シュヴルーズ公爵夫人の馬車だぞ」
「公爵夫人だろうとなんだろうと中を調べている。開けろ」
両側から男たちは乱暴に近づいて扉を開けた。
ひとりの男が、暗がりで身をよせているアンヌとルイ十四世のふたりに
気が付くと松明を近づけようとした。
「無礼者。何をするんです!」
アンヌが叫んだそのとき、鉄拳が男の後部に直撃し、男は馬車の外に引きずり出された。
ポルトスがたまりかねて男を殴ったのだ。
「なんだ!こいつは。やっちまえ!」
手に持っていた斧やすりこぎなどで襲い掛かった男たちを、ポルトスは腕をまくりあげて、投げ返していた。
「何の騒ぎだ!?」
そのとき、リーダー格と思わせるような若い男が、馬車に近づいてきた。
「はだしのジャン!」
男たちは口々に叫んで道を開けた。
「ジャン!こんなところで何やってるんだ!」
ダルタニャンも思わず叫んだ。
「それはおいらの台詞だよ。ダルタニャ…」ジャンは、今にも剣を抜きそうなダルタニャンと
周りの男たちと素手でもみあっているポルトスの姿を認めて、慌てて言葉を飲み込んだ。
一瞬緊張感のある沈黙が流れた。
「この馬車は、ノワジーからおいらたちの火薬を運んで来る馬車だ。兄弟。通してくれ」
ジャンが周りの男たちに言うと、男たちはしぶしぶ馬車から離れた。
「ありがとう」ダルタニャンは、そっとジャンにささやいた。
「ダルタニャン。アラミスからの伝言だ。しばらくアトスとパリを留守にするって」
「わかった。元気でな。ジャン」ダルタニャンとジャンの目が合った。
城門を出て街道を東に走る馬車の後ろ姿を、ジャンはいつまでも見送っていた。
東の空は、いつのまにか薄い色に変わり、曙の光が差し込んできた。

パリに翌日の朝が訪れると、一瞬だけ静けさが戻ってきた。
「ダルタニャンたち、無事にサン・ジェルマン・アン・レーに着いたかしら」
質素な服に着替えて頭を白い頭巾で覆ったコンスタンスは不安げに馬車に乗り込んだ。
「大丈夫です。我々も陛下と王妃様のお着替えをお届けしに行きましょう」
同じく町民の格好をしたサンドラスは御者台に登って、コンスタンスと並ぶと馬にムチを当てた。
「行くぞ!」

馬車は同じくサン・トノレ通りのバリケードに差し掛かった。
「そこの馬車止まるんだ」
「ボナシュー工房です。さる貴族のお館にお衣装を納めに行くんです」
コンスタンス馬車から降りて、後部の荷台の中を馬車の中を見せた。と、そのとき、
「聞いてくれー!みんな!国王とマザランがいないぞ!」
男が一人駆け込んできた。
「何だって!」
「サン・ジェルマン・アン・レーに国王派の貴族たちがぞくぞくと集まっている」
「夕べ、サン・トノレの城門で、太后と国王らしき二人が馬車に乗っているのを見たという証言がある」
「ムードンの城館に百合の紋章をつけた馬車が止まったという噂もあるぞ」
「探せ!どこにいるんだ!」
群衆の群れが押し合いへし合いしながら、サントノレ通りのバリケードに押し寄せてきた。
コンスタンスはその波に押されて馬車の外に投げ出された。
「大丈夫ですか。マドモワゼル!」サンドラスは御者台から飛び降りてコンスタンスの腕をつかんだ。
そのまま馬車のなかに抱きこむと、一瞬だけ目が合った。
「なんて、可憐なひとなんだ…」
「あ、平気です…。それよりも先へ…」
サンドラスは自身の動揺を隠しながら再び馬にムチを当てた。

サン・トノレ城門に近づくと、人々や馬車の列ができていた。
「何を待ってるんです?」
「皆昨日からの騒乱で、パリを脱出する人たちなんだ。城門での検査が厳しくなっている。」
近くの馬車の御者は答えた。
太陽が高くなってきても、一向に行列は前に進まなかった。
「すみません。ちょっと荷台に腰掛けてもいいですか?」
ひとりの若い僧が、サンドラスに話しかけた。
褐色の長いカプチン会の僧服をつけていて、頭は短く刈り込んでいた。
長いまつ毛の下には緑色の目が光っていた。
「朝からこの行列に並んでいて、疲れてしまって…」
「どうぞ。いいですよ」サンドラスとコンスタンスはうなずいた。
修道僧は大きな行李から水筒を取り出すと、水を飲んだ。
「パリは暑いですね」
「どちらからいらっしゃたんです?」
「ロンドンからです」
「まあ、そんな遠くから」コンスタンスは答えた。
「マザラン枢機卿宛の書状を持ってきたんです。ところがマザランは昨日のうちにパリから脱出したというじゃありませんか?」
「これからどうするんです?」サンドラスは尋ねた。
「さあ…。噂では、ムードンかサン・ジェルマン・アン・レーか。とりあえず、行って探してみますよ」
「フロンド派の郎党には気を付けてくださいね。貴方はイギリス人だから大丈夫だと思いますが」
太陽は西に傾き行列は少しずつ前に進み始めた。
いよいよ、サンドラスの馬車が城門に入ろうとしたとき、跳ね橋がごとごとと音を立てて引き揚げられた。
「今日はこれまでだ。」
「どうして城門を閉じてしまうんですか!?」サンドラスは気色ばって叫んだ。
「パりの安全のためだ」
「私たちは急いでいるんです!」コンスタンスも声を上げた。
「だめだと言ったらだめだ。明日出直しな」
そのとき、若い修道僧が口をはさんだ。
「僕はイギリスからの使者です。至急の要件なので、この方たちの馬車に乗せていただいているんです。これはクロムウェル殿直筆の委任状です。通していただきたい」
修道僧は書面を男の前に見せた。
「わかった。しかたあるまい。跳ね橋をおろしてくれ」
跳ね橋が降りると、サンドラスの馬車はその上を、まだ不満を言っている行列の人々をしり目にとおっていった。
「ありがとうございます。お世話になりました」
サンドラスは修道僧に声をかけた。
「いえいえ。こちらこそ。ほんの恩返しです。あとは馬を拾います。お元気で」修道僧は荷台から降りて手を振った。
「お気をつけて」コンスタンスは手を振った。
遠くなっていく若い男の姿を振り返りながら、誰かに似ているという思いが頭をかすめた。
「でも、誰かしら?」
コンスタンスはつぶやきながら、その考えを頭から振り払った。



第12話 終わり

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