人物考察スペシャル

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  5. はだしのジャン  



原作に登場しないアニメだけのキャラクター
三銃士の世界は貴族階級のお話で、また登場人物も大人ばかり、
不倫や政治の話が多いから、庶民代表でお茶の間のちびっ子に
親近感を持ってもらうために、
アニメに入れられた男の子、という話をどこかで読んだことがあります。

じゃあ聞きます。


はだしのジャンは本当にお茶の間代表なのか?


さて、GHQの置き土産であり、戦後民主化教育の矛先を担った
日本放送協会。
元国営放送の威信をかけて、歴史大河ドラマをせっせと制作していますが、
ときおり、歴史上の物語に
いきなり現代の庶民のお茶の間感覚(と彼らが思っているモノ)を入れることがあり、
それが民主化教育のつもりかもしれませんが、
ときには的外れなことがあります。(辛口)

ひっさびさに大河ドラマ「平清盛」初回を観たら、
「武士は人を殺します」と言わせているのをみて、相変わらず大変だなあと思ってしまいました。平清盛といえば、武士の時代の幕開けを切り拓いていった人物ですから、戦いに生きた主人公の生き様を肯定してあげなくてどうすんですか。
お 茶の間の視聴者への配慮のつもりだったと思いますが、わざわざチャンネルをここにあわせている人達って、基本「武士ってかっこいい!」と思ってる人なん じゃないかと……。歴史ドラマの世界観は、SFの世界観と一緒で、その世界を成り立たせている前提に、ちょっとでも嘘が入ると、ガラガラと物語が崩れてい くのですよね。確かに武士は人を殺すけど、そのために自分の命を賭けているし、当時飢饉や疫病で死ぬ人の方がよっぽど多かったはず。同じく三銃士の世界 で、戦争の無益さを訴えても全く意味がないと思ってます。だって彼らは兵士ですから。
つまり、
歴史上の武士や銃士は、20世紀の平和憲法に対立するものだということが言いたいのかしら?
……でも、その比較はピント外れじゃない?

はだしのジャンも同じくです。
その背景には、貴族と庶民を対立するものとしてとらえていて、階級社会はよくないとか、格差はよくないとか、そういう主張があるわけですよね。
そういえば、GHQは戦後、財閥解体して華族制度を廃止しましたよね。
で も、今のちびっこたちの方が、はっきりいって貴族的な生活をしているんですよ。親と生き別れになるとか、学校に行かずに働いているとか、そういうのはもっ と遠い世界の出来事です。パリに出る前に、親世代から馬と剣を与えられ、モラトリアム時期を過ごしているダルタニャンの方が、よっぽど今の子っぽいです。
庶民といっても、まだ人権意識のない時代、モノや動物のように扱われていた17世紀の庶民になりたいなんてあんまし思わないです。どう生きるか考え、手紙を書き、人生を変えてくれる人に出会い、ロマンスの主人公になるのは、貴族階級しかできなかったことですから。
はだしのジャン=俺たちの代表。というのは、戦後の焼け野原から裸一貫で出発した
戦中、戦後世代のイデオロギーではないでしょうか。

前置きが長くなりました。
制作者の思惑とは裏腹に、当時ちびっこだった私は
全然はだしのジャンに親近感を覚えませんでした。
小学校のクラスに、あんな長髪ではだしの男子なんていませんでしたもの。
のび太君やキテレツ君みたいなビジュアルの子はいましたけどね……。

ところが、二次創作を書いているうちに、この評価は一片します。



ジャンはとにかく使い勝手がいいのです。



そう、彼の本当の役割は



狂言回し。


原作があるものの翻案というのは、実際にやってみると、原作の縛りというのが結構やっかいで、主な登場人物は、出発点と帰結点、主なエピソードがあらかじめ決まっているわけですよね。だから話を展開するとき、固定されたパズルのピースの間のすきまを、
小回りが利いてすいすい埋めることができるジャンのような存在は、本当にありがたいのです。

だから、原作にないのにもかかわらず、どうしてあんなに登場回数が多かったのか
よくわかりました。
プランシェとかグリモーみたいな従僕たちの代理みたいなもんかもしれませんけど、
原作のプランシェは徹底して主人公のサポートに徹していて、あと続編でもダルタニャンの間に越えられない主従の壁があったんですよね。
「プランシェのお母さん」とか「炎の中のプランシェ」とかいうタイトルを張ることはありそうにもないですよね。
しかし、アニメのジャンはダルタニャンに対し正論で突っ込み、
本来的に階級差のある二人の間に、フランクな友情を築いています。
そういうところがとっても民主化教育っぽい。
今の世相でいうならば、彼らは格差社会をそれぞれの方法でポジティブに生きているんです。
皮肉なことに、放映当時は一億総中流時代でしたけどね……。

で、アニメのはだしのジャンは、


小さな反骨の人


で、子供ながらにある種の批判精神を持っています。
その時代の世の中のシステムでいい思いをしなかったから
「ちょっと世の中、間違ってない?」というロックな感覚を持っている。こういうところが、ミレディーやアラミスなんかとちょっと相通じるところがあるんですよね。
だからこの順番なのか……。

そして歴史上の「はだしのジャン」は
ノルマンディ地方のの内乱の首謀者たちが使っていたと思われるコードネームだったらしいです。だから、ジャンは、名前だけ借りてきたのではなくて、その後、本当に内乱のリーダーになってほしい、そして歴史上に存在してほしい、と思います。
アニメで、ジャンとダルタニャンの対決を見てみたかった。
それで「十年後!」を書きました。

はっきりいってジャンは受け手よりも、作り手のために必要な存在なので、
皆さんは、ジャンが出て来ると面白くないっ
と思われているかもしれませんが、
その分私が可愛がることにします。



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