十年後!

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  第10話 悲しみの王子  


アトスとアラミスは、パトリック卿に案内され、ルーブル宮殿の裏口から入り、うらぶれた一翼の部屋にたどり着いた。
そこは、かつて銃士として詰めていた同じ宮殿とは思えないほど、閑散として飾り気がなかった。
「覚えておいででしょうか。アンリエット王妃が、現在パリに亡命しておいでなのです」
「アンリエット王妃…チャールズ一世に嫁いだルイ13世の妹君の…」
アラミスは日のあたらない回廊を歩きながらつぶやいた。
「そうです。かつてバッキンガム公爵が使者として縁組をとりついだアンリエット殿です」
「イギリスでは清教徒たちの暴動が起きていると聞くが…」アトスは言った。
「はい。国王チャールズ一世は、王妃と王子たちを亡命させました」
パトリックは、つきあたりの部屋まで来ると扉を開けた。
「陛下。フランスでの協力者をおつれしました。かつての三銃士であったアトスとアラミス、現在はラ・フェール伯爵とデルブレー卿と名乗っておいでです」
アトスとアラミスは、ひざまずいて不運の王妃に拝謁した。
アンリエットは、質素な服を着ていたが、いずまいだけは清潔で美しく高貴な面もちを忘れていなかった。
「パリの三銃士…私が輿入れする前の、そのご高名は今も存じていますわ」
アンリエッタは立ち上がって二人の手を取った。
「王族がこのような憂き目にあうのをさぞかし驚いていらっしゃるでしょう。ここパリでも内乱が起きておりますが、イギリスの内乱、いや革命はさらに深刻なのです。ネイズビーの戦い以後、国王軍は議会軍に連戦連敗を喫し、スコットランドに逃れ、わずかに忠誠を誓うスコットランド人たちに護られているというありさま」
アンリエットの声がふるえた。
「臣民に見放される王というものはなんて悲しいものでしょう。私たちは甥であるルイ十四世陛下とその摂政のアンヌ太后殿下に援軍を要請しました。しかし、イタリア人のマザラン枢機卿は…」
「協力を断ったわけですな」アトスは先を続けた。
「フランスが内乱で忙しいのに、よその国の王族のために援軍を出していられるわけがない、と言われました」
「マザランは王族でもない」アラミスは言った。
「同じ血を分けた王家の人間が、流転の身になって危機にさらされているのに、見殺しにしようとでもいうのです。私は、パトリック卿のかつての主人であるバッキンガム公爵とアンヌ王妃の仲立ちをしたシュヴルーズ公爵夫人のことを思い出しました。公爵主人ならば、太后殿下にお口利きくださるかもしれない、と」
「しかし、シュヴルーズ公爵夫人はフロンド派です」
「そうなのです。その上、あろうことか、枢機卿マザランは国王軍を助けるどころか、議会派の連中と手を結ぶつもりでいるのです」
「何だって、自分が高等法院と対立しているのに、イギリスの国内情勢に口を突っ込むときは、内乱軍に肩入れしているのか」アラミスは言葉を荒げた。
「これは、何の大義もない。単なる目先の欲得だけの政治だ」
アトスも憤懣やるかたなく言った。
「わかりました、マダム」アトスはしばらくの間沈黙していただが、やがて口を開いた。
「我々にご相談くださったからには、これからイギリスにわたります」
「まあ、そんな…。あなたたちはフランス人ですのに。そこまでの犠牲は私は望んでおりません」
「いいえ。マダム。私とて貴族の端くれでございます。ひとたび剣を持ち王家に忠誠を誓ったものたちの、卑劣な裏切りをどうして許しておけるでしょう」アトスは膝を折って答えた。
「私も同感でございます」アラミスは続けて言う。
「アトス殿とアラミス殿がご協力くださるのであれば、心強い味方でございます。」
パトリックは少し元気が出たようだった。
「お願いです。お父上をお助けください!」
そのとき、衝立の影から幼い王子が走り寄ってきた。
「僕はまだ小さくて、剣をとってお父上と共に戦うことができない。でもいつもお祈りしています。お願いです。フランスの剣士様。もしお父上と会うことがあったら、こうお伝えください。たとえ王冠を失っても、僕にとってのお父上はお父上ですし、僕にとっての国王陛下である、と」
王子はアトスとアラミスを見上げながら叫んだ。
アトスの目元が少しゆるんだ。
「プリンス・オブ・ウェールズ殿下。必ずや王冠を取り戻してご覧にいれましょう」
二人はアンリエッタ王妃とチャールズ王子に一礼してから部屋を出た。

「それで、どうするんだ」ルーブル宮殿を出てから、アラミスは尋ねた。
「イギリスに渡る」アトスは簡潔に答えた。
「君はそれでいいのか。ラウルはどうするんだ?」
「ラウルがいるからこそだ。だが君は残っていた方がいい。」
「僕は行くよ」アラミスは強く答えた。
「危険だぞ」アトスは言った。
「今までだって危険だったじゃないか。友の誓いをしたくせいに今更何を言うんだ。アトス」アラミスは言い返す。
「わかったよ。アラミス」しばらく逡巡のあとアトスは答えた。
「ぐずぐずしていられない。明日パリを発つ。ラウルに会って来る」アトスは手短かに言った。
「わかった。僕も人と会う約束があるんだ。それでは明日の朝、サン・ドニ門でまた会おう」
「それじゃ」アトスとアラミスはそのまま別れた。

サン・ジャック門外、ヴァル・ド・グラース教会の鐘楼が3時を告げた。ミサが終わり戸口から人々がぞろぞろ出てきた、
アラミスは、人目につかぬように教会の中に入ると、ゴシックの柱の陰に身を隠した。
内陣では芳香がたかれ、煙がくすぶっており、また最近できたばかりのバロック様式の華麗なる天蓋が流線状にその祭壇の上に置かれていた。
懺悔の懲戒をする人たちのひそひそ声を背に、アラミスは柱の影を列席の方に進んだ。
「アラミス殿、だな?」柱の影から男が姿を現した。
赤い制服に黒い帽子、その上には赤い羽根飾りがついている。
「そうだ。私がアラミスだ」アラミスは目深にかぶった帽子を少し上げた。
「私に手紙をよこしたというのは…」
「それは、私だ。護衛隊のマンシーニ殿」アラミスは相手の帽子の羽飾りを凝視した。赤い大きな羽飾りがついている。
「まったくのデマを流しやがって。フィリップ殿下が脱獄したという…」待ち合わせの男、マンシーニは言った。
「間違いない。一週間前にパリで出会ったのだ。あのお顔は忘れるものか。ルイ十三世陛下と瓜二つではないか」アラミスは答えた。
「そんな事実はない。部下をサン・マルグリット島に使いにやらせた。本人であることは確認済みだ」
フィリップ王子はサン・マルグリット島に護送されたのか…口の中でつぶやいたアラミスの策略を知ってか知らずかマンシーニは詰問した。
「お前の目的は何だ!。何故そのような国家機密を知っているのか!?」
「僕が?当然だ。仮にもフィリップ王子のもとで銃士隊長をつとめたことがあるからね」
アラミスは平然と言いながら、マンシーニの帽子の赤い羽飾りを、上から差し込んでくる光のもとで認めた。その長さ、その色、まさしくノワジーのフィリップのあばらやに落ちていたものと同種類だった。
「それで今は謀反人ということか。フロンド派にかつての三銃士のふたりが肩入れしていることも、とっくに調査済みだ。さあ、ここで会ったからには、おとなしく剣を渡してもらおうか」
マンシーニはパチンと指で合図をすると、柱の影から十数人の護衛隊士が出てきて剣を抜いた。
「そうはいくものか!」
アラミスはマントを翻すと、教会の扉へと走りぬけ、通りの雑踏の中に姿を消そうとした。
「待て、謀反人を追うんだ!」
赤い制服の護衛隊士が後を追う。
細い路地を走り抜け、塀の陰を走り抜けながら、町はずれのアンフェール通りの方まで来た。
ここならば追手の姿は見えない。
アラミスはしばらく古い、ひからびた井戸によりかかって一息ついた。
そのとき、井戸のなかからふと、若い男の姿が上ってきて、黒い腕をのばしたのに気が付かなかった。
その二つの腕はアラミスを後ろからつかむと、井戸の中にひきずりこんだ。

「誰だ?何をするんだ!」
暗い井戸の底に落下した強い衝撃を感じながら、アラミスは叫んだ。
「しっ。おいらだよ!」聞き覚えのある声が帰ってきた。
若い男は蝋燭をつけた。
「覚えている?アラミス。おいら、はだしのジャンだ」
「ジャン!久しぶりじゃないか。大きくなったなあ。」
アラミスは、少々背伸びをして相手を抱擁した。
「アラミスは変わらないや。街の中で護衛隊に追いかけられている貴族がいると思ったんだ。帽子にその組み紐をつけていたから、フロンド派だと思って後をつけてみたんだ」
ジャンは、アラミスの帽子の飾り紐を指さした。
「それ、おいらがスカロンさんの注文で作ったんだ」
「それじゃあ…」
「おいらもフロンド派だよ。ダルタニャンには内緒だけど。アラミスもフロンド派だったなんてさ」
「でも、ジャン。こんなところでいったい何をやっているんだ?」
「ここはね、ローマ時代の坑道なんだ」ジャンは蝋燭を高く掲げた。
井戸の底と思われた地下室は、規則正しく凝灰岩を積み上げた細い通路になっていた。ところどころラテン語で書かれた碑文と、異教の神々の像が壁の積石の間にはさみこまれていた。
「ルーブル宮殿の石もここから切り出されたんだ。これからいいものを見せてあげるよ」
ジャンは地下の坑道をアラミスの手を引きながら進んでいった。
迷路のような通路を数本曲がると、ひときわ大きな空間に出た。
そこには、見たこともないような仕掛けの機械が何種類も置かれていた。
「ここに、バリケードの材料や火薬が貯蔵されているんだ。すぐにも戦えるように」
「これを見てくれよ」ジャンはその中でひときわ大きな仕掛けにアラミスをひっぱていった。
「ジャーン!おいらが発明したんだ」
「これは?」
「連射式投石器だよ」
巨大な投石器を横に連結した摩訶不思議な仕掛けの前にジャンは立った。
「石を仕込む時間が短縮されるんだ。馬がパリケードに近づく間に時間稼ぎができる」ジャンは得意気に鼻の下をかいた。
「ねえ。おいらの発明とアラミスの腕があれば、また一緒に戦えるよ!」
「でも、ダルタニャンには何て説明するんだ?」
「ダルタニャンなんて知らないよ!いつの間にか、貧しい人たちを馬で蹴散らすような、悪い貴族になっちまったんだ。でもアラミスはおいらたちの仲間だよ、ね」
「ジャン、ダルタニャンに会うことがあったら伝えて欲しい」アラミスはジャンに向き直った。
「え?」
「アトスとしばらくパリを留守にする」
「どこかに行くの?」
「大丈夫だよ。すぐに戻ってフロンド派のみんなと合流する」
アラミスはつとめて明るく言った。
「……わかったよ。なら、出口まで送っていくよ」
アラミスが口を割らなそうなのを見たジャンは、あきらめて言った。
そのまま迷路のような坑道の階段を上り、明かりの漏れる出口まで案内していった。
「元気でね!」
坑道から出たジャンは手を振った。
「ジャン、また会おう」
アラミスが持ち上げた帽子の先に、あの飾り紐が揺れていた。
空はいつの間にか夕焼けになっていた。



第10話 終わり

fig. ヴァル・ド・グラース教会
http://www.flickr.com/photos/gcattiaux/2704609534/
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