渡る世間に仕立て屋あり

BACK | NEXT | HOME

  仕立て屋ボナシュー  

サン・トノレ通りに面した王室御用達の仕立て屋ペルスランの店は、朝からつめかける貴族や御用聞きの商人らで賑わっていた。綴れ織のタペストリーの廊下に並んだ順番待ちの客の間を、布地を片手にした若い職人たちが小走りですり抜けていく。つきあたりのひときわ豪華な天井の高いホールでは、顧客を囲んで職人たちが寸法をとっていた。
「もう、何時間待ったと思ってるの?」
背の高い痩せぎすの貴婦人が不機嫌そうに部屋に入って来た。
「お待たせしました。マダム。お体を触れられたくないという
ご要望にお応えして採寸はボナシューを呼びました」
ボナシューは、部屋に入り軽く会釈をすると、夫人の前に鏡をたてかけた。
「恐れ入りますが、その円の中から外にお出にならぬよう」
男爵夫人は、床の印の中で足の位置を決めると背筋を伸ばした。
「こうかしら?」
ボナシューはすかさず隣のジャンから巻き尺を受け取り、鏡の中の像にそれをあてた。
「画期的な工夫ね。あなたが考えたの?」
「はい。マダム。高貴なお客様のなかには、仕立て屋風情に体を触られたくないという
お方も多いものですから」
鏡の中の男爵夫人に答えながら、てきぱきと正面、側面、背面の寸法をとっていく。
「その工夫を使って、あなたに仕立ててもらいたいものが他にもあるの。一週間後に宅に来てくれるかしら。場所はボン・ザンファン通り」
「はい。かしこまりました」
男爵夫人は扇を閉じると、ホールから出て行った。

「ボナシューさん、悪いが飛び入りで侯爵の寸法をとってもらいたいんだ。こっちに来てくれ」
ペルスランの部下が部屋に顔を出した。
そのとき、廊下で待っていた客から不満の声があがった。
「こっちは午前中から待ってるんだ。いつになったら採寸をしてくれるんだ」
ボナシューはすかさず、ペルスランの部下に声をかけた。
「なあ。待ってくれ。ジャック。こっちのお客さんが先じゃないか」
「王室ご用達のペルスラン親方の服が欲しいのなら我慢するんだな。さ、文句言わずに親方の決めた順序で仕事をしてくれ」
ジャックと呼ばれた赤毛の部下は、面倒くさげに口を開いた。
「なんだい。横柄な」ジャンは小声でぶつくさつぶやいた。
ボナシューとジャンは、しぶしぶ鏡と道具袋を持って部屋を出た。
「ボナシューさん、あんた相変わらず商売が下手だ。そんなんだから、今でもペルスラン親方に使われたまんまでいるんだ」
ペルスランの部下の青年は、すれちがいざまにボナシューの背中に向かって言った。
「何もあんたがたのやり方がいいとは思っとらん」
ボナシューは毅然として言った。

「これはこれはランブイエ侯爵様。このペルスランにご用命いただきありがとうございます」
「この前の園遊会で陛下がお召しになった、袖の形が流行しているようだな」
廊下ではペルスランと侯爵が並んで歩いていた。
「はい。このペルスランの手にかかれば、今度は侯爵様を流行の最先端までお連れできます。最高級の繻子の布地がございまして、これがお似合いではないかと……」
ペルスランは満面の笑顔で、特別室に侯爵を迎え入れた。

「何だかいけすかないよな。ペルスランって」
ジャンは道具袋を肩に担ぐと憮然として言った。
「昔は……そうではなかった」
ボナシューはつぶやいた。
「昔はってどういうこと?」ジャンはボナシューを見上げた。

「やあ、ボナシューさんにジャンじゃないか」
二人がペルスランの店を出た時、通りに面した扉の前でポルトスが行列待ちをしていた
「ポルトス!」ジャンは駆け寄った。
「見ての通り朝から順番待ちさ。さすが流行のペルスランの店だ。どうだい。行列の最初の方は?」
「まだまだかかるよ」ジャンは答えた。
そのとき、店の前にひときわ豪華な馬車が車輪を軋ませながら止まると、着飾った家令が降りてきた。
「ギーシュの旦那様からの注文だ」
「これは、これは。ギーシュ家といえば名だたる名門。すぐさま布地の見本を持って参上します」
ペルスランの配下の職人たちがが慌てふためきながら飛び出してきた。
「おい、朝から行列にいる俺たちはどうなるんだ!」ポルトスは大声を張り上げた。
「それは……。銃士殿。爵位がなければ仕方がありませんな。ペルスラン親方は王室ご用達にふさわしい高貴なお客様を大事にしておりますんで……」
部下のジャックは慇懃無礼な態度で、ポルトスを振り切ろうとした。
「何だと?貴様ぁ!」
いきりたったポルトスは腰の剣に手を掛けた。
「ポルトス、待った、待った!」ジャンとボナシューはポルトスを押さえつけた。
「感じ悪すぎる!こんな店二度と来るもんか!」ポルトスは店の壁を蹴り上げた。

パリ。新王宮あるいは枢機卿の館の執務室では。
「お待ちしておりました。ザクセン公国大使殿」
リシュリューは不敵な笑みを浮かべて、この東の端の公国からの大使を部屋に迎え入れた。
「実は、このたびお呼びしたのは、ザクセン選挙候ヨハン・ゲオルグ一世の第三公女マグダレーナ・ジビュレ姫のことです」
「何でございましょう。猊下」
背の高いゲルマン系の大使は直立不動で答えた。
「評判はパリにも届いております。非常にお美しい姫君だとか」
「アルベルティン家は伝統的に多産の家系でございまして。姫は快活で健康そのものでございます」
「ほう、多産で健康……」
リシュリューの目がきらりと光った。。
「オルレアン公ガストンの後妻の候補になさるおつもりですか」
大使は不安げに言葉をはさんだ
リシュリューは何も言わず窓辺に歩み寄った。
「実はここだけの話、ルイ十三世陛下のお妃にいかがでしょう」
「何をおっしゃる。猊下。アンヌ・ドードリッシュ王妃がおられるはず!」
大使は恐れ入った。
「あのスペイン人のお妃は、まことに失敗であったと申し上げなければなりません。ご成婚から十年以上もたつのに、未だにお世継ぎも望めません。フランス王国の安泰を考えればこれは早急に手を打つべき重大問題です」
「しかし、カトリックの結婚は神への誓いです。そんなに簡単に破棄できるものでは……」
「いかなる手段でも何とかなるものなのです。もし、陛下が若くて美しい姫君にお心を移されたら。そして夫婦の生活が行われていない事実がが証明できさえすれば」
「……」大使は絶句した。
「いかがです?もしお話がまとまれば、フランスはザクセン選挙候に資金援助をいたしましょう」
リシュリューは声をひそめた。
「ヨハン・ゲオルグ一世は、スウェーデンと結んでハプスブルグ家に反旗を翻そうとしているとか……」
「しかし……フランスはカトリック国ですぞ!」大使は叫んだ。
「それは関係ありません。重要なのは、あのハプスブルグ家に対抗するために、我々が手を結ぶことです。これは、アルベルティン家にとっても悪くないお話。早速ご打診願えませんか」
「はあ…ドレスデンから姫の肖像画を取り寄せます」
大使は冷汗をふいた。
「この件はできるだけ内密に。大使殿。腕利きの画家に描かせるといいでしょう」
リシュリューは大使の耳元で囁いた。


フォッソワイユール通りのボナシュー宅前に白髪の老人が姿を現したのはその日の夕方ごろだった。
「パリの仕立て屋ギルドの組合長バイエだ。ボナシュー親方はいるか?」
「ボナシューさんなら工房だよ」
杖をついた組合長は、出てきたジャンに声をかけると、慣れた足取りで工房に入って行った。
「これは組合長殿」
「しばらくだな。ボナシュー親方。あの少年は……?」
組合長バイエは、ジャンの方を見て顎をしゃくった。
「あんたが弟子をとるとは思わなかった」
「ちょっとしたお手伝いです。まだ仕立て屋見習いというわけでは……」
ボナシューは穏やかに答えた。
組合長はすすめられたた椅子に腰をかけると、作業台の上に散乱した布の切れ端に目をやった。
「忙しいようで何よりだな」
壁の戸棚には、色とりどりの布地が無造作に丸められていて、その上には仕立て屋の守護聖人の聖マルティヌスの浮彫が架かっていた。
歪んだ窓ガラスからほんのりと入ってくる光が、空中にたちこめる綿ほこりをキラキラと照らし出し、その窓の向うには黒光りした鉄製のはさみの看板が軒下にぶらさがっていた。
「実は、折り入って話があるんだ。その…ペルスランのことだ」
組合長は言いにくそうに声を落とした。
「聞いたか。中央広場のクロードもフェルー通りのニコラも、ついに自分の店を畳んでペルスランの傘下に入った」組合長は言葉を続けた。
「ペルスランは三代にわたって王家から注文を受けてきた老舗だ。だがここ数年、パリの腕利きの職人を雇い入れて、大規模な工房を組織している。彼のやり方はこうだ。まず国王陛下のお召し物が話題になると一か月遅れで似たような形の服を貴族たちに提案する。すべての工程を専門化して分業しているから、いちど型が決まれば仕上がりは早い。ペルスランの店は最新の流行を求める貴族たちで大繁盛、我々個人でやっている仕立て屋たちはどんどん顧客を奪われている」
「確かに。我々はひとつの服を作るのに時間がかかりすぎて、その間に流行が変わってしまうもんですからな」ボナシューは相槌を打った。
「同業者のやっかみととられてしまうかもしれんが、彼の王のような振る舞いには批判の声も多い。最近ちと天狗になっているんじゃないかと」
「それはうすうす感じます」
「それだけではない。最近ペルスランの店は、フランドル製のレース襟を流行させた。確かに、レース編みはフランドルの職人の方が繊細で丈夫だ。そのおかげで、リヨンのレース編み職人組合が大打撃を受けている。中には廃業する者も少なくないとか」
「リヨンに限らず、パリ近郊でもいい仕事をするレースを編み職人はおります。おっしゃる通り、フランドル製と比べれば質は落ちますが、彼らの作業はきめ細かい注文に対処してくれるなど小回りが利きます」ボナシューは言葉を続けた。
「我々には、個人の仕立て屋でしかできないような仕事も恐らくあるはずです」
「前向きだな。頼むよ、ボナシュー親方。パリの仕立て屋のなかで、ペルスランに張り合えるのはあんたしかいないんだ。国王陛下の服も作ったことがあるじゃないか」
「張り合うもなにも……。昔家を売った時、ペルスランから仕事をもらっていたことがありまして。今でも関係は続いています」
「お嬢さんが王妃様の衣装係をしていると聞いたが」
ボナシューの顔が一瞬こわばった。
「娘は……関係ありません」
「悪かった」組合長は立ち上がった。
「じゃあ、これでおいとまするとしよう」
杖をつきつき、戸口から出て行った。

ひとり残されたボナシューは再び作業台の前に腰掛けた。
窓の向こうで、軒下のはさみの看板が、西陽を背景に黒々としたシルエットを浮かびあがらせた。
「そろそろ汚くなってきた頃だ。明日磨くことにしよう」
ボナシューは、針を持つとそっとつぶやいた。






BACK | NEXT | HOME
inserted by FC2 system