十年後!

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  第27話 マルセイユの大艦隊  

 
地中海の太陽は明るく、停泊中の白い帆船を照らし出し、埠頭を往来する様々な風俗の人々、シチリア人やカタルーニャ人やモロッコ人、ムーア人…その間では様々な言語が飛び交う。
ひとつ裏に入ったところにある商館はスラム街のように入り組んで、路地に一層濃い影を落としていた。
「ポルトス、これが南の太陽だ。ガスコーニュにも近い」
「俺はピカルディーから来たから、まぶしいよ」埠頭でダルタニャンとポルトスは、停泊中の船を見回していた。
「そろそろ、待ち合わせの時間だ」ダルタニャンは辺りを見回した。
「ダルタニャン、ポルトス、待たせたな」埠頭の先から、アラミスとアトスが歩いてきた。
「やあ。これでみんな揃った」ダルタニャンは言った。
「ジェノヴァ艦隊はどこだ?」アトスは望遠鏡を取り出しながら言った。
「おそらく、あそこだ」ダルタニャンは、商船の隙間越しに見える、沖合に停泊中の
巨大なガレオン船を指さした。入江にそびえたつサン・ジャンの砦のかなた沖あたりに
帆を広げて九隻の船が停泊していた。
「一、二、三四、五…確かに九隻だ」アトスは望遠鏡を見ながら言った。
「奴らは上陸しないのか?」ポルトスは尋ねる。
「上陸の隙をうかがっているのさ」と、ダルタニャン。
「先頭は メデューサの盾のついた船だ」アトスは言った。
「くそっ。近づくことができないなんて!」ポルトスは忌々しそうに足踏みをした。
「ここで見ていても仕方がない。港で情報を集めようじゃないか」とアラミス。
「夕食時に宿の白い鴎亭に集合だ」四人は顔を見合わせた。
潮風が走り抜けた。

メデューサの顔のついた盾を船首につけた巨大なガレオン船の船首楼の上には、ひとりの背の高い男が立っていた。
日に焼けた顔に、褐色の無造作に束ねた髪の毛が、汗でべったりと張り付いていた。
金の房飾りのついた、目のつんだビロードの黒い胴着をまとい、大きな黒い帽子をかぶっていた。
帽子の縁は十分に日焼けして、色がところどころ褪せていた。
「おかしらー!港には入らないのですか?」白い髭を生やした部下が走ってきた。
「碇(いかり)は降ろすな。補給や連絡は小舟で行え」マルセイユの港を眺めながら、ジェノヴァ船団の首領、マルキアリは言った。
「先ほど港でジェノヴァからの商船と接触しました」
「本国からは何と?」
「いくらかかったか?とのことです」
「ふん! この期におよんで金に目がくらんだ元老院の奴らめ!亡国の商人どもが!」
マルキアリは、船の木組みの端を足で蹴った。
「奴らの望みどおり、サン・マルグリット島は奪回した。ロ―マとの交渉は進んでいるか?」
「ただいま」
マルキアリは手を組み前方をにらみつけた。
「久々のフランスの地だ。マザランの野郎が一泡ふいているのが目に見えるようだぜ」

マルセイユの港の埠頭に停泊する漁船の間では、大小さまざまな籠が降ろされ、その中には水揚げしたばかりの魚の鱗が光っていた。
「こんにちは。おじさん」
ダルタニャンは船の影から愛想よく漁師に話しかけた。
「おや、見慣れぬ若者じゃの」老いた漁師はフランス語とスペイン語の混じった風変わりな言葉で返した。
「もしかして、おじさんはカタルーニャから?」
「ああ。あんたはガスコーニュから来たようにみえるがな。ここで隣人に合うとは運がいい」
急に老いた漁師は顔を綻ばせ、親しげに歩み寄った。
「あのガレオン船団をご存知ですか?」
「ああ、エドアルドの船が来ているか。有名だよ。よくバルセロナの港にも来たことがある」
漁師は顎をしゃくった。
「地中海の鮫、と呼ばれていてな……」
「何だか海賊みたいな名前ですね」
「海賊だなんて!とんでもない。エドアルドはれっきとした軍隊だよ。金で雇われた傭兵隊長ではあるがな。彼らには鉄の規律があってな、女子供には乱暴はしないんだ、貧しい漁村の子供たちは、エドアルドの船に乗ることを夢みている」
「見たことがあるんですか。その鮫といわれる首領のことを?」
「いや。誰も上陸したその姿を見たことがないんだ。エドアルドに何か用でも?」
「いいえ、ありがとう。おじさん」ダルタニャンは走り去った。

路地裏のヴェネツィア商館では、薄暗い部屋の中でヴェネツィア商人たちがカード遊びに興じていた。
「全くマルキアリが地中海に乗り出すようになってからというもの、我々ヴェネツィア商船は商売あがったりだ。奴はジェノヴァの商船を海賊から守ってるんだ」
商人は、テーブルの上にカードを手際よく配りながら言った。
アトスは、一枚のカードを取りあげ、テーブルの一角に腰を降ろした。
「しかし、単独であれだけの軍艦を維持できるとは只者ではありますまい」アトスはさりげなく尋ねた。
「奴に資金を提供しているのは、ジェノヴァの銀行家らしい」
「いや、地中海を荒らしまわるイスラム海賊を取り締まる名目で、海賊船から金銀財宝を巻き上げていると聞いたが」
「それじゃ、どっちが盗賊かわからんじゃないか」
アトスは、持っていたカードをひとつ机の中央に投げつけた。
「ふん、でも今やスペインの腰巾着となりさがっているじゃないか、昔のジェノヴァの栄光はどこへやら、だ」
「まあ、それは我々ヴェネツィア人にも言えるがな」ヴェネツィア商人たちは自虐気味に笑った。
「ダイヤのエース、あがりだ」アトスはカードを置いて席を立った。

「きゃあ…揚げ菓子じゃないの!」
「私にもちょうだい」
昼の埠頭の酒場の一角で、女給たちが走り寄ってきた。
アラミスは菓子箱を女たちの前に広げながら言った。
「ちょっと聞きたいことがあるけどいいかな」
「いいわよ。都から来た剣士さん」女たちは菓子をつまみながら、口々に言った。
「ジェノヴァ船団のマルキアリって知っている?」
「ジェノヴァの水兵さんねえ」年増の女が行った。
「金曜日には ときどき埠頭近くの酒場に来るわ」
「どうして金曜に?」
「掟があるのよ。上陸して酒場に行っていいのは金曜日だけ」
「では、首領もここに?」
「ああ、鮫ね。鮫は来ないわ。こんなところ興味ないわ」
「鮫のことならシャメルーンが知ってるわ」
「見たことあるんでしょ」女たちは隅に座ったシャメルーンという女をこづいた。
「あの顔はいちど見たら忘れらないわよ。額に十字の傷跡があるの」
シャメルーンは額を指さして夢見がちに言った。

「こんにちは、おやじ」
ポルトスは、酒蔵に入りながら声をかけた。
「おや、旦那」
「この地方のおすすめのぶどう酒は何かい?」
「そりゃ、今年の一番いいやつはコート・ド・ローヌのものかな。ラングドックのものよりは質がいいよ」
太った赤ら顔の店主はもみ手をしながら出てきた。
「じゃあ、何種類か試飲させてもらおうか」
ポルトスはおすすめの樽に近づいた。店主は、そばにあった陶器のカップに、いくつかの樽から開けたてのぶどう酒を注ぐとポルトスに渡した。
「確かにこれが一番うまいな。樽でくれ」
「悪いが、旦那。それは売約済みだよ」
「誰が買うんだ?」
「ジェノヴァの船隊のお気に入りだ」
「こんな上等のぶどう酒を、奴ら船で飲むのか」
「あいつら、他ではケチだがぶどう酒には糸目をつけないのさ。ジェノヴァ本国は土地が痩せているしね」
「俺らフランス人よりいい酒を飲むなんて、けしからんじゃないか」
ポルトスは憤懣やるかたなく言った。


「サンドラス、マザランは何と言っていた?」
サンドラスが銃士隊の詰所の中庭に戻ると、井戸の周りに隊員たちが次々に集まってきた。
「僕もマルセイユに行く許しが出た。だが残りの銃士はパリに残るようにと」
「何だって!」
「フロンドの残党からパリを守ってもらいたいらしい」
「隊長とポルトス殿とお前と三人で、ジェノヴァ艦隊と戦えるというのか!」
「なあ、みんな、変だと思わないか。これはマザランの罠じゃないか?」
若いひとりの銃士が皆の顔を見回しながら言った。
「フロンドの乱が終わって、用済みになった隊長を遠ざけるために仕組まれたとも考えられなくもない」
「ちょっと待ってよ。ダルタニャン隊長が隊長じゃなくなったら、銃士隊はどうなっちまうんだ!」
「マンシーニの護衛隊と変わらないじゃないか」隊員たちの間にざわざわと動揺が走った。
「いやだよ。俺は。イタリア人の下で働くのは」
「俺だって御免だ。あいつら保身のことしか考えていないじゃないか!」
「みんな落ち着いてくれ」サンドラスは若い隊士たちの顔を見ながら言った。
「僕は一足先マルセイユに行って皆に情勢を伝える」
「わかった。俺たちは一週間後に後を追う」
「セバスチャン。いいのか。マザランの命令に背いて」
「何言ってるんだ。こういうときこそ隊長を助けるんだ」
「僕も行くぞ」
「俺も」
サンドラスは振り返りながら言った。
「連絡は伝書鳩を送る。みんな頼んだよ」
門を出ていくサンドラスは帽子を振った。

白い鴎亭では、夕食時に四人がそれぞれ集まっていた。
「鉄仮面はベルイール島で死んだんじゃなかったのか!?」ポルトスが叫んだ。
「誰も死体を見ていないんだ。そうだろう。ダルタニャン」アラミスが答える。
「ちょっと待ってくれ。マルキアリが鉄仮面の名をかたって軍資金を調達してるようにも考えられなくもない」アトスが言った。
「だけど思い出しても見てくれよ。鉄仮面のあの腕力、あの剣さばき、あれは単なる盗賊の首領とは思えない。何かもっとこう、巨大な力を動かしてきたような……」ダルタニャンは続ける。
「例えば、仮面で顔を覆ったのは、額の十字の傷を隠すためと考えたら…?」アラミスは続ける。
「だけども、どうして、外国の傭兵隊長が正体を隠し、フランスで盗賊をして王位を乗っ取る必要があったんだ?」ポルトスは無邪気に尋ねた。
「船団を維持する金が必要だったからだ」アトスは答える。
「そうだな。よくよく考えれば確かに鉄仮面のやり口とよく似ているな。例えば、鉄仮面は女子供に乱暴はしなかった。金品は奪ったが貧しい人たちからは何も奪わなかった」
ダルタニャンは思い出にふけりながら言った。
「どうする?」
「いくら僕達四人でも数ではかなわない。ましてや海戦になればなおさら不利だ。首領のマルキアリひとりだけを狙ったほうがいい」
アトスは、チェスの盤上に、黒の駒を九個並べた。
「ガレオン船が九隻。すぐにでも上陸しそうな様子で停泊している」
「もし、彼らがフィリップ殿を乗せたままマルセイユを離れてしまったら?」
「水と食料の補給がなければ、出航できない」
ダルタニャンは、黒のキングを取り出し、別の場所においた。
「マルキアリひとりを陸におびきだす必要がある」
「僕とアラミスは、黒の王をおびき出す。場所はイフ城。海から上がれば鮫もただの動物になる」
「わかった。僕とポルトスは、補給路を断ち船団を港にとどめる」アトスは応じた。
白い鴎亭の夜は更けていった。



fig. ガレオン船
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Spanish_Galleon.jpg

第27話 終わり
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