欺かれた人々の日

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  プロローグ:フィレンツェ最後の日  



礼拝堂の天井高い窓から、朝の光が差し込み
床の上に刻まれた冷たい大理石の碑文を照らし出した。
わたしは父の墓に跪き、しんしんと底冷えする床の上で祈りを捧げていた。
「さあ、もうお時間です」
どこからともなく廷臣の声が聞こえた。
わたしは立ち上がった。

メディチ家の小さな礼拝堂を通り抜けると、ミケランジェロの「曙」が、もの憂げな顔を起こし沈黙のまま永遠に眠りについていた。
父のお抱え画家ヴァザーリから聞いた昔話が今またよみがえる。
神の如き才能たちがこのフィレンツェを闊歩したあの時代のことを。
彼らの遺した作品も、今日でもう見おさめなのだ。

サン・ロレンツォ大聖堂内は人気がなく、列柱の間を抜けると、足音だけが妙にこだました。
入口の扉に、背の高い叔父の影が待ち構えていた。

トスカナ大公フェルディナンド一世は、名残惜しそうにわたしを抱擁し、この門出を祝福した。
この日は、トスカナにとって記念すべき日であり、カトリックの勝利の日だった。
齢すでに二十五、嫁き遅れの年齢といってもいいわたしと、フランス国王アンリ・ド・ナヴァールとの縁組は、このトスカナ大公国にとって外交上のひとつの悲願だった。
そして、叔父の信仰におけるひとつの到達点でもあった。
彼はこの日のために何年間も奔走し、一週間にまたがる長い婚礼の儀式を、かつて聖職者をしていた経験から、自ら全部取り仕切った。
それは、まさに、ローマ法王を何人も輩出したわが一族の誇りをかけての祝典だった。
二年前にカトリックに改宗したアンリ・ド・ナヴァールは、王妃マルグリット・ド・ヴァロアと離縁した後、後妻を求めていた。
そして、何よりも彼の心を動かしたのは、わたしの持参金だった。
ヴァロア家断絶の後、並みいる諸侯たちに対抗するため、ブルボン家のアンリは、軍資金が必要だった。
たとえ商家の娘とさげずまれようとも、フランス国王は、わがメディチ家の財の前に膝を屈したのだ。

「フランス王妃がそんな浮かぬ顔をするものではない」
晴れ晴れと自信に満ちた叔父の顔を見ながら、わたしは言葉に出せない、あるひとつの疑いを心にしまいこんだ。

あれはわたしが十二のときだった。

わたしの父、トスカナ大公フランチェスコ一世は、ローマで枢機卿をしていた弟のフェルディナンドを、ある日突然ポッジョ・ア・カイアーノの別荘に迎えた。
兄弟久しぶりで水入らずの晩餐を共にした翌日、父とその愛妾ビアンカ・カペッロは原因不明の熱におそわれた。そして二人とも、体がねじ曲がるほど苦しんだ挙句その日のうちに息をひきとった。

男の子を残さなかった父の後を継ぎ、
叔父は、トスカナ大公フェルディナンド一世として即位した。

叔父は、寛大にも、私と二人の妹を養女にして、実の娘のように教育を施した。そして、外交と商業政策に充分にその手腕を発揮した。
リヴォルノの軍港には再び、メディチの軍艦が意気揚々と旗を挙げて、
商人たちが往来する広場は活気にみち、アルノ河は貿易船で埋め尽くされた。
再びトスカナに黄金時代がやってきたと、フィレンツェの人々は叔父の治世を喜び、すぐに父の時代を忘れ去った。
何故なら、父と叔父は、実の兄弟なのにあらゆることが正反対だった。
弟は、社交的で温情に満ち、貧しい人々の生活をいつも心にかけていた。
兄は、陰鬱で、大の人間嫌いだった。
わたしの覚えている父は、いつもヴェッキオ宮殿の秘密の書斎に閉じ籠もり
錬金術の実験に夢中になっていた。科学と愛人と、そしてささやかな宝玉コレクションに逃避して、現実の政治の世界に背を向けていた。

そして、間もなく、宮中でひそやかな噂を耳にした。
フェルディナンドは、あの夜、兄の大公を葬るため手ずから砒素を盛ったのだ、と。
側近にそそのかされたのか。彼自身の野心のためなのか。
本当のところはわからない。
ただひとついえるのは、それがトスカナのために良い選択であったということと、それがわが一族の定めだ、ということだけだ。
わたしのフランス王妃の王冠へと続く道は、そうして準備されたのだから。


叔父と最後の挨拶を済ませた後、お召し馬車に乗り込んだ。
馬車の中には、姉妹のように育ったレオノーラ・ガリガイとコンチーノ・コンチー二が両側に乗りこんでいた。
馬車は、ゆっくりと動きだし、ヴェキオ広場を通りすぎ、ウフィッツィの列柱の間を抜けた。
カライア橋にさしかかると、アルノ河に浮かんだ古代軍艦を模した船から、大砲の音が響き渡った。
街道のトスカナ式住宅の小さな窓の前で、鈴なりになった人々が手を振って我々を見送った。
馬車がピサーノ門を出たとき、ふと振り返ると、
城壁の向こうに、ブルネルスキの大きな薔薇色の円蓋がそびえたっていた。

汚れた水が、元の場所に戻ることのないように、
わたしも、もうこのフィレンツェに戻ることはない。




1600年10月5日

マリア・ディ・メディチ
後の
マリー・ド・メディシス

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