将軍と二つのカゲ!!

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  さらば、銃士隊  

空を流れる雲が刈り込んだ芝の上に陰を落とし、雨の上がった蒸気の向こうに、においあらせいとうの香りがほのかに立ち上っていった。
サン・ジェルマン・アン・レ―の城館の大広間では、開け放たれた窓から風が吹き込み、白いタンポポの綿毛が迷い込んだ。
「陛下…陛下! 陛下はいずこにおられる!」
鬘をかぶった侍従長が落ち着きのない足取りで大広間の扉を開ける。
「ダルタニャン殿! 陛下をお見かけしたか?」
「いいえ」
ダルタニャンは大広間の隅の柱に直立不動で立ちつつ、帽子のつばにゆっくりと落ちたタンポポの綿毛を指で払った。
「そういえば、小一時間ほど前に寝室に退去されましたが」
どこか温かみのある声が、瞬発的に応答した。
浅黒い顔に生き生きと動く褐色の目は、少年の日のそのままで、
髪には白いものが混じり、口元には髭を蓄えていた。。
「それは、困りまする。客人をもう長らくお待たせしておりますゆえ」
「客人?……陛下の客人とはまた……」
銃士隊長は好奇心旺盛に尋ねた。
「それが……イギリスからの客人で……」
侍従長は困ったように声を落とした。
「陛下のお従兄弟君であると名乗っておいでです」


ダルタニャンは謁見の間の帳をそっと開けて、
そこにいる二人の人影に静かに近づいていった。
「陛下は先ほどから寝室に退去されました。今すぐ部下を呼びにやらせます」
銃士隊長が声を声をかけると老人は帽子をとって挨拶した。
「かたじけない……」
その黒いマントに包まれた老人の顔を認めるとダルタニャンは叫んだ。
「パリー殿!楠の木邸のパリー殿ではないですか!」
老人は羽根突き帽子をかぶり、ひげをたくわえたこの武人をまじまじと見つめた。
「おや。これは、なんという奇遇。ダルタニャン殿とは…」
ダルタニャンはパリーに駆け寄って、老人を助け起こした。
「イギリスからの客人とはあなたですか」
「いいえ。正確に言うと私ではなく……それにしても、ダルタニャン殿。ご立派になられて。今はここで?」
「銃士隊長をしています」
「それは、また出世しましたな。全く陛下の隣にいるのがこの老いぼれでなく貴方様であったらどんなに良かったか……」
「陛下?」
ダルタニャンはパリーの言葉を確かめる間もなく隣の若者を思わず振り返った。

「隊長、大変です!陛下が……」
そのとき、大広間に若い銃士が駆け寄ってきて銃士隊長に何やら耳打ちした。
「なんだと!」
ダルタニャンは眉間にしわを寄せ足早に大広間を出た。

ダルタニャンが国王の寝室の扉を勢いよく開けると、
そこには、副官のサンドラスが気難しい顔で待ち構えていた。
「隊長、こちらへ」
サンドラスの指さす方に歩み寄ると、寝室には国王の気配は無く、
向かいの大きな窓が両開きで外に向かって大きく開け放たれていた。
そして、窓枠に結びつけられたシーツが縄のように、
窓から地上まで垂れ下がって、庭まで続いていた。
「庭を探してくれ……」
ダルタニャンはため息をつきながら、配下の銃士たちに命じた。

サンジェルマン・アンレーの城館の中庭では、幾何学系に刈り込まれた樹木が、陽の光を浴びて鮮やかな緑色の影を落としていた。その間を縫うように、そよ風にのって透き通った娘の鼻歌が聞こえ来た。
そのとき、茂みのひとつがガサゴソと音を立て、一心で花を摘んでいた乙女が、思わず驚き籠を取り落とす。
娘が振り返ると、ひとりの青年がその前に立ちはだかった。
「陛下!?」
「しっ…」
陛下と呼ばれたその青年……ルイ十四世は、栗色の髪の毛を後ろに束ね、軽やかな足取りで娘に近寄った。
「驚かなくてもよい」
国王は乙女から籠を取り上げた。
「女官長様のおいいつけです。病室の母后殿下に花をと」
「手伝おう」
ルイ十四世は袖をまくりあげて、花壇の前に片膝で腰を落とした。
「いけません。陛下」
「ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」
国王は少女の傍でささやいた。
「最近宮殿に勤めだした新入りだね。以前は?」
「ブロワにいました……」
少女は目を伏せて小さな声で答えた。
「僕付きの女官になってもらうように、配置換えを命じた」
国王は少女の手を取った。
「満足かい?」
ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールは、やっとのことで声を絞りだした。
「陛下。わたくしブロワに許嫁がおります」

そのとき、砂利を踏みしめて、軍靴と拍車の金属音と、腰に下げた剣のガチャガチャいう音が聞こえてきた。
「ダルタニャンが来たようだ……ではまた会おう」
若い国王は残念そうに籠を少女に渡すと、身をひるがえして茂みの外に出た。

「陛下。三時から謁見のはずですが」
ダルタニャンはかがみこんで、国王の足元に残された一本の野菊を拾いあげた。
「わかっている」
「客人はもう一時間もお待ちです」
「国王が臣下を待たせてもよいはずだ」
「しかし、陛下。お相手は臣下ではありません」
ダルタニャン付け加えた。
「イギリス国王チャールズ2世その人でございます」


ルイ十四世は幾分緊張しながら、好奇心に満ちた目で大広間に入っていった。
「遠くからようこそ。伯母上は元気でおられますか」
老人パリーの傍らにいた黒髪の青年は、声をかけられるとすっと立ち上がった。
ルイ十四世は、親しみやすく微笑むと近寄って握手をした。
「お話をうかがいましょう」
どこか内向的なチャールズは、はっと恥じらいながら、静かな声で口を開いた。
「ご存知のとおり、10年前私はスコットランドで戴冠されました。しかしながら、スコットランドの人びとは私にカトリックの信仰を強いたので、やむなく私はスコットランドを出て、ウスターでクロムウェルを迎え討ちました。結果は敗退し、その後戦火に追われ、母や兄弟たちと命からがら逃げのびました。ここ数年は、ケルン、ブリージュ、ブリュッセルと各地を転々として再起を計っています」
「しかし妙ですね。こういったことは私の耳に入って来ず、てっきりブリュッセルにおいでと思っていました。」
「いいえ。今はブレダに近臣を集めています。ここに参上したのは、他でもありません。今や機がが熟し、我々は立ち上がるときがきました。フランス国王のご支援をお願いしたいのです」
チャールズ2世はの声は熱を帯びていった。
「イギリスはもはやめいめいが父が残した王冠を目当てにさいころをふっているとばく場にすぎません。
クロムウェルの息子は一年前に護民官の地位を追われ、現在はランバートのモンクの二人の将軍が国内を二分してにらみ合っています。陛下。100万の資金と200人の軍隊を私にお付けいただければ、
ランバートとモンクの二人を対立させて王冠を取り戻してみせます」
チャールズは言い切った。
「しかし……」
ルイは少々気押されたように口ごもった。
「100万というのは大金です。私のところにはその十分の一しか自由になるものはありません」
「フランス国王ともあろうあなたが」
「おはずかしいことに。国庫は慢性的に赤字なのです」
「では、軍隊は?」
「宰相のマザランは昨年共和国軍と条約を結び、現在スペインとの停戦協定に心を砕いています。今わたしがイギリスへ援軍を許可したら、停戦協定に齟齬をきたしたとして
マザランは決して許しはしないでしょう」
「陛下とあろうお方が?」
ルイは、少し動揺しながら答えた。
「おわかりでしょう。私は宮殿の中に在るというだけで、貴方とさほど変わらぬ身の上です。それでも貴方は王座に就くのを望みますかか?」
「それでも、王たる者が行動を起こせば何か変わるかもしれないではないでしょうか?」
チャールズに正論を突かれてルイは言葉を探していた。
「いいえ……ご無礼をお許しください。別の手立てを探すしかございません。陛下ならば私の立場をおわかり頂けるものかと思い、過ぎたお願いをいたしました」
チャールズは物静かに深く一礼すると、がっくりと肩を落とした。
そして、足取り重く老従者と共に大広間を退出した。

どこか気もそぞろな国王は、深いため息をついて、居室に戻ろうとした。
「陛下。実は折り入ってお話がございます」
ダルタニャンはふとルイを後ろから呼び止めた。
「実は暇をいただきたいのです」
「休暇なのか」
ルイはどこか上の空でダルタニャンの方に向き返った。
「いえ、陛下。銃士隊を辞職するお許しをいただいたいのです」
「わたくしはもうかれこれ35年も王家にお仕えしてきました。そろそろ若い者に道を譲らねばと思っています」
「待ってくれ。元帥でも将軍でも望みの位を授けるぞ。考え直してはくれぬか」
「いいえ、今すぐ」
「私の治世に見切りをつけたというわけか」
青年ルイ十四世はいきりたちながら尋ねた。
「ダルタニャン、これは命令だ。理由を述べるがよい」
「では、正直に申しあげます。陛下はお父君と同じくらい、才知も勇気をお持ちです。たかが一宰相をなぜそこまで恐れるのです?ルイ十三世陛下は、陛下よりもずっとお若いみぎりに、摂政であった実の母親を追放しました」
「だが、マザランは、いつも重要な決定から私を遠ざける」
「陛下が、何かを変えようとお考えなら、そしてご自身のお力を何か他の者のために役立てようとお望みでしたら、このダルタニャンは死ぬまでお伴いたします。しかしながら、このところ陛下のお心を占めているのは、ひとりのうら若い女官……」
「私が気に入ったのだ!私の好きにして何がいけない」
ルイ十四世は、不機嫌そうに声を荒立てた。
「陛下。全ては陛下のお好きなようになさればいいのです。臣下が主のなすことを咎めるつもりはありません。わたくしはこれまで陛下のお側でありとあらゆる栄誉に属しました。王冠の重みに代償がありますように、栄誉にも犠牲にするものがあるのでございます。私はもうこの30年間というもの、家族を顧みず、友に縄をかけ、親しいものたちを危険に晒してきました。ひとり娘も成長し、そろそろ暖炉の灯った小さな部屋で妻と水いらずの生活を送りとうございます」
「ダルタニャン、それで満足なのか!そなたらしくもない」
ルイは声を張り上げた。
「いいえ、陛下。まだやることは沢山あります。ただ、二君に仕えるつもりはない、とお約束します」
若い国王はこの銃士隊長の確固とした態度にやや気押された。
「もう昔話は終わりにしましょう。もはや老兵は消え去るのみでございます」
「わかった。ダルタニャン。今までご苦労だった。そなたの健康を祈る」
黒い帽子の羽根を揺らしながら、黒い制服の裾をなびかせ、銃士隊長が大広間を去る後姿を国王はいつまでも見つめていた。


「それで、ダルタニャン、また銃士隊辞めちゃったの!?」
フォッソワイユール通りの仕立て屋の工房の中で、ジャンが素っ頓狂な声をあげた。
「ああ」
ダルタニャンは黒い帽子を椅子の背にかけた。
「あーあ、いつも全く勝手なんだから! おいらやコンスタンスに一言の相談もなく」
銀髪交じりの波打つ長い髪を後ろに束ね、すっかり恰幅のよい好々爺という風貌のジャンは、あきれたように両手を組んだ。
以前よりも増築した仕事部屋の中では、色とりどりの生地の間を、仕立て屋見習いの弟子たちが走り回っていた。
「一方は、何も持たないが、這い上がってこれから王冠を掴み取りに行く国王。もう一方は、全ても持っていながらも、それを何に使えばいいか未だわからない国王。
どちらをお支えすべきかわかるだろう」
「相変わらず、幾つになっても愛と勇気だけがお友達なんだよね。で、どーするのさ?」
ジャンはダルタニャンに椅子をすすめた。
「イギリスに渡る。一緒に行く仲間を募りたい」
ダルタニャンは手袋を脱ぎながら、きびきびしとした動作で腰かけた。
「悪いけど、おいら今回はつきあえないよ。注文に追われてるんだ」
「じゃあ、ロシナンテ3世を借りるよ。あと昔の友人に声をかけてくれ」
ジャンは思い出したように口ごもった。
「あの、ロシナンテ3世は、先約があって……他の人に貸しちゃった。その代わりコピーを連れて行っていいよ」
「コピー?ああ、コピーは元気かい」
「コレットが世話をしているよ。まだまだ大丈夫さ。あとみんなにも声かけとくよ」
「そうか。頼んだ」
ダルタニャンは、脳裏にあの儚い若き国王を思い浮かべながら、まだ見ぬイギリスの地に
思いを馳せていた。


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