十年後!

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  第26話 フランソワの真実  


ヴァル・ド・グラース教会では、たった今ミサが終わったところであった。
香炉の煙が空気に漂うなか、人がいなくなったがらんどう席列の合間を、注意深くアラミスは内陣に向かって歩いて行った。
アンヌ太后の請願によって建立されて間もないこの寺院は、
内陣部分には白と黒の大理石の舗装が敷かれ、中央には組み合わせたLとAの飾り文字があった。
アラミスは内陣部分に立ち尽くしていた。
三時の鐘が鳴った。
「アラミス殿、だな」
不意にゴシックの柱の影から声がした。
「お前はマンシーニ、か」
振り返ると、赤い護衛隊の服と赤い羽根つき帽子をかぶったマンシーニが立っていた。
「私をここに呼び出したのはお前だな」アラミスは尋ねる。
「ある高貴なお方が呼んでいる。来てもらおう」
列柱の影から彼の部下が数十人出てきてアラミスを取り囲んだ。
「抵抗するな。用が済んだら無事釈放する」
マンシーニの声は以前とは違って幾分穏やかだった。
「どこに連れて行こうというのか?」
「すまないが、それは言えない」マンシーニは答えた。
護衛隊士たちは、アラミスの傍らに付き添いながら、内陣の奥の部屋に入っていった。

内陣の奥にある聖具室では、金色の聖遺物などが壁にところ狭しとかけられ、火のついた蝋燭が並んでいる。
その中央に覆面をつけた男が座っていた。
「ご苦労。アラミス殿。いや本名はデルブレーだったかな」
男は覆面をかなぐり捨てた。緋色の服、そして黒い大きな目にわし鼻……。
「マザラン…!」アラミスは思わずつぶやいた。
「そうだ。貴殿と話がしたい」
「一国の宰相とあろうものが暇だな」アラミスは冷やかに言った。
「見てもらいたいものがある」アラミスの嫌味を受け流しながら、マザランは黒い箱を開けて中身を見せた。

「これを見てくれ」
それは、頭部をすっぽりと覆う、鉄製の仮面だった。
「これは…!鉄仮面!」アラミスはつぶやいた。
「さよう。貴殿が知っている鉄仮面と同じものか?」
「間違いない。十年前に奴がつけていたものと同じものだ。耳の部分に鍵穴がある」
アラミスは仮面を両手で持ち上げながら言った。
「だが、本物は海から引き揚げられたはずだ。これはまだ新しい。どういうことだ?」
「私もそれを知りたいのだ。十年前に鉄仮面はベルイール島で死んだはずだった。死体を残さずに、な。アラミス君。ちょっとばかり昔話をしてもいいかな」
マザランはアラミスに向き直ると静かに語り出した。

「今からはるか16年前にさかのぼる。私がまだローマで、デル・モンテ枢機卿の書記官をしていたころの話だ。
デル・モンテ枢機卿はメディチ家に忠誠を尽くしており、マリア・デ・メディチ、つまりフランス名でマリー・ド・メディシスのお輿入れの際に特任大使を務め、その後フランス王家とローマ法王の仲立ちをしていた人物だ」
「その枢機卿のもとに、ある日、とんでもない恐喝が届けられた。幽閉されているルイ十三世の双子の片割れの秘密と引き換えに、莫大な金額の金を支払えという……。男の名前は、エドアルド・マルキアリ。ジェノヴァ海軍の傭兵隊長だ」
「マルキアリは、盟約でスペイン側について新教徒と戦ったが、スペインに戦費を踏み倒され、多額の借金を抱えていた。おそらく旧教国の総本山のヴァティカンなら金があると踏んだんだろう。驚いたデル・モンテ枢機卿は、マリー・ド・メディシスに手紙を書いた。すぐに王子を安全な場所に移し、お付きの人間を取り換えるように、と」
「なぜ、お前がその秘密を知っている?」
「他でもない、その手紙を代書したのは私だからだ。そして、枢機卿は、替わりに私を王子のもとに派遣しようと命じた」
マザランは一息ついた。
「ところがフランスの母后の側近は事態を甘くみすぎていた。間もなく私は意外な手紙を受け取った」
『王子は近々移動の予定。ただしスイス人の家庭教師と乳母は当人たちの意思により残留。どうか安心されたし』
「当人たちの意思……?」
「そうして、私のフランス行きはなくなった。その後一か月後にらくだといわれる盗賊が屋敷に押し入り、フィリップ王子を連れ去った。ただの物盗りにしてはずいぶんと組織的な企てだったが、その後の奴らの陰謀は君もよく知る通りであろう」

「マルキアリは奴らと関係しているのか?」
マザランはアラミスの問いに答えず、続けた。
「もうひとり、フィリップの身柄を追う男がひとりいる。リュイユの館で、君が私に要求したことを覚えているよ」
「……殿下はノワジーに戻りたがっている」
「ところが、残念ながら君の願いはかなえられなくなった」
「何故だ?」
「私はフロンドの乱が始まる直前に、ノワジーから殿下を連行し、サン・マルグリット島に監禁しておいた。ところが先週、サン・マルグリット島監獄を、漁船に化けた船団が襲い、11人の囚人全員をを捕虜にして連れ去った」
アラミスは息をのんだ。
「奴らの目的はフィリップ殿下なのか?」
「思い出す同じような手口……。さきほど使者が来て、マルセイユの港にジェノヴァ艦隊が到着したとの知らせを持ってきた。艦隊をひきいるのは、傭兵隊長のエドアルド・マルキアリ。そしてその一か月前にヴァティカンのデル・モンテ枢機卿のもとに届いたのが、これだ」
マザランは黒い箱に手をおいた。
「鉄仮面」アラミスは答えた。
「そうだ」
「では、鉄仮面の正体はマルキアリなのか?」
「それはわからぬ。それよりもむしろ私が興味を持っているのが、君の正体だ」マザランの目がキラリと光った。

「これはノワジー村のデルブレー修道院長の逮捕状だ。寄進物を乗せる馬車に爆薬を乗せ、密かにパリ市内に運び込んでいた。村人たちの話では、しばしば森の中のフィリップ王子が正体を明かさずに暮らしていた家を訪ねていっていたそうだな」
マザランは逮捕状を取り出した。
「私はこの尼さんの素性を調べさせた。6年前にシュヴルーズ公爵夫人が直々に修道院長に任命する前の消息はわからぬ。ところが村の戸籍を辿ると面白い事実に出くわした。16年前にデルブレー家の娘の死亡届が出ている。フィリップが連れ去られた直後のことだ」
マザランはここで一息ついた。
「ところで不思議なことに、奇しくも君の本名はデルブレーという…。銃士隊の入隊記録を遡ってみれば、トレヴィル殿の名簿に君の本名はあったよ。もうひとつ不思議なことに、鉄仮面たちがフィリップ王子を擁して王位簒奪をもくろんだ時、君は銃士隊長に任命されている」
「つまり、猊下は僕が鉄仮面一味ではないかと疑っているわけだ」
「その通りだ」
アラミスは立ち上がった。
「残念ながら、僕は天涯孤独の身。女兄弟はいない。僕が銃士をしていたとき、不遇の弟君に同情を覚えたことは事実で、全くの偶然だ」
「全くの偶然? 君がリュイユの城館で私にフィリップの釈放を要求したことのも偶然なのか?」
「そうだ」
「フィリップの側近のスイス人貴族が国外退去命令を断り、フランスに残ったことも全くの偶然か?」
「死者をこれ以上墓からひきずり出すのはやめてくれ!」アラミスは叫んだ。
「お前は一体何を知っているんだ?」マザランは身を乗り出した。


ふとアラミスの目の前に、蔦で覆われたノワジーの城館と高い鉄の柵が浮かんできた。
もし、あのとき。
あのとき、命令に従い、未来の花嫁の手を取り故郷のシャトー・ダジュールに戻っていれば……。
だが、彼をフランスに留まらせたものは、一体何だったのだろう?
今なら、わかる。

アラミスは目をあげ、マザランを挑発的に見据えた。
「それでは、その謎の船団から王子を奪回し、デルブレー修道院長をここに連れて来て潔白が証明できれば、フィリップ殿下は再び自由の身になるということだな」
「そうしよう」
「ついでに聞いておくが、修道院長をどうするつもりだ?」
「魔女裁判にかける」マザランは凍りついた声で言った。
一瞬の間沈黙が流れる。
「わかった。それでは、猊下の信任状をいただきたい。この書状を持つ者は、宰相マザランの命によって動く者なり、と。相手は単なる盗賊ではなく、正規のジェノヴァ海軍なのだから」
「よろしい」マザランはその場でペンを取り、紙の上にしたためた。
「これは僕の使命だ。三銃士のアラミスが請け合おう」アラミスは信任状を受け取りながら言った。
「健闘を祈る」マザランは立ち上がった。
アラミスはマザランに軽く目配せをすると、聖具室を後にした。
教会の内陣には、いつもと変わらぬ日常の空気が流れていた。


「コンスタンス! 探したよ」
ダルタニャンはルーブル宮の王妃の居間の控え室で、コンスタンスの姿を見つけるなり、カーテンの奥に押し込んだ。
「どうしたの?ダルタニャン。こんな時間に」
「話がある。時間がないんだ」
いつもと違う雰囲気に押されてコンスタンスはダルタニャンの顔をまじまじと見つめた。
「これからマルセイユに行く」
「命令なの?」
「ああ。」
「いつ戻って来れるの?」
「わからない。戦争になれば……」
「そう」コンスタンスは言葉を探していた。
「お別れの挨拶に来た」
「私も行くわ」コンスタンスはきっぱりと言った。
「それは駄目だ」
「どうして?昔は一緒に連れていてくれたじゃない」
「わかってくれよ。コンスタンス。僕はもう銃士見習いじゃないんだ!」
「でも、私にとってあなたはいつも変わらない。ダルタニャン」
「違うんだ。僕らは昔と同じじゃない、コンスタンス。君の顔を見るとき、僕はいつも足を前に踏み出すのを躊躇する。こんな気分で出発するのは、もうたくさんなんだ!」
「私はいつでも待つわ」
「もう待たせることはできないだろ。もっと早く気付くべきだったんだ!」
ダルタニャんは声を荒げた。
「ごめん。コンスタンス。僕は君にふさわしい男ではなかった」
ダルタニャンは、カーテンの裾を払うと、コンスタンスを残し、宮殿の回廊を歩き出した。

マレ地区にあるシュヴルーズ公爵夫人の瀟洒な邸宅の前では、
ちょうどアトスが玄関から出てきたところだった。
「アラミス!君か。いいところで会った」
アトスは、邸宅に戻って来るアラミスに気付いた。
「ブロワの領地の戻ろうと思っていたところだ。そこで君に話しておきたいことがあるのだが……」
アトスは躊躇しながら言葉を選んだ。
「そうか。僕は明日マルセイユに発つ」アラミスはアトスの肩越しにすれ違いながら言った。
「明日、マルセイユに?」アトスは慌てて振り返った。
「詳しくは時が来たら話す。今は聞かないでくれ」
「わかった。僕も行こう」

「隊長。僕たちを置いてマルセイユに行くなんてあんまりじゃないですか」
銃士隊の詰所では、納得が行かないというようにサンドラスが詰め寄った。
「マザランの命令だ。仕方がない。皆はパリに残っていつも通り持ち場にいてくれ」
「しかし、ジェノヴァの大船団に対し、隊長とポルトス殿たった二人なんて…。どうして海軍を出さないんですか!」
「マザランだって、今は真正面から戦争をしたくないのさ」ダルタニャンは、隊長の執務室で荷造りをしながら言った。
「おーい。ダルタニャン。いるか?」そのとき、ポルトスが入ってきた。
「先ほど、アトスのところの使いから手紙を受け取った。アトスとアラミスはマルセイユに行くらしいぜ」
「僕と君にも出動命令が出た」ダルタニャンは命令書を机の上に投げ出した。
「僕らは一足先に今日中に出発する」
「よしきた」ポルトスは言った。
同じ日の夕刻頃、ダルタニャンとポルトスは銃士隊の詰所であるトレヴィル館を出発した。
二人の騎馬武者は、一路南へと向かって行った。


第26話 終わり
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