欺かれた人々の日

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  第4話 ミレディーからの手紙  



親愛なるリシュリュー閣下。
いかなる流浪の果てにおいても、わたくしの閣下への忠誠が今なお変わらぬということ、その証拠をお目にかけましょう。マリー・ド・メディシス太后は、フランスを裏切り、バスク地方三州を割譲するという密約をスペインと交わしました。わたくしは、伝令の女官から、条約文書の隠し場所を記した地図を半分奪い、口封じの為セーヌ川に始末いたしましたわ。この条約文書がどれだけ重大なものか、閣下にはおわかりになるでしょう。わたくしにパリに戻る恩赦をくださいますよう。あと、バッキンガムを暗殺した報償もまだ頂いておりませんわ。わたくしが、閣下を案じこの手紙をしたためていることをどうぞお忘れなく。

あなたの、ミレディー。


「太后謀反の動きあり……か」
リシュリューは古く色あせた手紙を握り潰しながら、額に手を当てて考え込んだ。
指の間からうっすらと冷や汗がにじみ出た。
「ロシュフォールとジュサックを呼べ」
部屋に入って来た二人の部下に、リシュリューは後ろを向きながら
厳かに口を開いた。
「いつだったか、セーヌ川から女官の水死体が上がった事件を覚えているか?」
「三年前の事件のことでしたら、私がダルタニャンを逮捕いたしました」
ロシュフォール伯爵は直立不動で答えた。
「太后宛の密書を持っていなかったか?」
「さあ……所持品はありませんでしたが」
ロシュフォールがぼそっとつぶやいた。
「その女がパリに来ていたのなら、密書を持って太后に接触しようとしたはずだ」
リシュリューが身を乗り出した。
「まるで、<白い蝶>みたいですね」
ジュサックは答えた。
「<白い蝶>?」
リシュリューがすかさず問い返した。
「最近パリに出没する女スパイです。太后付の女官で、やたら人目に付く羽根つき帽子をかぶって、あちこちで外国の密使と連絡を取り合っているという嫌疑がかけられています」
「それで、護衛隊は取り逃がしたのか?」
リシュリューは声を荒げた。
「それが…いやそれが逃げ足の恐ろしく早い輩で…」
ジュサックの声が小さくなった。
「そう、もしかしたら女装した男ではないかという噂も…」
ロシュフォールも付け加えた。
「だいたい、あの女の身辺にいる人間でスパイじゃない奴などおるか!レオノーラ・ガリガイ然りだ。だいたいこの国に来る王妃は禍の元をいつも持ち込みおる…!」
リシュリューは忌々しそうに机を叩いた。
「逮捕だ!その女官を見つけ次第捕えて、条約文書のことを尋問しろ。いいな」
「はっ」
「ジュサック!護衛隊長の面目にかけて何とかしろ!」
リシュリューはジュサックの前に逮捕状を突きだした。
「これが逮捕状だ」

ロシュフォールとジュサックが出て行った後、リシュリューはため息をつくと
執務室の椅子に背をもたせ掛け、中断された書類に目を通し始めた。
頭には白いものが混じりかけ、目の下にはうっすらと隈ができていた。
再び頭を起こし、ペンをとろうと手を伸ばした時、部屋の扉がノックされた。
「リシュリュー閣下」
官吏が書類を片手に飛び込んできた。
「リュクサンブール庭園の噴水工事のことですが…」
「またか支払催促か。私は公務で忙しい」
リシュリューは顔を上げずに言った。
「いえ、今度は噴水から漏れた水が庭園内に溢れ返って大変なことになっています」
リシュリューはたまりかねたようにもう一度机を叩いた。
「なんでそんな頻繁に水漏れが起こるのだ!!太后の園丁は何をしておるのだ?」
再び書類の山を脇に置き、リシュリューは髭をかきむしった。
「掘りこんでいる水路がリュクサンブール庭園の地下通路とぶつかったものと思われます」
「地下通路?」
リシュリューは思わず、手を止めた。
「これが工事の図面です」
官吏から渡された図面を凝視した。
「庭園の外から宮殿内へと続く何本かの通路が掘られています」
「おい、これは一体何のためだ?」
リシュリューは歯ぎしりした。
「連絡用でしょうか?」
「で、修理の職人は?」
「休暇をとりました」
「いつから?」
「一か月前からです」

夕暮れのサン・ジェルマン広場では、周囲の家の煙突から夕飯の煙が立ち上り、
帰路につく人の波でごったがえしていた。
「コンスタンス、この間はごめんよ。約束を守れなくて」
ダルタニャンとコンスタンスは、並んで石畳に足音を響かせながら
フォッソワイユール通りの家へ向かっていた。
「今度、埋め合わせするよ」
「いいのよ。あれは。あの日じゃなくちゃ駄目だったの」
「あの日?何の日だったっけ?」
「もう、ダルタニャンはすぐに忘れちゃうんだから」
「ごめん。覚えてない」
「私とあなたが初めて出会った日。この市場の角でぶつかって鉢合わせしたのよ」
「忘れてた」
ダルタニャンは頭を掻いた。
「前にいちど思い出したくても、思い出せない時もあって。ほらダルタニャンが
一生懸命思い出させようとしてくれたじゃない」
「ねえ、その剣帯…」
コンスタンスは何気なくダルタニャンの肩に手を置いた。
「もうボロボロじゃない…」
「そうだっけ。毎日酷使してるからさ」
「これ、私が縫ったの。使って」
コンスタンスはつま先立ちになって、ダルタニャンの首から新しい剣帯をかけた。
「ありがとう」
ダルタニャンの顔が輝いた
「ねえ、コンスタンス。こんど休暇をとれたら、一緒にガスコーニュに行こうよ」
「いいわ。でも、お父さん、許してくれるかしら?」
「大丈夫。大丈夫。じいちゃんもばあちゃんもコンスタンスが来たらきっと喜ぶよ」
「ええ、きっとね」
赤く染まった空をカラスが横切った。


「しかし、ミレディーの手紙が今ごろ出て来るなんて、偶然にしては話ができすぎてませんか?」
日も暮れかかかり、西の空にうっすらと月が浮かぶ頃、
ロシュフォールとジュサックはポプラ並木の道を馬を曳きながら歩いていた。
「いや、まさしくあれはミレディーの筆跡だった」
ロシュフォールの目が遠くなった。
「俺は何度もあの女の手紙を読んでるんだぜ。間違いない」
「じゃあ、誰があの手紙を私らに届けたんですか?」
「誰って…」
「ひょっとしてお化け…!?」
ジュサックの足が止まった。
そのとき、二人の目の前の黒々としたポプラ並木の葉が風にそよいでざわざわと揺れた。
「お、おい、出たぞ」
ロシュフォールは声を低めた。
「お化けですか?」
「いや違う」
ロシュフォールは木立ちの向こうを見やった。
「<白い蝶>だ」
道の向かいの門から、足音が近づくと同時に背の高い女のシルエットがうかびあがった。
紺地に金の裾飾りのスカート、目深にかぶった縁の広い帽子にたなびく白い羽…。
そのとき、音も無く黒い馬車が門の前に近付き止まった。
女は、扉を開けて軽々と馬車に乗り込んだ。
「ジュサック、早まるな。ちょっと待て」
ロシュフォールは今にも飛び出して行きそうなジュサックを押さえた。
「なんですかっ。離してくださいよ。今行けば逮捕できるのに!」
「泳がせるんだ。追えば奴の仲間も一網打尽にできる」
ロシュフォールはそっとジュサックに耳打ちした。
御者は馬にムチをあて、すでに夕日が沈んだ方角へ馬車を走らせた。

黒い馬車はタンプル大通りを西に走ると、城門近くの大きな屋敷で止まった。
コリント式柱頭にはさまれたアーチの下に、頑強な鉄の楔が打ち込まれた門扉が
重々しい音を立てて開いた。
「マダム、招待状をお持ちで?」
馬車の窓が開き、白い手が伸びて二つ折の紙を差し出した。
「どうぞ中へ」
馬車が中に吸い込まれていくのを確認すると、
ロシュフォールとジュサックは馬から降りて近くの建物の角に身を隠した。
「見たか。ジュサック」
「マリヤック公爵邸に入っていきました」
そのとき、ジュサックの後ろからひとりの護衛隊士が駆けてきた。
「隊長、隊長。ここにいましたか!リシュリュー閣下がお呼びです」
「ビカラ、それどころではない!護衛隊を全員集合させよ。裏から屋敷を取り囲むのだ」
「いや、しかし…閣下はお急ぎで」
「ぐずぐずするな!」
「はっ」
ジュサックは体格の良い赤毛の護衛隊士に命令をくだした。

「俺たちは正面突破だ」
ロシュフォールとジュサックは大きく息を吸い込んだ。
「待て、誰だ。マリヤック公爵邸に何の用だ」
二人の行く手を門番の槍が阻んだ。
「リシュリュー猊下のご命令だ。さっきここを通った女を逮捕したい」
ジュサックは逮捕状を見せた。
「今は元帥殿の祝賀会の最中だ。リシュリュー閣下の使いといえども招待状無しには中に入れることはできない」
「何だと?ロシュフォール伯爵を誰だと心得る!」
ロシュフォールは思わず口走った。
「おひきとりを。伯爵殿」
門番は慇懃に二人を槍で押し返した。
「待て」
そのとき、門番の後ろから男が近づいた。
大仰な白い襞襟の上に、高い鼻付きの仮面をつけた、コメディア・デラルテの大道芸人・・・
「タバラン殿!」
門番は慌てて姿勢を直した。
「この方たちは公爵殿の客人だ」
大道芸人タバランは、ロシュフォールとジュサックの方に歩み寄った。
「このたびはとんだご無礼を。今宵は我らとお愉しみいただきますよう。公爵殿もお望みです」
タバランは手に持っていた仮面を二人に差し出した。
「仮面?」
「そうです。ようこそ。我らの仮面舞踏会へ」

既に日は暮れていた。
小径の脇には低い蝋燭が等間隔に灯り、館へと導いていた。
どこからともなく花火の音が聞こえ、煙が夜空になびくと、
道行く人々は誰もかれもが、毒々しい色の衣装で着飾り、
肩を組み嬌声を上げながら、赤い灯火のなかに現れては消えた。
「何かお探しでも?」
タバランは後ろを振り返った。
「マスクをつけた女を探しているんだ」
ロシュフォールは辺りをきょろきょろと見回した。
「そうですか。ここでは皆仮面をかぶっております。私も普段から仮面ですが…」
「誰が誰だか全くわからん」
「よくご存じのパリ中の貴族や名士たちでございます。そうだ。トレヴィル殿の招待状、奥方の分を忘れていた」
タバランは懐から二つ折の紙を取り出すと、傍を通り過ぎた伝令に手渡した。
「どうぞお心ゆくまで邸内をお探しください。公爵殿にやましいところは微塵も
ありませぬゆえ。それで猊下のお疑いが晴れれば何より」
邸内の大広間では、仮面をつけた紳士淑女が、輪になってワルツに興じていた。
万華鏡のように色とりどりの人の波が揺れ、ざわめいた。

タバランは、やおらリュートを手に取って唄い始めた。

月よ 明かりを消すがよい
私の暗黒の野望に光を当てるな

人々の囁き声が次第に低くなり、静寂に包まれた。
そしておもむろに近くにあった燭台の火をふっと吹き消すと、
一斉に広間の蝋燭の火が消えた。




<つづく>

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