十年後!

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  第6話 覆面の剣士  


ノートルダムの大鐘が夕方の3時を告げた。
「全員集合。いくぞ!」
ダルタニャンは拍車を入れて馬を歩ませた。
パリの街路を空色に十字の入った制服を翻し、騎馬の銃士たちが二列になって進んでいく。隊長ダルタニャンの両脇には、ポルトスとサンドラスがそれぞれの馬を歩ませていた。
サン・タントワーヌ通りまで来ると、がやがやという人だかりができていた。
「見ろ!ブルッセルを連行しに行くぞ」
「高等法院を守れ!」
ものものしく行進する銃士隊を指さし、民衆は口々に叫んだ。
「我らの味方、高等法官を守れ!」
「これ以上の税金はこりごりだ!」
奥の広場には、いつの間に準備したのか、バリケードが築かれ大きな投石器が数台並んでいた。
「みんな、武器をとれ!」
「マザランの横暴を許すな!」
見る見るうちに、人々が四方から集まってきた。投石器から一斉に石が放り投げられた。
「いてて…」雨あられと降る石に、銃士たちの列が乱れる。
「この野郎…!」ポルトスは近くにあった丸太を両手でかつぐと、投石器に向かって投げつけた。
民衆は散り散りになり、投石器は丸太の下敷きになった。
「王宮に行くんだ!」誰かが叫んだ。
「王宮へ!」
「マザランに目にもの見せてくれよう!」
人々の群れは、ダルタニャンが進む方角とは別方向のルーブル宮に向かいはじめた。
「おい、ポルトス、引き揚げろ。僕らも王宮を守った方がいい」
ダルタニャンは馬の手綱を切り返した。
「仕方がない。王宮を守ろう」ポルトスもうなずく。
「サンドラスの一隊は、目だたないようにそのまま裏道を通って、ブルッセルの家に行け。僕らは引き返して王宮を警護する。わかったな」
「はい。隊長」サンドラスは叫んだ。

パヴェ通りの高等法官ブルッセルの邸宅。
「いよいよ来たな……」法服に鬘をつけたブリュッセルが窓の外を見ながらつぶやいた。
「大丈夫です。ブルッセル殿。奥様とご子息は昨日無事パリ市外に逃がしました」隣にいた覆面の男が言った。
一方、サンドラスは十数名の隊士を従え、邸宅の扉口に立った。
「入るぞ!」
そのときだった。ズギューンという鈍い音が聞こえ、奥からマスケット銃が火を噴いた。
「なに?」サンドラスは体勢を立て直した。
「中に武装した男がいます!」銃士たちに動揺が走った。
もう、二、三発、銃声が成りひびく。
「ひるむな。突撃だ!」サンドラスは銃士たちにに命じた。
「ブルッセル殿。ここは私が囮になってひきつけます。裏口に馬車がありますので、このすきにお逃げください」
覆面の男は、慣れた手つきで、マスケット銃に薬莢を込めながら言った。黒いマントの下には、黒いビロードの上着がのぞき、黒い帽子には紫の羽飾りがついていた。顔は、目元を残して黒い布を巻いて覆われていた。
「すまない。伯爵殿」
ブリュッセルは、覆面の男を伯爵と呼び、隠れ扉から姿を消した。
「扉の影にいるぞ!」「敵はどうやらひとりだ!」
「たったひとりに何をやってるんだ!」サンドラスは歯ぎしりをした。
開いた扉の影に、テーブルを倒して、覆面の男は実に的確に銃を打ち、
銃士隊の隊員たちの行く手を阻んでいた。
「来い。銃士隊諸君。私が相手だ」
覆面の男は剣を抜き、ひらりと階段に踊り出た。
サンドラスも剣を抜き、階段を駆け上がりながら、相手に一撃を加えた。
しかしながら、サンドラスの渾身の一撃はどれも相手に軽くかわされていた。
階段で、二人の小競り合いが行われた。
と、そのとき、二階からもう一群の銃士たちが降りてきて、またたく間に、階段の真ん中で、黒いマントの覆面の男は、青い制服の隊員に囲まれてしまった。
「恐れながら貴殿はなかなかの腕前と拝見した。しかしながら、なにぶん多勢に無勢……。お覚悟を」
サンドラスは、覆面の男の顔の前に剣の切っ先をつきつけた。
男は動揺だにもしなかった。
と、そのとき、二階から銃声が聞こえ、燭台を乗せたシャンデリアが落下してきた。
「あちちち……」熱く溶けた蝋が飛び散り、隊員たちは慌ててその場から飛びのいた。
二階の吹き抜けに人影が見え、階段に飛び降りた。
紺のマントをはおり、青い帽子を目深にかぶり鼻と口を布で覆っていた。新たに加わったもうひとりの覆面の男は、剣を抜いた。
「助太刀申し上げよう」黒い覆面の男の隣でささやいた。
「かたじけない」
敵はふたりになった。この紺のマント剣士は、覆面の男と背中合わせになりながら、銃士隊の面々と丁丁発止を繰り広げた。隊士たちは次第にその勢いに押されていった。
「おおい、相手はたったふたりだぞ。皆かかれ!」
サンドラスは今度は紺のマントの男の剣を受けながら叫んだ。
そのとき、男の最後のひとつきがサンドラスの剣をはらった。「くそ、や、やられた」
彼自身が最も動揺していた。
「こっちだ。」隊士たちが遠巻きになったそのすきに、黒い覆面の男は、紺のマントの男の手をひっぱり、隠れ扉の中にとびこんだ。そこから、隠れ階段が上に続いていた。
「ブルッセル殿は?」
「裏口から逃げた」
二つの足音は階段を駆け上がっていった。
「まるで烏合の衆だ。かつての銃士隊とは大違いだ」
「全くそのとおり」黒い覆面の男、伯爵はうなずきながら、この突如現れた謎の男は、何故自分と同じことを考えているのだろうと 不思議に思った。そして、一緒に戦ったときに、なぜか阿吽の呼吸で合った剣さばきにも。
秘密の階段を駆け上がると、突き当りに小さな窓があり、そこから屋根の上に出ると屋根の端まで駆けていった。
下からブルッセルを乗せた馬車が動き出すのを認めると、黒い覆面の男はマントを翻しながら、馬車に飛び降りる。紺のマントの剣士もそれに続く。

二人が馬車に飛び乗ったとき、後ろから騎馬の銃士隊がマスケット銃を構えているのが見えた。
一斉にマスケット銃が発砲され、その衝撃で馬車がガタンと揺れた。
「ブルッセル殿。伏せてください」黒い覆面の男は、御者台に登ると高等法官を馬車の奥に押し込んだ。
そして、もうひとりの紺のマントの男にマスケット銃を投げてよこした。
「銃弾は?」
「十分に入っている」
馬車はぐらつきながら全速力で動き出した。マレ地区の街路を抜け、タンプル大通りを駆け抜けていった。
騎馬の銃士隊がそれを追う。
紺のマントの剣士は、馬車の窓からマスケット銃を出して追手の馬の足元を狙っていた。
馬車は、車輪を軋ませながら全速力で走り抜け、やがて、追手の馬のひずめの音は遠ざかり、姿が見えなくなった。

城壁外にあるシュヴルーズ公爵夫人の別邸にたどり着いたとき、もう辺りは暗くなっていた。
「ブルッセル殿ご無事で」
公爵夫人は燭台を手にブルッセルを迎えた。
「これは、まことにかたじけなかった。公爵夫人。おかげで命拾いをした」
ブルッセルはよろよろと公爵夫人に会釈をした。
「それは、ラ・フェール伯爵とデルブレーに感謝するところですわ」
公爵夫人は二人の覆面の男に目配せをした。
「お二人とも、もう、覆面を解いたらどうです?」
公爵夫人に言われて、ふたりの剣士は、帽子を脱ぎ顔の布を取った。
「アトス!」
「アラミス!」
燭台のほのかな光の下、二人の旧友はそれぞれお互いの懐かしい顔を認め、抱擁しあった。
「久しぶりだ」
「まさか、一緒に戦ったのが君だったなんて……!」
「さあ、上で晩餐にしましょう」公爵夫人は嬉しそうに言った。

「おそらく、フィリップ王子を連れ去ったのはマザランの配下でしょう」
アトスとブリュッセルが上階に上がった後、残されて一息ついたアラミスに公爵夫人はささやいた。
「マザランは、わたくしたち貴族が王族を担ぎ出すことを恐れている。その証拠にマザランは、アンリ四世の血を引くボーフォール公をバスチーユに収監しました」
「では、フィリップ殿下も同じように……?」
「どこに隠したかはわかりません。でも、いずれ、明らかになるでしょう。あなたがパリに来たからには」
「デルブレー」公爵夫人は言葉に力を込めた。
「ついに決心がついたのね。トレヴィル殿から貴方を託されてから、私はいずれはこうなると思っていました。何故ならば貴方は銃士だったのだから」
「あれは目的のためだったのです。」アラミスはそっけなく答えた。
「剣術師範をつとめ、仮にも銃士隊長までつとめたあなたが、この動乱のなか剣をとらずにいられるとでも?」
「今は関係ありません」アラミスは言った。
「いずれにせよ、わたくしは、あなたを埋もれさせておくわけにはいかなかったのです」
公爵夫人はその言葉を残すと階段を上がっていった。



第6話 終わり

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