欺かれた人々の日

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  第6話 母と子  


枢機卿の執務室では、リシュリューは落ち着きなく
歩き回り、大きな格子が天井まで届く窓の外を見ていた。
よく響く声には、どことなく怒りが含まれていた。
「で、昨日の午後はどこで何をしていたのだ?ジュサック」
ジュサックは縮こまりながら、小さな声で答えた。
「マリヤック公爵邸です。閣下」
「昨日の夕刻、ポン・ヌフ上で護衛隊の一部と民衆の小競り合いがあった」
リシュリューが続けた。
「原因となったのは、これだ」
机の上に、一冊の小冊子をバチンと叩き付けた。
「私への誹謗中傷、カトリックの面汚しだとも書かれている。何者かが民衆を煽るためにこの小冊子を作り、ばらまいたのだ」
リシュリューは小冊子をパラパラとめくった。
「ビカラに命じて、この小冊子の出版元を調べさせたよ」
「それではどこで?」
ジュサックは、リッシュリューの声色に押されながら相槌をうった。
「他でもない、サン・トーマ・デュ・ルーブル。マリヤック公爵の邸宅だった」
「……」
「マリヤック公爵邸は調べたのだろうな」
「いえ、それが……。出入りしていた大道芸人のタバランに中を通され、<白い蝶>を捕えました」
「逮捕したのだな」
「それが……あの……銃士隊に横取りされました」
ジュサックの声はますます小さくなった。
「ばかもん!」
リシュリューは珍しく感情を張り上げ、小冊子を投げつけた。
「昨日何度ビカラに呼びに行かせたと思ってるんだ!仮にも宰相の護衛隊長の身であるぞ。
務まらないのなら、お前の処遇を考え直さねばならんな」
小冊子は壁に当たって、パラパラと音を立てて落ちた。
リシュリューは背中に感情を滲ませながら、足早に部屋を去って行った。
ジュサックはしゅんとうなだれた。


サン・トノレ通りを闊歩する人ごみの間を縫うように、
ダルタニャンとポルトスは、日課の見回りに出ていた。
「そういえば、アラミスから手紙が来たんだ」
ポルトスはお昼のパンの包みを抱えながら言った。
「トレヴィル隊長のお使いで、ルーアンの駐屯部隊の偵察にもう行って1か月か」
ダルタニャンも応じる。
「詳しいことは書けないが、まだ当分戻れそうもないって」
「アラミスはいつも詳しいことは教えてくれないんだ」
そのとき、二人は背後から人の気配を感じて振り向いた。
「いたぞー!」
そして、あれよという間にバラバラと修道士たちの集団に取り囲まれた。
「あ、あの時のお坊さん…」
「フェルナンド神父への狼藉、断じて許さん!覚悟しろ!」
修道士たちは、手にほうきややすりや、石臼を持って、二人に詰め寄った。
「あのう…ご、誤解です…」
ダルタニャンは後ずさりした。
「そうですよ。ですから僕たちは陛下を救出しようと……」
ポルトスも困ったように後ずさりした。
「誤解だろうが何だろうが神への冒涜、バチをくらえっ」
「ポルトス、逃げるぞ!」
ダルタニャンとポルトスは、サン・トノレ通りの人ごみを掻き分け、走り出した。
「待てぇぇぇ!」
修道士たちが後を追う。

その時、沿道に止まっていた馬車から手が伸びた。
「こちらです!ここに逃げてください!」
二人は細い腕で、馬車の中に引っ張り入れられた。
辻馬車は、幌を降ろしカーテンを引いた。
「ここなら見つからないでしょう」
どこか柔らかな女性の声が聞こえた。
ダルタニャンとポルトスは顔を上げて驚きのあまり叫んだ。
「シャルロットさん!?」
色白で金髪のほっそりした貴婦人が目の前でそっと微笑んでいた。
「お久しぶりです。ダルタニャンさんもポルトスさんもお元気で?」
シャルロットは背後を振り返った。
「いつぞやはお世話になりました。さあ、お二人にご挨拶をしなさい」
馬車の奥から金髪の女の子が出てきてはにかみながら挨拶した。
「娘のモンタレーです」
そのとき、幌馬車の外から修道士たちの声が聞こえた。
「そこに逃げたのはわかってるぞ。不信者!出てこい!」
シャルロットは、ダルタニャンを押しとどめると、
カーテンを開けて外に半分姿を現した。
「お坊様がた。このお二人の銃士は私を救ってくれた恩人です。
人の命は尊いものだと神様も申されているでしょう。
お二人を懲らしめるのなら、どうぞわたくしを身代りに…」
そのとき、修道士の集団の中からフェルナンド神父がつかつかと出てきた。
「それはなりません。マダム。こんなお美しい女性がパリに存在しないことは、
なんたる損失」
フェルナンド神父はしみじみとシャルロットを凝視した。
「ミ、ミサのときには是非とも僕たちのところに来て下さいね」
「特別サービスしますからっ」
修道士たちは、口々にウインクしたり投げキスをしたりして
去っていった。
「な、なんだよ。あの生臭さ坊主……陛下の命よりも美女の方が大切なのかよ」
ポルトスはつぶやいた。
「ありがとうございました。でも、てっきりノルマンディーに戻ったとばかり思いました」
ダルタニャンは、シャルロットに向き直った。
「それが……事情があってまたパリで暮らすことになりました」
シャルロットは幾分頬を赤らめた。
「パリで私を待ってくれる人がいるのです」

分厚い緞帳が幾重にも垂れた大きな窓から、短くなった午後の光が差し込んでいた。
リュクサンブール宮殿の居室の中で、マリー・ド・メディシスは珍しく深い物思いに沈んでいた。
「母上」
「フィリップ!」
マリー・ド・メディシスは驚きの声を上げた。
「連絡なしにここに来てはいけないと言ったでしょう」
突如戸口に現れた息子に駆け寄った。
フィリップは複雑な顔をしたままだった。
「また陰謀の計画を立てているのですか」
「フィリップ、それをどこで……」
母后は声をひそめた。
「マリヤック公爵からです。嫌疑がかかるといけないから、ガストン同様パリを離れたほうがいいと言われました」
フィリップは言葉を強くした。
「僕はあなたの息子です。どうして仲間に入れてくれないのですか」
「いけません。フィリップ」
マリー・ド・メディシスは、窓の外を見やった。
色づいたプラタナスの葉が風に舞いながらハラハラと散っていた。
「覚えているでしょう。私はあなたが生まれたとき、双子の王子の片割れだったあなたを世間から隠した。まるで世捨て人のようにあなたを育てさせた。
鉄仮面にさらわれたときも私は何もできなかった。非情な母親です」
「違います。母上。僕は覚えている。何度か子供の頃僕に面会に来てくれた高貴な貴婦人がいた。黒いヴェールをかぶって顔はわからなかった。だけどいい匂いがした。あれは母上の匂いだった」
「フィリップ……」
「母上。どうして血を分けた親子兄弟で、こんなにも憎しみ合い、争わなくてはならないのですか」
「忘れないで、フィリップ。あなたには私の血が流れている」
マリー・ド・メディシスはフィリップの頬を愛おしそうになでた。
「あなたは、私の父に似ている……。王者たる道を選べば、いずれのうちか、ルイか、ガストンかがあなたを葬り去るでしょう」
「家族ならそんなことはしない」
「いいえ。国に王は二人も要らないのです。それが我が一族の血の定め……」
「では、僕は母上をお守りすることはできないのですか」
母后は息子を抱きしめながら言った。
「これは最後の戦いになるかもしれません。だから母の最後の願いを聞いてちょうだい。すぐにパリを離れるのです」
「わかりました。母上。明日パリを出ます。だけれども、もし捕えられたら、僕は死や苦しみを甘んじて受け入れます」
フィリップは母親を最後に抱きしめならがら言った。
「僕はあなたの息子だから」
息子は別れぎわに母親の手の甲に接吻した。
「ご無事をお祈りします」
フィリップは戸口から出て行った。


三時の鐘の音が聞こえた。
マリー・ド・メディシスは、窓の外から近づく人の気配に気づいた。
「お入りなさい」
縦開きの窓が鈍い音を立てて開き、<白い蝶>が現れた。
「マリヤック公爵は何と?」
「11月11日までに全ての準備を整えますと。あと、万が一この計画が頓挫したときのために、太后殿下がブリージュに亡命できるよう使者を出しました。モー街道に脱出用の馬車を待たせておきます」
「ブリージュでの身元引受人は?」
マリー・ド・メディシスは厳しい顔をした。
「その連絡のために、今日の夜ブーローニュの森の水車小屋でタバランと待ち合わせます」
「ブ―ローニュの森?」
「ドーフィーヌ広場の見世物小屋の裏の予定だったのですが、タバランが急きょ変更しました」
「変ね。いつも連絡はパリ市内で行うように言ってあるのに」
「リシュリューの追手を警戒しているのでしょうか」
「マリヤックの部下を代わりに行かせた方がいいかもしれません」
<白い蝶>はしばらく考え込んだ。
「いいえ、殿下。もし、仮にリシュリューの罠だったら、マリヤック公爵が絡んでいることが事前にわかってしまいます」
<白い蝶>は言葉を続けた
「彼らの狙いは私です。私が行きましょう」

辺りは暗くなってきた。
フェルー街の小さな路地の階段をゆっくりと登っていく人影があった。
コツコツという足音を反響させながら、帽子の上で揺れる羽根飾りが階段に影を落としていた。
<白い蝶>は二階の部屋の扉をノックしようとして、出した片手の拳を、
しばらくためらった後に、何もせずに降ろした。
そして、アトスのマントをドアのノブにかけて、
踵を返すと、また静かに階段を降りて行った。
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