十年後!海の傭兵隊長編

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  第25話 サン・マルグリット島の囚人  


薄い雲間から銀色の三日月が顔を出すと、凪いだ海面は鏡のようにその光を反射する。空気までも澄みとおった地中海の海に潮騒がこだまし、沖合からの漁火が揺らめき、そして消える。
南仏カンヌの沖合に、白い砂浜とともに横たわるサン・マルグリット島は静寂に包まれていた。。

ふと、その夜のしじまを破り一艘の漁船が、松の木がまばらに自生する砂浜に乗り上げ、中から数十人の足音が踊り出た。
島の北端にある赤茶けた石を積み上げた要塞には、赤々と松明が伴っていた。
垂直の壁がそそり立つ堡塁から見張りをしていた守備兵たちがその異変に気付いた。
「何者だ?」
漁師の首領と思われる背の高い男が出てきて、リグリア訛りのイタリア語で告げた。
「ここから西は海が荒れている。リグリアの港に戻れなくなった。積んでいたマグロを引き受けてほしい」
「よろしい。持ってこい」
漁師たちは松明を片手に、網にかかった魚を引きずりながら次々と要塞の門をくぐった。
「厨房まで運んでくれ」
全員が城門の中に入ったのを見届けると、首領の男が短い声をあげた
「やっちまえ!」
漁師たちは一斉に腰につけている剣を抜いた。
「な、漁船じゃなかったのか!」
守備兵たちが問い返す間もなく武装した漁師たちに囲まれる。
「この島は占領した。囚人を渡してもらおうか。」
首領が剣を片手に監獄長に迫った。
「わ、わかった…命だけはお助けを…」
監獄長のサンマールはぶるぶる震えながら言った。
要塞の独房から、囚人がひとりひとり中庭に連れ出されたとき、漁師の首領が再び声を張り上げた。
「一人足りない!」
監獄長のサン・マールは恐れをなしながら言った。
「それだけはご勘弁を…宰相マザラン枢機卿よりお預かりしたお客様ですから……」
「特別室の囚人だ!連れて来い!」
首領は手を扉の前に突き出すと、扉は音を立てて破れた。
「は、はい…。今すぐ連れてきます!」
腰砕けになったサンマールは一番奥の離れの部屋に駆け込んでいった。
間もなく、ひとりの囚人を引き連れてきた。
髭に覆われた顔に、穏やかなまなざし、質素な衣服をまとっているのにもかかわらず高貴な身のこなし、そして、先王ルイ十三世に瓜二つの容貌……
フィリップだった。

「十年ぶりだな」首領はフィリップに話しかけた。
「お前は…」フィリップは、漁師の首領の顔を凝視した。
「お前がどのような姿で私の前に現れようとも、声でわかる…。何しろ私は鉄仮面をつけられていたのだから」
漁師の首領はそれには答えずににやりと笑った。
「連れていけ。船に乗せろ!」首領は踵を返すと、再び舟に向かった。
頭に撒いた布の下から、褐色の髪の毛が出ていた。松明の光は、一瞬、その彫りの深い顔立ちと、額にくっきりと刻まれた十字の刀傷を照らし出した。

フォッソロワイユール通りのボナシューの工房。
「はーい。もうしばらくお待ちください」
コレットは扉の前で順番を待つ客を手際よくさばいていた。
仕立て屋ボナシューの工房は、朝から新興商人や貴族たちの顧客で賑わっていた。
「ジャン、大変よ。今日中に寸法取りが終わらないわ」
仕事場でせっせと寸法を測っているジャンに話しかける。
「いやあうれしい悲鳴だよ」
「最近ずいぶん繁盛しているみたいね」
二階から降りてきたコンスタンスが店内を覗きこんだ。
「そうだよ。おいらの発明のおかげさ」
「何の発明なの?」
そのとき、次の順番待ちをしていた恰幅の良い商人が入ってきた。
「これは。ようこそ。旦那!」ジャンは元気よく迎えた。
「やあ。君。評判を聞いたよ。例の婦人服を見せてもらおうじゃないか」
ジャンは奥から一着の婦人の晴れ着を取り出してきた。
「コホン、これはパリ広しといえども誂えられるのは、当ボナシュー工房だけでして、コルセットが後ろ開きになっていて、ワンタッチで留め金を外せるようになってるんです。つまり、ご婦人の服を手早く脱がせるのに最適…新婚さんにおすすめです」
「おお、これは画期的だ!カミさんと愛人のソフィーに二着注文するよ」
「では後日寸法を取りに行きますね」
ジャンは手元の帳簿に素早く記入した。
恰幅の良い顧客が出て行った後、その場で見ていたコンスタンスはつぶやいた。
「ジャン…。私の服はあなたのところで作ってもらいたくないわ」
「どうして?でももう一着注文があったよ」
「誰が?」
「ダルタニャン。婚礼用のドレスだって」
「……。」コンスタンスは腰に手をあてた。
そのとき待っている客をかきわけて、ひとりの下男とおぼしき男は扉口に姿を現した。
「コンスタンス・ボナシュー嬢のご実家はここでございますか?」
「ああ、そうだよ。」
何の気もなしにジャンは答える。
「私がコンスタンス・ボナシューですが…」コンスタンスはおずおずと前に進み出た。
「さる殿方からこちらをお届けするように頼まれまして…」下男は前にスミレの花束を差し出した。
「はあ…」
「誰なんだい?」ジャンは問う
「お名前は伏せるようにとのご命令です」
下男は花束をコンスタンスン渡すと一礼して出て行った。
「水臭いなあ、ダルタニャンも…。自分で渡せばいいじゃないか?」
「違うわ…。」花束を見ながらコンスタンスはつぶやいた。
「ダルタニャンはこんなに気が付く人じゃないもの」
「へっ?」ジャンはコンスタンスを見た。

新王宮のマザランの執務室。朝の穏やかな時間は、早馬に乗って駆け込んできた急使によってやぶられた。
「大変です。猊下!」
マザランは、慌てて椅子から飛び上がった。
「偽装漁船が、カンヌ沖のサン・マルグリット島を襲いました!」
「何だと!で、監獄の囚人は?」
「全員連れ去られました!」
マザランは唇を噛んで拳を机の上に降ろした。
「全員か?」
「はい。11人全員です。また、トゥーロンの軍港からの情報によれば、9隻から成る船団がトゥーロン沖を通過して、マルセイユに向かっているとのことです」
「ジェノヴァ船団か?」
「おそらく。」
「わかった。すぐに援軍を送り、サン・マルグリット島を奪回する」
ひとり残されたマザランは、指を組み視線は宙を見つめていた。
「まさか…。マリキアリの仕業か……?」

「悪いがダルタニャン君。至急マルセイユに行ってもらいたい。」
執務室に呼ばれたダルタニャンは、マザランの様子からただ事ならぬ
ことが起こったということを、すぐに察した。
「私ひとりで? デュ・バロン君は?」
「もちろん。二人で」
「それで任務はどのようなものなのでしょうか?」
「ジェノヴァ船団の首領を捕えるのだ。捕虜になった、サン・マルグリット島監獄の囚人11人を無傷で連れ戻すこと。これは命令書だ」
マザランはすばやく書付をわたした。
「船団相手に、私とデュ・バロンの二人で戦えと?」
ダルタニャンは聞きかえした。
「首領ひとりなら君にとって申し分ない。何しろ君はかつて鉄仮面を捕えたのだから」
マザランは意味ありげに言った。
「トゥーロンにフランス海軍の船団が停泊中のはずですが」
「一週間前に北洋沖に出てしまった。フランドルで講和を結ぶ前の牽制だ。したがってトゥーロン軍港はもぬけの殻だ」
「もし、それでジェノヴァと戦争になったら?」
「なるやもしれん。長引けばまたしばらくパリに戻って来れなくなる。もし君に奥方や恋人がいるのなら、別れを言っておいた方がいいかもしれんな」
「承知しました。」
ダルタニャンは重々しく言って、マザランの執務室を後にした。

「そうだ、コンスタンスに挨拶に行かなくては…」
ダルタニャンは新王宮の廊下を歩きながら思い出した。
そして、何か後ろ髪をひっぱられるような、この晴れない気分は一体何なんだろう、と自問した。
「ゆこう…。その先に戦いがある限り」
ダルタニャンは羽根つき帽子をかぶった。



第25話 終わり

fig. サン・マルグリット島
http://www.frenchfriends.info/gallery/Riviera/Cannes/Isles/st_marguerite_fort.jpg.html 
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