渡る世間に仕立て屋あり

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  男爵家の秘密  



「ええと、ボン・ザンファン通りのここでいいはずだ」
ボナシューは鏡を乗せた荷車とジャンを伴い、通りの角の高い塀で囲まれた城館の前で足をとめた。
城門の呼び鈴を鳴らすと、黒い服を着た女中頭が出てきて、
カチャカチャと中から大きな錠を開けた。
「仕立て屋のボナシューです。男爵夫人のおいいつけで来ました」
ボナシューはジャンと二人がかりで荷車から鏡を降ろした。
蔦のからまる塀の中には、大きな獰猛な犬が二匹唸り声をあげた。
「ずいぶん厳重に警戒してるんですね」ジャンはきょろきょろと辺りを見回した。
「ええ、旦那様の命令で」女中頭は無表情に答えた。

「夏服の仕立てをお願いしたいの」
男爵夫人はボナシューが用意した鏡の前に立った。
胸元を大きく開けた桃色の縁飾りのある胴着の下に、ゆったりとした黒いローブが見えており、また、隙間から濃い赤紫のアンダースカートをのぞかせていた。
袖は二段に分かれてふくらみをもたせてあった。
ボナシューは巻き尺をとった。
「だけど袖は長くして頂戴」
「暑くないですか」横でジャンが口をはさんだ。
「腕に……痣があるの」
ジャンは、男爵夫人の服のレースの袖口からちらりと見えた青痣を凝視した。
「母ちゃんの火傷の跡みたいだ。だけど、それよりも大きい。まるで、誰かに殴られた跡みたい……」ジャンは思わず口ばしった。
「ジャン!」ボナシュはたしなめる。
「ちょっとした事故ですわ、さあ採寸を続けて」
気まずい雰囲気の中、男爵夫人はボナシューを急き立てた。

「あと、もうひとつお直しをお願いしていいかしら」
採寸が終わった後、男爵夫人は一着の晴れ着を取り出してきた。
「一年前にペルスランの店で仕立てた舞踏服だけど、二回着たら袖がとれてしまって」
ボナシューは金銀で縫い取りを施したきらびやかなドレスを受け取ると、
光にかざして吟味した。
「なるほど。あまり丈夫に縫い付けてありませんな。生地の性質もありますが、縫いしろの
とり方が少ないし、裏地も省略されている。しかし、この袖ぐりの形は……」
ボナシューは、袖を裏返してはっとした。
「どうしたのですか?」
「いいえ、何でもありません」
「あまり着る機会がないと思ったのかしら?」
「しかし、そういう服にこそ質の良い仕立てが求められます。何も流行にならえば良いというわけでは……」
ボナシューは、預かった衣服を丁寧に畳み込んだ。
「それではお預かりします」
鏡を布でくるみ、全ての道具を片付けた時、ジャンがいないのに気付いた。
「ジャン!」
ボナシューはあたりを見回した。

ジャンは暗い男爵家の廊下を歩いていた。
「服の話なんておいらにはチンプンカンプンだ」
殆ど光が差さない廊下のつきあたりから、ふと黒い煙がもくもく流れてくるのに気付いた。
「何だ?」
ジャンは吸い込まれるように廊下の先へ向かって歩き出した。
つきあたりには半分雨ざらしの粗末な小屋があり、その中央に設けられた大窯のなかには、白いリネンがぐつぐつと煮沸されていた。
窯の下にくべられた薪から、半分火のついた黒い煙が漏れている。
そして、たちこめる熱の煙の中、洗濯物を木ベらでかきまわす少女の姿を見た時、ジャンはあっとさけんだ。
「コレット!」
「ジャン!」コレットは思わず手を止めた。
白い頭巾で頭を覆い、白い前掛けをつけたコレットは、数日前見た時よりも痩せて青ざめていた。
「コレット…元気か?」
「まだ、薪がうまく調整できなくて……」コレットはせきこみながら言った。
「おいらがやってやるよ」
「だめよ。旦那様に怒られちゃう」
そのとき、女中頭とボナシューが小屋に現れた。
「こらこら、コレット。何をやってるの。さっさと洗濯物を干しに行きなさい」
「はい。ごめんなさい」
コレットはうつむきながら洗濯籠を持って出ていった。
「友達なの?」
女中頭はジャンを見て尋ねた。
「ああ」ジャンは答える。
「しかし、コレットがあまり元気がないのが気になりますな」
ボナシューが言うと女中頭はため息をついた。
「ここの旦那様は横暴な男で、酒を飲んでは奥方をよく殴るんだ」
「じゃあ、男爵夫人のあの痣は……」
「召使いにもたいして食事を与えず、脱走しないように門に鍵をかけている」
「それはひどいや」ジャンは叫んだ。
「あたしらはまだいいとして、子供には過酷な環境だろうね」
女中頭は、裏庭のロープに麻のシーツを干しているコレットを見やった。
「あの子の前任者は結核をわずらって里に帰ったよ。かわいそうに、もうあんまし長くはないだろうね」

「ボナシューさん。どうしよう。このままじゃコレットが死んじゃうよ」
男爵家の門からから荷車を出すと、ジャンはボナシューに向き直った。
「そうだな、まずはコレットのご両親に相談してくるよ。何とかしてあの家での奉公を辞めさせなければならない」
ボナシューは顎に手をあてて考えこんだ。

「カトリーヌさんを夕食に誘いたい?」
アトスは銃士隊の控室で本を閉じて叫んだ。
「しっ」ポルトスは声を潜めた。
「恋文ならアラミスに代書してもらえばよかろう」
アトスは本の頁に再び目を戻した。
「そうじゃなくて、ほらもっと大人数で、アラミスやダルタニャンを誘って
皆で夕飯を食べた方が自然になると思うんだ」
「その人選はかなり不自然だ」
「だから、協力してくれ」
「しかし…相手は人妻だぞ」アトスは真面目な顔をして答えた。
「未亡人だ」
「仮にうまくいってもだ、お互いの生まれ育った身分の違いっていうのはあるんじゃないか」
「身分の違い?」ポルトスは聞き返して、急に真顔になった。
「俺だって爵位もなければ城もない。この身ひとつで何も持たずに生まれて来たんだ。だから決めたんだ。
美味しいものを食べて、好きな仲間と楽しくやるさ。後悔したくない」
窓の外を雲雀が横切った。


「いいかげん、姉さんも強情をはらないでくれよ」
フォッソワイユール通りの道端で青年はマルトの腕を掴んだ。
「おふくろが病気なんだ。たまには家にも顔を見せてくれ」
「でも、私が抜けたらこの家は……」
「自分の家族とつとめ先とどっちが大切なんだ!」
「ステファン、わかってよ!」
そのとき、荷車の音がして二人の人影があらわれた。
ボナシューとジャンだった。
「旦那様……!」
マルトはばつの悪い思いを叫んだ。
「マルト、うちのことは気にしなくていい。ひまをやるから家に戻ったらどうだ」
ボナシューは二人の間に割って入った。
「そんな。でも、店番もありますしお食事の準備もあります。旦那様。私の仕事の代わりをしてくれる人が見つかるかどうか……」
「わかった、探しておこう」
ボナシューは穏やかに言って工房に入った。
夕日が次第に傾き、軒下のはさみの看板が、でこぼこの石畳の道の上に長い影を落としていた。

「ダルタニャン、大変だ!コレットが死んじゃうよ!」
ジャンの報告を聞いて、ダルタニャンは腕を組んだ。
「僕達だけでも助け出すしかない」
「どうやって?」
「変装しよう」
「おいらの脱獄装置も使えるよ」
ダルタニャンとジャンは目を合わせてうなずいた。

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