十年後!

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  第21話 マザランの収集室  


ダルタニャンが目が覚めたとき、小さな明り取りの窓が高いところについた石造りの半地下室に身を横たえていることに気が付いた。
窓によじ登ってみると、そこには鉄格子がはまっていて、歩哨の長靴が見えた。
その遠景に、どこからかんきつ類の香りが漂っていて、そこがオレンジ畑に囲まれた小さな城館であることがわかった。
「もう捕えられて三日か……」
窓から入る日の光を注意深く観察しながら、ダルタニャンはつぶやいた。
「全くこれでコンスタンスと一緒に暮らせると思ったのに、ついてないや」
ダルタニャンは脳裏にコンスタンスの顔を思い浮かべた。前線から帰ってきて、十分に二人の時間もとっていなかったことを思いだし、少しばかり後悔していた。
「でも、いつもこんなことばっかりやっていて、これからもコンスタンスと平穏な毎日を過ごすことができるんだろうか…」
改めて浮かんだ疑問、あまり考えたくもない疑問であった。
ダルタニャンはそんな疑問を頭から振り払った。

「なあ、東の方に進んでいるが、本当にこんなんでダルタニャンは見つかるのか?」
馬に乗りながら、ポルトスは傍らのジャンに尋ねた。
「とりあえず、探してみない限りには始まらないじゃないか」
ジャンはパウル君を肩に乗せながら答えた。
セーヌ川沿いに東の方に進んでもう二、三時間になる。
「おや、どこからかいい匂いが漂ってきているぞ…」
ポルトスは鼻をくんくん言わせた。
「兎の肉の匂いだ。俺の記憶に間違えがなければ、どこかで軍隊が野営している。昔銃士隊にいたころ、こんな調理法で兎を焼いたことがあったなあ」
ポルトスは懐かしそうに匂いのする方に馬をすすめた。
茂みの陰からポルトスとジャンが覗くと、銃士隊の制服を着た若者が十数人たき火を囲んでいた。
その中にポルトスは見知った顔を見つけたとたん叫んだ。
「サンドラス!」
「その声は、ポルトス殿ではないですか!?」
サンドラスは嬉しそうに、ポルトスに駆け寄った。
ジャンとポルトスは再び茂みの陰に隠れた。
「ここで何をやってるんだ?」
「見ての通り、野営ですよ。コンデ大公軍の一連隊として銃士隊も参加していまして…」
「ということは近々戦争が始まるのか?」
「包囲の状況によっては、パリ市内に攻め込むかもしれません。待機命令が出されています。ところで、隊長はお元気ですか?無事帰られたのでしょうか?」
「それが、行方不明なんだ」
「ええ?でもマザラン猊下なら何とかして探し出すはず…」
「それが、マザランによって連れ去られた可能性が高い」
「そうですか…」サンドラスは声を小さくした。
「そういえば…。ここから東にもう少しいったところに、マザランの別邸のリュイユの城館があるんですよ。そこに3日前にスイス人衛兵が派遣されました」
「聞いたことがある。昔城館がリシュリューの持ち物だったころ、地下牢があったという噂だ」ポルトスは思い出しながら言った。
「で、さっき、30分前にここを通って、さらにもう3人のスイス人衛兵が追加されました」
「誰かを監視するためだな」ポルトスは顎を撫でた。

「だめだよ。ポルトス。見張りが大勢いるよ」
城館の外から塀をよじ登りながらジャンは言った。
「何が見える?」塀の下からポルトスが尋ねる。
「オレンジ畑。それとスイス人衛兵たち。彼らはこんな人数で何をものものしく監視してるんだろう」
「潜入してみないことにはわからないな」リュイユの城館の塀の下でポルトスは腕を組んだ。

「駄目だ。もう四日だ」
明りとりの窓の鉄格子を渾身の力でもびくともしない、窓の鉄格子を前にダルタニャンはしりもちをついた。
「ダルタニャン殿。」そのとき看守のコマンジュが戸口に姿を見せた。
「いいお知らせといっていいのか、悪いお知らせと言っていいのか…。ご友人のラ・フェール伯爵がおいでです」
「助けに来てくれたのか!?」
「いいえ、囚人として。マザランに逮捕されました」
コマンジュの声には同情が含まれていた。
ダルタニャンはがっくりと膝をついた。
「そうか、アトスまで捕まってしまったのか…」
「そう。お気を落とされずに、中庭の向かいの部屋にいらっしゃいます。お話になることも可能になるでしょう」
コマンジュは親切そうに言ってウインクをした。
再びふさぎこみ、うずくまったダルタニャンの上で、そのとき、聞き覚えのある誰かの声がした。
「ダルタニャン…!」
「その声は、ポルトス!」ダルタニャンは明かり取りの窓に近寄った。
「待っていろ、今鉄格子をこじ開ける」
外から太い腕が伸びて、窓の鉄格子をつかむと、とたんにぐにゃりと折れ曲がり、何とか人ひとりが抜ける隙間ができた。
隙間から腕を伸ばしてダルタニャンをひっぱりだす。、
「大丈夫だったか。怪我はないか。」
殴られた時頭できたこぶを触りながらダルタニャンは言った。
「大丈夫だよ。ありがとう。ポルトス」
「ダルタニャン!」茂みから身を隠しながら、ジャンが現れた。
「どうしたんだよ。急にいなくなっちゃって心配したよ」
「ありがとう。ジャン。」
「スイス人衛兵の服を拝借してきた。これで変装すればいい」ジャンは言った。
「アトスは中庭の向かいの部屋にいる。助けに行こう」
三人は茂みの中を、見つからないように忍んで行った。

オレンジ畑のなかを歩いていたスイス人衛兵はふと、ひとつの異変を目にした。
「おい、あれは何だ?」ドイツ語でそばにいた仲間に訪ねる。
「あれは…。ニワトリだ…」
パウル君がコケコッコーと甲高い声をあげながら、オレンジの果樹の間をバタバタと飛び回っり暴れまわっていた。
羽や嘴でたわわになったオレンジ実をつつき、オレンジがバラバラと木から落ちていった。
「猊下が丹精こめて手入れをしたオレンジの木に何をする!」
「あのニワトリを捕まえろ!」スイス人衛兵たちは、畑で暴れ回るパウル君を追いかけはじめた。

「よし、このすきだ。」衛兵の衣装を着たダルタニャンとポルトスは廊下を駆け、アトスが収監されている中庭の向かいの部屋に近づいた。
アトスは部屋の中で静かに読書をしていた。
「アトス…!」ダルタニャンは声をひそめて呼んだ。
「ダルタニャン…」アトスははっとして本から顔をあげた。
「君は無事なのか!」
「待っていろ。今鉄格子を開けるからな」
再び窓にかかっていた鉄格子はポルトスの怪力で折れ曲がり、脱出できる隙間ができた。
「ありがとう」アトスは鉄格子の隙間を自力ですり抜けた。
「パウル君がひきつけてくれているうちにみんなでここを逃げよう」
ジャンは言った。

メディチのビーナス、棍棒を持つケンタウルス、そして瀕死のガリア人奴隷。
滑らかな大理石に石肌にうっとりと見とれながら、マザランはリュイユの城館のホールの中を歩いていた。ここには両側に白い大理石の彫像がところせましと並んでいる。
「どれも美しい…」ため息をつきながら、奥の分厚い革表紙の蔵書をひとつひとつ確認した。
「ローマから届いたばかりだ」
本棚の前には地球儀が置いてある。
「ヴァティカンの奴らはガリレオを禁固刑にしたが…」
地球儀に手を置きながら、いとおしそうになでた。
「せめてこのフランスだけでも、私の意のとおりになればな…」
「猊下。大変です!」楽園のマザランのもとに、伝令が飛び込んできた。
「何者かが、城館に侵入した模様です」
「なに?」
「庭でニワトリが暴れています。誰かが放ったに違いありません」
「探せ!囚人たちは大丈夫だろうな」
「は。確認してきます」
伝令が去ったあと、再びマザランは今朝届いたばかりの本の箱に手を伸ばした。
できれば、この休息をだれにも邪魔されたくないものだ。

「ずいぶんと立派なコレクションですね。」
ふと目をあげると、そこにはダルタニャンが立っていた。スイス人衛兵の制服を着こんでいる。
「何!お、お前は…!」マザランは困ったものを見られたように狼狽した。
「国庫が空だって税金かけたのに、自分のところにはこんなお宝を集めていたんだね!おいら見ちゃったよ!」
ジャンが後ろから顔を出した。
「こ、これは、ローマでは皆やっている。文芸保護の一環だ!」
「しかし、これだけのものを集めるのに、まさか私財だけでまかなえるわけがない」
アトスもひとつひとつの彫刻に見入りながら言った。
「チェリーニやジャンボローニャ、イタリアの巨匠の作品ばかりだ」
「前線で俺たちは命をかけて戦っているというのに」
同じくスイス人衛兵の制服を着こんだポルトスが言った。
「お、お前たちは…!」マザランはわなわなと後ずさりした。
「ひ、ひとを呼ぶぞ。人の家に無断侵入してきて…」

「この館は包囲されている。観念しろ。マザラン!」
そのとき、聞きなれた声がホールに響き、アラミスが入ってきた。
「アラミス!」
「みんな、遅くなったな。シュヴィルーズ公爵夫人の手勢を連れてきた」アラミスはアトスに剣を投げた。
四人は一斉に剣を抜いた。
「お、お前たちは私を恐喝する気か!」
マザランは後ずさりしながら言った。「私はフランスの宰相だ」
「だが今は我々の捕虜だ」ダルタニャンはにこやかに言ってのけた。
「要求は何だ?」
弱気になったマザランはしどろもどろになって尋ねた。
「ダルタニャンの復職。アンリエット妃の赦免嘆願を受け入れよ」
アトスは剣をマザランの喉元につきつけながら言った。
「ラ・フェール伯爵とデルブレー卿の逮捕状の取り消し」
ポルトスも剣をつきつけた。
「フィリップ殿下を再び自由の身に戻すこと。先王陛下の遺言通りに」
アラミスも剣をつきつける。
「おいらも言っていい?パリの民衆は皆飢えているんだ。包囲を解いてくれ」
ジャンはダルタニャンの手をとって剣をつきつけた。
「それはならぬ!」マザランは叫んだ。「和平はあり得ない!」

そのとき、フロンド派の手勢の見張りのひとりが走ってやってきた。
「大変です!たった今、市内の自警団の民衆が蜂起して、コンデ大公軍とサン・タントワーヌ城門付近で小競り合いを起こしています!」
「何だって!」その場にいた6人はいっせいに声をはりあげた。
「すぐに援軍に行く!」アラミスは見張りに告げた。
「わかった。お前たちの要求はひとつだけ聞き届けよう。ダルタニャンは銃士隊長としてコンデ大公軍に合流してくれ。これは命令だ」
マザランは振り返りながら静かに言った。
「アトス、アラミス、ジャン…。僕は…」ダルタニャンは申し訳なさそうに目を伏せた。「また、君たちと戦わなければならない…」
「猊下。私のお願いを聞き入れいただき、ありがとうございます」
アトスは宰相に威厳を正して一礼した。
「さあ、ダルタニャン行くんだ。君は念願の銃士隊長じゃないか」
そしてダルタニャンに向き直ると優しく語りかけた。
「ダルタニャンは夢をあきらめちゃ嫌だ」ジャンも言った。
「ダルタニャン、ポルトス、また戦場で会おう!」アラミスは言った。
「合言葉は、新王宮前広場!」ポルトスは言った。
オレンジ畑の間の道をかつての友たちは歩きながら、
また、別の決戦が彼らを待ち受けていた。



第21話 終わり
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