欺かれた人々の日

BACK | NEXT | HOME

  エピローグ:フランス、最後の日  


黒々とした森の中に、白い霧がたなびいて、やがて徐々に薄くなっていくと、
コンピエーニュの古城は、山の麓にそのいかめしい輪郭を見せた。
「おーい、そこどいてくれ」
城門の前に一台の荷車が止まった。
「誰だ。名を名乗れ」
警護兵が出てきて、荷車を留めた。
黒いマントに身を包んだ女が、馬から降りた。
「ルーアンから来ました家具職人の一行です」
女は目深にかぶったマントの頭巾をたぐり上げた。
コンスタンスだった。
「マリー・ド・メディシス太后殿下に新しい寝台をお納めに来ました」
「依頼人は?」
「ルイ十三世国王陛下でございます」
コンスタンスは書状を広げた。
「確かに陛下のサインだ。よし、通れ!」
警備兵が合図をすると、城の跳ね橋がするすると上がった。
「せーの!」
黒い服に身包んだ三人の家具職人が荷車の向きを代えて、女と共に跳ね橋の上を渡らせた。
布に幾重にも巻かれた荷車はガラガラと音を立てて、城の中に入って行った。
「太后殿下に新しい寝台を?聞いとらんが」
看守長は、城の中の見張り部屋でコンスタンスに尋ねた。
「これから寒くなりますゆえ、陛下のお心遣いでごさいます」
コンスタンスは書状を出した。
「よろしい。城の三階の部屋まで運べるかな」
「梃子と滑車を持ってきました。」
三人の家具職人は、てきぱきと梃子を組み立てると、寝台に縄を括り付けた。
そして、階段に固定した滑車に縄を通し、寝台を引っ張り上げ始めた。
「あの、ルーアン名物の林檎酒です。お土産に持ってきました。いかがですか?」
コンスタンスは、陶器のボトルを取り出した。
「いや、ありがたいが何しろ勤務中でねえ」
看守長は物欲しげに瓶をちろちろと見た
「まあ、そうおっしゃらずに」
コンスタンスはコップになみなみと林檎酒を注ぐと看守長に渡した。
「ん―――うまい!」
「でしょ。さ、皆さんもどうぞ」
看守たちが次々とコップをもって現れた。
「おー。わしにもくれ」
「皆さん。私のお酒飲めないなんていわないですよね」
コンスタンスは可愛らしく小首を傾げた。
「飲みます。飲みます」
「ください。ください」
看守たちが酔っぱらいかけた時に、巨体の家具職人が少年を引き連れてどたどたと入ってきた。
「いやぁ。寝坊した――!遅くなってごめん」
「んもう。おいらがいくら起こしてもポルトス起きないんだから」
「ジャン。お前が昨日宿で騒ぎすぎたせいだろ」
「あれ、みんなは?」
看守長はへべれけになりながら、滑車で階段に引っ張り上げられている寝台を指さした。
「いっけねぇ。さあ、作業にかかろう」

寝台が三階の部屋まで持ち上がると、家具職人のひとりがその扉をノックした
「だれです?」
古い石造りの部屋の窓は小さく、鉄格子がはまっていた。
しかしながら、壁にはタペストリーが掛けられ、重厚な装飾のある家具が置かれ、
大きな暖炉には火が灯っていた。
マリー・ド・メディシスは、椅子の上で十字架を握りしめてお祈りをしていた。
「殿下。新しい寝台をお持ちしました」
ダルタニャンが声をかけると、振り向いた太后は、驚いて叫んだ。
「まあ…皆さん!」
そして、家具職人に扮した、ダルタニャンとアトスとアラミスの顔を代わる代わる見つめた。
「これは、一体どうして……?」
「陛下のご命令です」
アラミスは代わりに答えた。
「ルイが?」
母后は思わず問い返した。

ルーブル宮殿。セーヌ川に面した国王の居室では。
「もう母上はコンピエーニュの城を脱出した頃であろうか」
ルイ十三世は尋ねた。
「はい。三銃士とダルタニャンを遣わしました」
トレヴィル隊長は続けた。
「ケルンへの亡命用の馬車を手配いたしました。明日には国境を越えられます」
「全く我が母親ながら強情な人だ。どうしても生まれ故郷のフィレンツェに帰りたくないと言って聞かなかった……」
国王は、セーヌ川の灰色の流れの向こうに、白くそびえるノートルダム大聖堂を仰ぎ見た。
「陛下。先だっては<白い蝶>の逮捕状をありがとうございました」
「いや、母上の身辺警護、大義であった」
ルイ十三世は言った。
「私の腹心の女官で武芸の嗜みのある者がおりまして、太后殿下も以前その働きを気に入られていたご様子。間諜役としてお側におつけするのに適任でした」
トレヴィル隊長は若干口ごもりながら続けた。
「陛下のご希望通り、お母君の身の安全はお守りいたしました……」
「僕がリヨンで生死の境を彷徨っていた時から、リシュリューの罷免を求め続けていた。言い出したら聞かないあの母のことだ。いつかこの日が来ることは避けられなかった。これが、わが一族の血の定めといういうものか」
ルイ十三世は、小さな声で続けた。
「だが、遠くでどこか身を案じずにいられない……私の母親なのだ」
国王の声は湿り気を帯びていた。
「リシュリューには内緒にしてくれ」
トレヴィルは無言で深く頷くと、一礼し、そして退出した。

「これで作業終了。太后殿下も新しい寝台にご満足だ」
家具職人たちは、古城の階段を次々に降りてきた。
「ええと、ひい、ふう、みい・・・・・あれ、一人多くないか?」
「全部で七人だよ」
ジャンは代わりに言った。
看守長は酒の回った頭で考え込んだ。
「いや。あとから遅刻してきたのは二人だったじゃないか」
「いや、一人だよ」
「二人」
「ひとり」
看守たちは次々と言い合った。
「あの、僕たち急いでいるんです。もう行ってもいいですか?」
家具職人の服を着たダルタニャンが言った。
「よろしい。通れ」
跳ね橋があがった。空になった荷車は跳ね橋の上をガラガラと通った。
そのとき、四階の見張り塔にいた警備兵が慌てて駆け下りてきた。
「おい何酔っぱらってるんだ?太后殿下が部屋にいないぞ」

「もう、ここまでくれば大丈夫です。太后殿下」
黒いマントを着たマリー・ド・メディシスは、頭部を覆っていた頭巾を上げた。
眼下に広がる草原の隅に一台の馬車が停まっていた。
「ご不自由なく暮らせるよう、ケルンでの居住先はご用意されています。」
コンスタンスは、身の回りの物を入れた小さな包みを太后に手渡した。 「この馬車が殿下をケルンまでお連れします」
アトスが馬車の扉を開けた。
「皆さん、ありがとう」
かつてのフランス王妃は、最後の臣下たちの顔を順々に見た。
そして、幽閉期間の末久しぶりに見る野外の風景を、ゆっくりと目に焼き付けるように見回した。。
夕日に染まった草原は、黄金色に輝き、その上を風がなびくと、さざ波のようにうねった。
丘の上には風車が、風を受けて軽やかに白い羽を回していた。
「フランスに思い残すことはないわ。ただひとつ、心残りがあるとしたら、子供たちのこと……」
マリー・ド・メディシスは馬車に乗り込んだ。
「私の息子たちをよろしく頼みます」
御者は鞭をはねあげた。
「さようなら……アデュー!」
太后は窓の覆いを開けて手を振った。
馬車は草原を走り出した。
「殿下。また逢う日まで。オーヴォワール!」
家具職人の扮装をしたまま、一同は、馬車が地平線の向こうに点になって消えていくまで、手を振り続けた。

赤く燃える巨大な夕陽が、草原に赤い影を落としながら、
今まさにゆっくりと沈んでいこうとしていた。



<完>
BACK | NEXT | HOME

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system