銃士隊最悪の三日間〜ポン・ヌフを封鎖せよ!〜

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  エピローグ 赤いバラの娘  

トレヴィル殿の邸宅の銃士隊詰所では。
ポルトスが朝から機嫌よく控室に入ってきた。
「ダルタニャン、今日の午後は非番だろ。皆で金の孔雀亭に夕飯食いに行くんだけど、どうか」
「ああ、いいけど」
ダルタニャンは帰り支度をしながら立ち上がった。
「親父さんやっと営業再開したんだ。牡蠣さえ頼まなければ、兎肉のローストなんかは最高だぜ」
「アトスやアラミスは?」
「来るってさ」
そのとき扉が開いてアラミスが入ってきた。
「聞いてくれ。交代の当番表がやっと見つかったよ」
「どこにあったんだ?」ポルトスが尋ねる。
「トレヴィル隊長の机の中さ。貼るのを忘れていたらしい」
アラミスは手に丸めた交代表を持って廊下に向かおうとした。
そのとき、戸口にアトスが現れた。
「ローザンはピロネル監獄に護送されることになった。さっき引き渡し現場に立ち合ってきた」
「ナナ・ベルナールは?」ダルタニャンは身を乗り出した。
「修道院で最低三年間の禁固」
アトスは帽子をとって答えた。
「監獄送りにならなかったのはせめてもの救いだ」
「そうか残念だなあ」ダルタニャンがふうとため息をついた。
「何が?」
「『パエドラー』だよ。あれがお蔵入りになってしまうのか」
「名作だったよなあ」ポルトスも腕を組んだ。
「あれが当たったからこそ、ブルゴーニュ座の悲劇は一躍人気枠になったんだ」アトスも目を落とした。
「水死したヒッポリトスを追ってパエドラーが自死する場面なんて、泣けたよ」
アラミスもしみじみと言った。
「やっぱり主人公がいないと、再演はできないだろうな」
ダルタニャンは物思いにふけった。
「ナナ・ベルナールは案外早く復帰したりしてな」ポルトスは言った。
「再演してほしいねえ」
ダルタニャンはもう一度ため息をついた。

サン・ジェルマン広場では、ちょうど朝市の時間は終わり、八百屋や魚屋の店先ではバタバタと仮設の店を畳み始めていた。
風にのって舞い散る野菜くずや穀物の残りめがけて、白い鳩が次々とが空から降り立つ。
「ダルタニャン、今日は午後から非番でしょ。やっと家に帰れるのよね」
「ああ」
コンスタンスと並んで歩きながら、ダルタニャンは煮え切らない返事をした。
「私もそれに合わせて王妃様からお暇をもらったの。どう?久しぶりに家族みんなで夕ご飯を食べるのは?」
「いいよ。コンスタンスがいるなら、僕はそっちに行く」
「マルトがとっておきのご馳走を作って待ってるわ」
ダルタニャンは、ふと前方の騒がしい声に気づいた。
長い人の列が、広場の奥に続いていき、その先には見世物小屋の白い天幕が張られていた。
「わーい。象だ。象だってよ!」
「象だ。象が来たんだ!」
行列に並んだ子供たちは、口々に騒ぎ立てながら、母親に手を引かれていた。
「やあ、ダルタニャン!」
見世物小屋の前では象使いが立っていた。
「こんにちは。おじさん」
「ご覧の通り、大盛況だよ」
象使いはダルタニャンとコンスタンスに駆け寄った。
「国王陛下が象を下賜くださったんだ。パリの民衆のための見世物にしていいって」
「すごい行列だなあ」
「また、象の見世物ができるんだ。パリの人々も大喜びさ」
天幕の後ろで二頭の象が、鼻を振り上げていなないた。
「パオーン!」
「パオオーン!」
「おお、ご挨拶だ。そうだ紹介するよ。弟のサミーだ」
象使いは後ろにいた、白いターバンの若者を招きよせた。
どこか象使いに似た容貌の若者は、持っていたビラをダルタニャンに手渡した。
「サミーです。今、象の名前、募集中です」
「これからは、兄弟力を合わせて象の見世物をやっていくよ」
象使いの兄弟はお互いの肩を抱いた。
「良かったね。おじさん」
「ダルタニャンも、名前考えてくれよー」
兄弟は手を振った。

「やっぱり、パリには象がいなくっちゃね」
ダルタニャンは広場の角でふとたちどまった。
「ああ、そうだ。コンスタンス」
ダルタニャンは照れながらコンスタンスの目をみつめた。
「今回は助かったよ。いろいろありがとう」
「やっぱり、ダルタニャンひとりじゃいろいろと心配だもの、ね」
ダルタニャンはふと身をかがめ、コンスタンスの額に唇を近づけた。
コンスタンスは目を閉じた。
「待って。お返しよ。目をつぶっていて」
「こう?」
つま先立ちになったコンスタンスの唇がダルタニャンの額に触れようとしたそのとき、
コピーがバタバタと飛び上がった
「オタノシミハ、コレカラ、コレカラ」
「まあ、お行儀が悪いわ。コピー。あんな言葉どこで覚えたのかしら?」
コンスタンスはコピーを見上げた。
「紳士のたしなみってやつじゃないかな」
ダルタニャンはとぼけた。
コピーはそのまま円を描きながら、青い空に吸い込まれるように上昇していった。
「ミガケバ、ヒカル、ヒカル」


行商人や物乞い、着飾った従僕や、手に籠を下げた小間使い、
いつものようにポン・ヌフには、様々な階層の様々な人々が往来していた。
橋の下を、帆船や小さな手漕ぎボート、洗濯船が通りすぎ、河畔で荷物を降ろす。
「鐘が鳴ったら今日の当番は終了」
ポルトスとアラミスは帯剣のままポン・ヌフを渡り終えたとき、
3時を告げるノートルダム寺院の鐘が鳴り始めた。
と、そのとき、後ろから花売り娘が駆け寄ってきた。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと。銃士のお兄さんったら」
花売り娘はアラミスの前に立ちはだかった。
「ああ、君か」
「花買ってよ。今日は赤いバラ、ピンク、どうするの?」
アラミスは少し考えていたが、ポケットから銅貨を取り出した。
「そうか。今日行くのも悪くない。赤いバラをくれる?」
「また、赤なのね」花売り娘は花束を差し出した。
「ありがとう。これは君に」
アラミスは、花束からバラを一輪抜き出すと、娘に返した。
「ここで僕が花を買っていることは、秘密にしてくれ」
「ま、モテる男はマメよね」
花売り娘は意味ありげに片目をつぶると、サン・ジェルマン通りの向こう側に走り去った。
3時の鐘が鳴り終わった。
「さあ、これで当番は終了だ。これから僕は行くところがある」
アラミスは花束を持って立ち去ろうとした。
「おい、金の孔雀亭はどうするんだ」
「あとから合流するよ。みんなによろしく。じゃ」
アラミスは、ポルトスの肩をたたくと、足早に雑踏の中に消えた。
「相変わらず、水臭いやつ…」
残されたポルトスはつぶやいた。

パリの中央にあるイノサン墓地では、朽ちた古い十字架が隙間のないほどひしめき合って立っていた。苔むしした古い墓石は、蔦が絡みつき、風雨にさらされていた。
その片隅に、大きな十字架に挟まれるように、ひとつだけ小さな新しい十字架が立っていた。
アラミスはその前で跪くと、花束を置いた。
鮮やかな赤のバラが墓標の上に血のような点々と残していた。
「いつも娘の墓に花を手向けてくれてありがとう」
後ろから舗石を踏みしめる音が聞こえ、振り向くとそこにはヴィトルヴィル侯爵夫人が立っていた。
「いえ、なに、ちょっとしたついでです。侯爵夫人。それよりも、先日はご協力ありがとうございました」
「お役に立って何より。アラミス。お安い御用よ。あなたからのお願いなら」
侯爵夫人は言葉を続けた。
「あなたが、カリーナの死を太后殿下に知らせてくれたおかげで、私は娘に再会できたわけですから。そうでなければ、カリーナの亡骸は身元不明人として共同墓地に葬られるところでした」
アラミスは墓に添えられた赤いバラの花を見やった。
「あの日、私が彼女から花を買ったのです」
「カリーナは私の不義の子供でした。若き日の一時の過ちで、マックス卿と道ならぬ恋に落ちた私の。私生児だから表に出す事はできなかったけれど、マックス卿に預けた後も、いつも気にかけていました。でも、条約文書の一件で、彼もあの子も殺されてしまった。かわいそうに。あのときカリーナは私に塁が及ぶことを恐れて私を頼れなかったのです。私はあの子を守ることができなかった。それが今でも胸に刺さった私の十字架……」
侯爵夫人は墓石を見つめた。
「でも、そろそろ潮時ですわ。沢山の出会いがあったけれど、パリの暮らしは虚飾に満ちている。ここを離れて、静かな生活を送るのも悪くはないと思っているところですのよ。あなたはずっとパリにいらっしゃるのね」
「ええ、まあ、いずれかは……。では、また」
アラミスは帽子をとって挨拶すると、そのまま墓地の中を歩き出した。
舗石の間に伸びた雑草から、小さな芥子の花が顔をのぞかせていて
プラタナスの葉が色濃く影を落とす季節になっていた。



<終わり>


注)この物語はフィクションであり、実在の人物、団体とは何ら関係はありません。

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