十年後!

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  第20話 ダルタニャンの消息  


稲妻号が港の埠頭に碇を降ろすと、すぐに渡り板が降ろされ、積み荷を水夫たちが運んでいた。
「じゃあ、ダルタニャン。僕たちはここで…」
「無事を祈る」
馬を借り入れたアトスとアラミスは、帽子を振って挨拶しながら出発した。
「僕たちもパリに急ごう。ポルトス」ダルタニャンはポルトスの方に向き直った
「そうだ。さっきのポルト酒をセーヌ川の運搬船に積み替えるように手配しておく。ちょっと待ってくれ」
ポルトスは、樽をおろしている水夫たちのところに談判に言った。

ひとりになったダルタニャンは、港の埠頭の情景を見回した。
懐かしいフランス語の響き、道行く人々の着るものも見慣れたものだった。
近くの市庁舎の鐘楼から鐘のなる音が聞こえる。
「あなたは、銃士隊長のダルタニャン殿ではないですか?」
突然声をかけられ後ろを振り返ると、
書状を手にした官吏が立っていた。
「マザラン殿からのお達しです。すぐパリに戻られたしと」
官吏はダルタニャンにうやうやしく 書状を渡した。
そのとき、背後から何か硬いもので思いっきり後頭部殴られた衝撃をダルタニャンは感じた。
どさっと鈍い音が聞こえ、そのまま意識を失った。

水曜日。パリ近郊のシャンティイの青い孔雀亭。
夕暮れ時に、酒飲みにやってきた客たちがぼつぼつと集まり始めた。
「もう、6時過ぎる。遅いな」アラミスは帽子を深めにかぶりながら、辺りを見回した。
「何かあったのだろうか?」アトスは心配そうに尋ねる。
「おーい!」
そのとき、酒屋のドアが開いてポルトスの巨躯が姿を現した。
「遅くなってすまん」ポルトスはあたりをはばかるようにアトスとアラミスに近寄った。
「ダルタニャンは?」
「それが…。俺がポルト酒の樽を積み替えている最中に、何者かにさらわれた」
「何だって?」
「すまない。ちょっと目を離したばかりに…」
「食べ物のことばかり考えているからそんなことになるのだ」アラミスはとげのある口調で言った。
「待て。ここでポルトスを責めても仕方がない。相手はそれだけダルタニャンを待ち受けて偵察していたということだから」
「でも、誰がどんな目的でダルタニャンをさらったのだろう?」とアラミス。
「あたりにいる人に聞いたら、港の官吏のような男たちがウェスパ号に近寄っていたらしい」
「官吏…。やはりマザランの差し金か?」アトスはつぶやく。
「だが、マザランだって今はダルタニャンがいなければ困るだろう」アラミスも腕を組んだ。
「とにもかくにも、俺たちで助け出すしかない」ポルトスは言った。
「わかった。僕にいい考えがある。僕とアラミスは、アンリエット妃のところに行ってダルタニャンの赦免嘆願書を書いてもらう。マザランの命令に背いたといっても、国王の叔母のために働いたことを証明できればいいだろう。ポルトスは、ボナシューさんのところに行って、情報を集めて来てくれ」
「わかった」
「よし」
「みんなはひとりのために、だ」
三人は顔を見合わせた。

パリのフォッソロワイユール通りのボナシュー工房では…。
「ほら、スープができました」コレットが湯気の上る陶器の皿もテーブルの上に運んだ。
ボナシューは静かにスプーンをとってそれを口に運んだ。指が小刻みに震えている。
既に自分の足で歩くことができなくなって以来、弟子のジャンに 主だった仕事を任せ、静かな生活を送っていた。
「おいしいよ。ありがとう。コレット」
「今日はほんのちょびっとしか具を入れなれなかったの。ごめんなさいね。パリが包囲されてから
食料がなかなか入ってこなくなってしまって…。足りるかしら」コレットが心配そうに言った。
「まあ、しばらくの我慢だ」老人ボナシューは笑いながら言った。
「ただいま。ボナシューさん。コレット。いい知らせだ」ジャンが元気よく部屋に入ってきた。
「小麦粉の配給があった。ボーフォール公が、さっき自領の小麦粉を運び込んで気前よくくださったんだ」
ジャンは手にしていた袋をどさっとテーブルに置いた。
「これでまた一週間は食いつなげる」
「でも、ジャン。もう、パリが包囲されてから三か月になるわ。一体いつまで耐えられるかしら」
「耐えられるよ。コレット。そのためにおいらたちが戦っているんじゃないか!」ジャンは負けじとテーブルを叩いた。
「でも病人や子供たちはどうなるの?」
ジャンの脳裏に、ダルタニャンが最後に言った言葉がよみがえった。
三か月たっても包囲が解けなかったら、ボナシューさんと母さんを連れてパリを脱出しろって…。
でも、もう今更逃げることはできないじゃないか。ジャンは不安を頭から振り払った。

「ボナシューさん、ジャン!久しぶりだ!」
そのとき大きな声がして、巨人が工房の中に姿を現した。
「ポルトス!」一同はいっせいに叫んだ。
「久しぶりだ。ジャン。大きくなったなあ!」
かつての銃士は、若い仕立て屋職人の肩をたたいた。
「もう子供じゃないよ。ポルトス」すっかり背も伸びた青年は、嬉しそうに笑った。
しかし、ポルトスの顔に険しい影があるのを見て取って、黙りこくった。
「ところで…。ダルタニャンを知らないかい?」
「ダルタニャン?知らないよ。」ジャンは首を振った。
「もうここにはあまり来ていないのか?」
「三か月前に会ったよ。これからパリを離れるって言ってた。それ以来会っていない。心配してたんだ」
「大丈夫だ。無事にフランスの地にはたどり着いている。ただしそこから行方がわからないんだ」
「そうか。いいことがある!」
ジャンの顔が明るくなった。
「こういうときこそ、パウル君で占いをするんだ」
「パウル君?」ポストスは怪訝な顔をして尋ねた。
ジャンは、台所から一羽の鶏を抱えてきた。
「丸焼きにしたらうまそうだなあ」ポルトスはすかさず言う。
「だめだよ。パウル君は食用じゃないよ。予知能力があるんだ」
ジャンはニワトリをなでながら放した。
「さあ、パウル君。ダルタニャンはどこにいるか教えてくれ」
ニワトリはとたんにコケコッコーといななきながら、台所中をバタバタと歩きまわった。
そして、竈の上の果物籠の上によじのぼると、そこに座った。
「これでどうしたんだ?」
「パウル君の下を見てみてよ。」ジャンは鶏をどけた。
下には果物籠につまったオレンジがあった。
「東の方角、オレンジがヒントだ」ジャンは叫んだ。
「おい。ジャン。いいのか。ダルタニャンの生死がこんなニワトリの気まぐれごときで決まって…。」
「パウル君を信じろよ」
「信じられるもんか」
「わかったよ。おいらも一緒に探しに行くよ」
ジャンはニワトリを肩に乗せたまま、ポルトスと一緒に工房を出た。

薄暗いルーブル宮殿の一室では、黒いカーテンをおろしたまま、
部屋の中には静かなすすり泣きがもれてきた。
「アンリエット妃殿下。ラ・フェール伯爵とデルブレー卿がみえました。」
侍従の声を聴くと、 アンリエットは一層蒼白になった。
「構いませんわ。覚悟はできております。お通しください」
旅装のマントのまま、アトスとアラミスは静かに部屋に入って王妃に歩み寄った。
「お話は伺ってます。これも神の運命というものでございましょう。
最後まで夫を守ってくださってありがとうございました」
二人が話し始める前に、アンリエットの方から切りだした。
「恐れながら陛下。お約束しておきながらご夫君をお守りできなかった非力をお許しください」アトスは答えた。
「いいえ。夫の最期はいかようでしたか?」泣きはらした目でアンリエットは尋ねた。
「多くは申し上げることはできますまい。妃殿下と王太子殿下に伝えてくれと最期の言葉仰せつかりました」
「何て?」
「愛している、と…」アトスの声が途中で震えた。
「立派な最期だったわけですね」
「王者として全うなさいました」アラミスはこうべを垂れた。
「王太子殿下の将来のために、一千万リーブルをニューカッスルの城に埋めておいたこと、そして、
これをお渡しするように言われました」アトスは懐からビロードの包みを取り出してアンリエットに渡した。
「これは……!」包みを開けながらアンリエットはつぶやいた。
「戴冠式の王冠のルビーですわ」
「さようでございます」
「まだ、希望を捨ててはいけない。再び、息子がこの宝石を頭上に抱き、王座に戻るその日まで…」
アンリエットはつぶやきながら 涙をふいた。
「ありがとうございます。お二人とも。あなたたちのおかげで、ふたたび立ち上がる勇気を持つことができました。お礼はどうしたらいいのでしょうか?」
「貴族として当然の義務を果たしただけです。」アトスは続けた。
「でも、もしお心の片隅のお優しさにおすがりできるのなら、お願いしたいことがございます。友人の銃士隊長のダルタニャンが、このルビーを奪回するのに骨身を惜しんで協力してくれました。しかし、現在ダルタニャンはマザランの命令に背いたということで、咎を受けております。 どうぞ、ダルタニャンの赦免嘆願を妃殿下御自身の手でいただきとうございます」
「わかりました。わたしと王太子のために働いてくださったお方を、マザランといえども粗末には扱うことは許しますまい」
アンリエットは、文机の上の紙の上にペンを走らせた。
「これでよいでしょう。何か困ったことがあればご相談くださいね」
「まことに恐れ多く存じます。本来でしたら我々こそ妃殿下のお力になりたいときに…」
アトスは恐縮してアンリエットの足元にかがみこんだ。

サン・ジェルマン・アン・レーの宮殿の一室。マザランが落ち着かなさそうに、にわかごしらえの
書斎の中を行ったり来たりしていた。
「イギリス国王が処刑された…。我々もフロンド派を抑えねば同じ目に逢いかねない。マンシーニ!」
「はい。猊下」
「包囲網の様子はどうだ」
「コンデ大公は軍勢を八つの連隊にわけ、パリ城門を外から固めています。城内では飢餓に苦しむ民衆から早くも厭戦気分が生まれています。
このまま続ければ、流血もなくパリ明け渡しが可能になるでしょう」
「クロムウェル将軍にはフランスはイギリス情勢に介入しないと黙認する姿勢をとっておいた。さもなければ議会軍の奴らはこっちまで 攻め込んで来るやもしれん」マザランは再び額に手をあてながらつぶやいた。
「猊下。猊下に謁見を願う貴族が来ています」伝令が戸口に姿を現した。
「誰だ。それは?」
「ラ・フェール伯爵です」
「フロンド派の一味じゃないか。まあよい。通してくれ」
扉が開くと、アトスが黙ってマザランのもとに進み出た。
「猊下の銃士隊長ダルタニャンのことで、恐れながら申しあげたいことがございます」
アトスは書状を手に進み出た。
「国王のルイ十四世陛下の叔母上のアンリエット殿の赦免嘆願書でございます。勇敢な貴族ダルタニャンはアンリエット殿のご夫君を見殺しにすることは できなかったのです」
マザランは後ろを向き、手を組んだ。
「しかしながら、イギリス情勢に介入することを私が望まなかったのだ」
「わたくしの父祖は代々、ヴァロアの時代から王家に仕えて参りました。そして有事には国王のためにすすんで剣をとり死地に赴きました。同じくナヴァール王の血をひく王妃様とその王太子殿下が助けを求めているときに、それを黙って見過ごすことができましょうか」
「高等法官の脱走を助けた謀反者が…」
「王権が定めた法を司る法官の決定を、武力で覆そうとすることこそ謀反といわずして何といいましょう」アトスは平然と続ける。
「マンシーニ!この男を逮捕してくれ」マザランは言った。
「よろしい。それならば、私は監獄に入ろう。主義を持たぬ政治は媚びと同じだ」
アトスは剣帯を自ら外してさしだした。

「それで、伯爵はサンジェルマン・アン・レーに行ったのね…。」
シュヴルーズ公爵夫人は不安げに言った。
「はい。ひとりで行くと言って聞かなかったのです」アラミスは答えた。
「貴方は行かない方がいい。ここにいなさい。デルブレー」
公爵夫人は険しい声で言った。「貴方まで逮捕されることはありません。」
「は、私はフロンド派の手勢を率いてアトスのあとを追います。もしかしたら助けだせるかもしれない」
アラミスは、公爵夫人に目配せすると、ヴァンドーモワ街道のシュヴルーズ公爵夫人の別邸を後にした。



第20話終わり

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