十年後!

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  第34話 アルキメデスの火  


黒焦げになった漁船の燃えくずのあいだを、
ダルタニャンと銃士たちを乗せた小舟は漕ぎ出し、音もなく、メデューサ号の船腹の下に近づいて行った。
ダルタニャンは投げ縄を投げて、垂直の船腹を上り始めた。
そのとき東の沖合から、太陽の端が踊り出て空は黄色くなった。

「朝日だ…」
アトスは朝日を認めると小舟に飛び乗った。

「さあ、まだやるか?」
ポルトスは肩で息をしながら言った。
朝の光の埠頭の前で、倒れた人の山と見物人たちが周りを取り囲んでいた。
「に、逃げろ!」
残り少なくなった兵士たちは埠頭の方に戻ってそのまま立ち尽くした。
「あれ、船がない。出航しちまったんだ!」
そのとき、ベルナルドとその一味を縄でぐるぐる巻きにして捕えた銃士隊の一隊が白い鴎亭から降りてきた。
「ポルトス殿ご無事で。宿を襲った一味を捕えました」
「それじゃ俺たちもメデューサ号に向かおう!」
ポルトスは残りの銃士たちと一緒に小舟に乗り込んだ。
「そういえば、サンドラスの奴、一体何処に行ったんだ?」
ポルトスはそれには答えずににやりと笑った。

朝日は丘の上のノートルダム・ド・ラ・ギャルデ教会にも差し込んだ。
天井のステンドグラスから色とりどりの光がこぼれ落ちるなか、
教会の扉が軋んで開いた。
「殿下はここにいてください」
「どこに行くんだ?」フィリップの声が追いかける。
「総攻撃です」教会から出る前にアラミスは振り返った。

「できた!」ジャンは、額の汗をぬぐって一息ついた。
「組み立て完了だ!」
「もう太陽が出てきたわ」コンスタンスは、サン・ジャン砦の上から不安げに海を見た。

メデューサ号を先頭にして、残り七隻のガレオン船は、ゆっくりと
港を離れようとしていた。
船が港湾の端に突き出た、サン・ジャン砦の近くにさしかかたっとき。
砦の上に燦然と光がきらめいた。
「何だ!?あれは…!」
昇りつつある太陽の光線を受け、三千枚の鏡が一斉にその光を反射する。
巨大な筒型のからくりは、片側を太陽の側に向け、
もう片側を進みゆく船の方に向けていた。傍らでそれを動かしているのはジャンであった。
三千の光の焦点がひとつに集まったとき、空気が白く光り、その道筋は強烈な光を発しながら、
船のマストに吸い込まれていった。
メデューサ号のマストには、青いドレスがくっきりとはためいていた。
「あの青い服が標的だ」
ジャンはハンドルを回して注意深く焦点を合わせた。
「ねえ、ちょっと、ジャン。どうして服を的にするの?」
隣でコンスタンスが尋ねる。
「いいから、いいからって!」
光の筋が青い服に当たると、みるみる炎を出して燃え出しはじめ、その下の爆薬に次々と火が燃え広がった。
ドカーン、ドカーン、
大きな爆音がして、メデューサ号のマストが折れた。


火薬の爆発の衝撃を受けて、メデューサ号の船腹をよじ登っていたダルタニャンはよろめいた。
「うわわわわ……」
そのとき、船の上から、がっしりとした手がダルタニャンの腕をつかんだ。
「大丈夫ですか。隊長!」
ダルタニャンを引き上げたのはサンドラスだった。
「ああ、サンドラスか。スパイ役ご苦労さん」
ダルタニャンはサンドラスの肩をぽんと叩いた。
「作戦通りです!」サンドラスは、ダルタニャンに向かってにやっと笑った。
「よくやった。お前も男だ」
サンドラスは、ダルタニャンの背中に向かって叫んだ。
「隊長!僕はあなたを……祝福します……!」


「駄目だ。マストが折れて操縦がきかない。」
水夫たちの金切声に、マルキアリは呆然と立ち尽くした。
「エドアルド・マルキアリ。又の名を鉄仮面。おとなしく降伏するんだ」
物陰からふとききなれた声がした。
「お前はダルタニャン!」
ダルタニャンが部下の銃士とともに、メデューサ号の船首に現れた。
「勝負だ。まだ決着がついていなかったな!」
ダルタニャンは剣を抜いた。
マルキアリも剣を抜く。二人で甲板の上での丁々発止が始まった。

「次はあの船だ」
ジャンはハンドルを回し、集光鏡の角度を変えた。
次のカイトス号に照準をあわせると、白い光の筋は空気の中を進み、
白い帆の先にあたった。帆の先は、また音を立てて燃え始め、
炎はやがて全体に広がっていった。
「何だ。あの光は…!」ポルトスは船の上からつぶやいた。
「か、神の光だ!」
「旧約聖書にでてきた、モーゼを導いた雷だ!」
「よ、世も末だ……」
マルセイユの市民たちは埠頭に出て行きながら、空を見上げていた。

メデューサ号の甲板の上では。
ダルタニャンが剣の一撃をつくとマルキアリはそれをひらりとよけた。
マストを失い進むべき方角を見失った船は、横に大きく揺れ始めて、岩場が背後に迫ってきていた。
「ぶつかるぞ、危ない!」
マルキアリは舵にとりつくと、渾身の力をこめてそれを回した。
ダルタニャンも横揺れになった船からずり落ちる寸前で、上体を立て直した。
船が大きく旋回すると、今度はダルタニャンがマルキアリにとびかかり、剣に火花が散った。
「わからない」
ダルタニャンはつぶやいた。
マルキアリはダルタニャンの剣を受けながら、それを力任せに飛びのいた。
「あなたほど腕のある人が、どうして盗賊家業をやっているのか」
マルキアリが今度は状態を立て直すと、ダルタニャンに一撃をかける。
「船団を大きくするためだ。お前のような苦労知らずは違うんだ」
今度は船が大きく反対側に傾き、マストから炎を上げているカイトス号が背後に迫ってきた。
「ぶつかるぞ!舵をとれ!」
ダルタニャンは舵にとりつくと、再び渾身の力で舵を回した。船は大きく旋回した。
マルキアリは再びダルタニャンに飛び掛かり、剣に火花が散る。
「そこまでしてどうするんだ?」
「祖国を守るためだ」マルキアリの額の十字の傷跡から汗がしたたり落ちた。
そのとき、背後にサン・ジャンの砦が迫っていた。マルキアリとダルタニャンは今度は二人で舵を手に取った。
二人の渾身の力で押してみても、舵はびくともしなかった。
「ぶつかるぞ!逃げろ!」
メデューサ号は船首から砦に突っ込んでいった。

「うわわわわわわわわ。船が突っ込んでくる!」
集光鏡の傍らにいたジャンは、慌ててコンスタンスの手を引き、砦の屋上から逃げ出した。
船は舳先から砦と激突し、その前半分が粉々に砕けていった。
「間に合った」アトスが小舟から飛び降り、岩場を砦の残骸に向かって駆けだした。
砂浜で生き残りの兵士たちと丁々発止を繰り広げていたポルトスも、ダルタニャンとマルキアリの姿を認めると走り寄った。
「遅れてすまない!」アラミスも半分崩れ落ちた砦の階段を降りて姿を現した。

「ダルタニャン!」コンスタンスは悲痛な声をあげて、船に駆け寄ろうとした。
船の破片と半ば崩れかけた砦の破片のなか、
間一髪で飛び降りて陸にあがったダルタニャンとマルキアリは対峙していた。
「まだ勝負は終わっていない!」ダルタニャンは息を荒げた。
ダルタニャンの剣が激しく、マルキアリの剣とぶつかる。
そのわずかな隙をついて、マルキアリの手元に一撃を入れると、剣は弧をかいて飛んでいくと海に落ちた。
「僕の勝ちだな!」
ダルタニャンは喉元に剣をつきつけていってマルキアリをおいつめた。
「油断するのはまだ早い」マルキアリは胸元から短銃を取り出すと、ダルタニャンの手元に発射した。
「痛っ!」弾はダルタニャンの腕をかすり、思わず膝をついた。
マルキアリはその隙にダルタニャンの剣を踏みつけて、落とした。
「さあ、どうする。お前の負けだ」マルキアリは短銃をダルタニャンの胸元につきつけた。
ダルタニャンは追い詰められながら、腕を押さえた。
「僕は負けないぞ」
「負けないで!」そのとき、後ろからコンスタンスの声がした。
「負けないで!ダルタニャン!」コンスタンスは金切り声をあげた。
「私、あなたのやっていることがよくわかった。生きて戻ってきて、大きな屋敷に住みましょう。もっともっと夢をもって。大きくなって帰ってきてちょうだい!」
「まず、この娘からだ」マルキアリはコンスタンスに短銃を向けた。
「やめろ!」
ダルタニャンはその短銃の前に立ちふさがった。

「これでもくらえ!」
そのとき、ポルトスが、半分燃えながらくすぶり続けている木片を
後ろから、マルキアリの背中に投げつけた。
「熱っ!」
マルキアリはその拍子に、思わず短銃を空に向かって発射した。
そのすきにダルタニャンが自分の剣を拾って、マルキアリに飛び掛かった。
マルキアリは思わず倒れ込み、短銃がころころと地面に転がった。
ダルタニャンはマルキアリを地面の上に抑え込み、喉元に剣を突きつけた。
「今度こそ本当に最後だ!観念しろ!」
マルキアリは目を閉じて両手をあげた。

水平線のかなたから軍艦が近づいてきた。
「おい、フランス海軍の援軍だ!遅すぎるぞ!」
砦の上の銃士たちは、近づいてくる船影に手を振った。
波打ち際では、黒焦げになったメデューサの盾の彫刻が
波に洗われて半分無残な姿をさらしていた。




第34話終わり

fig. サン・ジャンの砦
http://www.destinationlemonde.com/photographie-port-marseille-tour-roi-rene-1-24.html


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