銃士隊最悪の三日間〜ポン・ヌフを封鎖せよ!〜

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  マルトの秘密  


「この、ばっかもん!!!」
トレヴィル隊長は勢いよく拳で机を叩いた。
翌朝のトレヴィル殿の執務室では、四人の銃士が集められていた。
「まずはダルタニャン」
隊長は眉間に皺をよせたまま言った。
「オルレアン公殿下から遠まわしに苦情がきた。夕べの舞踏会で一騒動あったそうだな」
「あれは、砒素の売人と思われる男を追っていたからです。その証拠に、奴は銃士隊の制服を見たら逃げ出しました」
ダルタニャンは前に進み出た。
「恐れ多くも王弟殿下の舞踏会であるぞ。そこに公然と銃士が出入りして捕り物が行われていることが噂になったら、陛下の面目が立たぬではないか。もう少し慎重に動いてくれ。それから」
トレヴィルは立ち上がった。
「君は田舎から出てきたばかりだから言っておくが、ああいう場所には制服を脱いでご婦人同伴で行くものだ。さもなければ浮き上がってしまう」
「はい……隊長。すみませんでした」
ダルタニャンはうなだれた。
「それから、アトス、ポルトス、アラミス」
トレヴィルは、三銃士の方に向き直った。
「また護衛隊ともめたそうだな。リシュリューに嫌味を言われた」
「ですが、因縁をつけてきたのは向こうです」
アラミスが負けじと言うと、ポルトスも前に出た。
「そうです。そもそも、シャトレの看守長のベーズモーが、金の孔雀亭を貸し切って宴会をやっていて、そのために俺たちは夕飯を食いそこなったんです」
「それは関係ない」
トレヴィルは口を挟んだ。
「しかし、砒素の売人を徹底的に追及せよというのは陛下のご命令です。ジュサックは、その任務を遂行するダルタニャンを妨害しました。 彼らのやったことこそ、陛下の命に背くのではないでしょうか」
アトスは落ち着きはらって言った。
「なるほど。一理あるが、アトスの口答えなどどうでもよい」
トレヴィルは四人に背を向け、窓の外を眺めた。
「明日、シャム王国からの使節団がルーブル宮殿を訪れる。沿道には人がつめかけることだろう。警備を護衛隊と仲良く分担してやってくれと陛下に言われた。仲良くやってくれんと困るのだ」
「……あのう、隊長。ですが、もう、警護のための人手がいません」
アラミスがおずおずと口を開いた。
「何を言う。我々は誇り高き陛下直属の銃士隊であるぞ。我々に不可能はないのだ。我が精鋭たちは、ひとりで十人分の働きをすると陛下も自慢に思っておられる。明日の警備も抜かりなくやってくれ。いいな」
トレヴィルはおごそかな口調で言った。
「はい…」四人は力なく答えた。

トレヴィル殿の執務室から出ると、ダルタニャンは突然アラミスに袖口を引っ張られた。
「ダルタニャン、ちょっと来るんだ」
「……えっ?」
アラミスはダルタニャンを、そのまま廊下の奥まで引っ張って行った。
「オルレアン公の舞踏会に潜入したいんだろ。いい人知ってる。紹介するよ」


夕暮れどきのモー街道。
人気のない道端に瀟洒な馬車が一台停まった。
馬車から黒いフードを目深にかぶった女が降りてきた。
続いて、身なりの良い長身の貴族が馬車から降りる。
「とうとうここまで来てしまったのね」
女はつぶやいてフードを上げた。
舞台化粧のままのナナ・ベルナールだった。
「ナナ。ここでお別れだ」
男は決意したように女の両手をとった。
「ここから先、ひとりで逃げろというの?」
「ああ」
最後の夕日の光が男の横顔を照らし出した。
「セザールが裏切ったんだ。僕らを売ろうとした。あれは口封じのためなんだ。仕方がなかったんだ」
男の甘い顔立ちが苦しそうに歪んだ。
「君は何も知らない。巻き込まれただけなんだ。許してくれ」
「待って。私も同罪よ。あなたが何をやっているかずっとわかっていた」
「僕はパリに戻る」
「正気なの?」
「全ての罪は僕がかぶる。だから、逃げるんだ。ナナ。今のうちに。できるだけ遠くに」
「……」
男は名残惜しそうに女の手の甲に唇をあてた。
「さようなら。永遠に。君は天国へ、僕はこれから地獄に行く……」
そして馬に飛び乗ると鞭をあて、今来た道を反対方向にひきかえしていった。
女は馬車の窓から顔を出して、その後ろ姿をいつまでも見つめていた。
「さようなら。ローザン」

パリ。フォッソワイユール通りのボナシュー邸。
「ねえ、ダルタニャン、ここのところ家に帰って来てないじゃないか。どこ行ってたんだ?」
ジャンがダルタニャンの行く手をさえぎった。
「子供が来るようなところじゃないよ」
ダルタニャンは上着を脱いで椅子の背にかけた。
「何だい。子供って。ダルタニャンだって子供じゃないか」
ジャンはふんと腕を組んだ。
「一人前の銃士になったからって、大人ぶっちゃってさ」
「じゃ。またな。ジャン。今日も家に帰れないよ」
ダルタニャンは替えの上着に腕を通すと、そのまま振り返りもせずに家から出ていった。
「どうしたんです?」
マルトがジャンの後ろから現れた。
「ダルタニャンがおいらに内緒で夜どこかに行ってるんだ」

マルトは椅子の背にかけてあったダルタニャンの上着を取ろうと手を伸ばした。
そのとき、上着の右胸に赤い口紅がべったりついているのに気が付いた。
「まあ、これは……!」

仕事場のボナシューは、戸口の人の気配に気付いて手を止めた。
「旦那様」
マルトが思いつめた顔でそこに立っていた。
「どうしたんだ?マルトや」
「二階の部屋のダルタニャンのことですけど。あの、最近家に帰っていないようなんですが……」
マルトはダルタニャンの上着を自分の後ろに隠しながら言った。
「ああ。知ってるよ。何でも国王陛下の命令で犯人を追ってるんだって。忙しいみたいだな」
「いえ、旦那様。あの、田舎から出てきた青少年にとってパリは刺激が多いことですし」
マルトは言葉を続けた。
「いくら、コンスタンスお嬢さんと一つ屋根の下に住んでいるとはいえ、誘惑に心惹かれても……」
「ははは。マルト。心配せんでもよい。男の子は若いうちは仕事に夢中なくらいがちょうどいいんだ。私も若いころは仕事場に籠って妻を心配させたものだった」
ボナシューは笑いながら言った。
そのとき、二階からコンスタンスが降りてくる足音が聞こえた。
マルトは慌ててダルタニャンの上着を洗濯籠に放り込んだ。
「とにかく、証拠は消さなくては……」

洗濯籠を両手に抱えたマルトが、セーヌの河岸まで降りていくと、
ちょうどそこには洗濯女の人だかりができていた。
「ちょっと、マルトさん」
そばのひとりが、マルトを呼び止めた。
「大変なのよ。私達がいつも使ってる洗濯船がないのよ」
「まあ」
「誰かが乗って行ってしまったみたい」
「困るわ。こんな沢山の洗濯物、どこで洗えばいいのよ」
洗濯女たちは口々にしゃべりながら、船が消えた河岸を見つめた。



<続く>

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