十年後!

BACK | NEXT | INDEX

  第3話 ポルトスの退屈  


サン・ドニ門からパリを出て、北に馬を走らせること数時間、
のどかな牧草地と平原の向こうに、ピエール・フォンの城が見えてくる。
「ずいぶんと立派な城だなあ」
ダルタニャンは馬から降り、城門をくぐって中に敷地の中に入っていった。入口の近くまで来ると、肉が焼ける臭いと金属製の食器が擦れあう軽い音がきこえてきた。
「この城の主にお会いしたいのですが」
ダルタニャンは赤ら顔の太った従僕に取り次ぎを頼んだ。
「デュ・バロン殿ですか。少々お待ちを」
じばらくすると、階段から、懐かしい巨体の影がゆっくりと降りてきた。
「やあ、ダルタニャン!久しぶりじゃないか」
ダルタニャンはポルトスをまじまじと見つめた。相変わらず巨人のような体格はそのままで来ている服は一層派手になり、しかしながら物腰は以前よりも柔らかくなったようであった。
「ポルトス、久しぶりだよ」
ダルタニャンは、友の巨体に飛びついた。
「今、兎のローストを食っていたんだ。君も一緒にどうかい」
ポストスは昔の友人に食事をすすめた。

「しかし、君は変わらないなあ。」
ダルタニャンは、兎にかぶりつきながら言った。
「細君は元気かい?」
「ああ、料理がうまいし気立てはよい。君こそコンスタンスとどうなったのか。結婚したんじゃないかい?」
ポルトスに痛いところをつかれてダルタニャンの顔が曇った。
「それが、まだなんだ」
ダルタニャンは、かつてトレヴィルとの顛末を思い出した。

「隊長、コンスタンスとの結婚の立会人をお願いしたいのです」
トレヴィルの顔つきがみるみるうちに険しくなった。
「結婚だと…。まだ君は身を固めるのには若すぎるのではないか」
「でも、彼女以外の人は生涯これから考えられません」
「武人たるもの、あまり早くに結婚をすると、妻子のことが頭にちらつき、剣や鉄砲の前に飛び出す勇気がなくなってしまう。そんなに焦らなくてもよい。これから武勲をたてて出世をすれば、より家柄の良い娘を妻に娶ることもできよう。その方が君のためだ」
トレヴィルは重々しく言った。

「コンスタンスが貴族であろうとなかろうと、僕にはどうでもいいんだ」
トレヴィルとの一件をポルトスに話しながら、ダルタニャンはつぶやいた。
「まあ、いいじゃないか。もうすでに君は充分手柄を立てたのだから、今ならトレヴィル殿だって許してくれるさ」
ポルトスはそっと友の肩に手を置いた。
「ところで、君は幸せそうだね。」
「そう見えるかい?」今度はポルトスの顔が曇った。
「だって、奥さんはいるし、毎日こんな風に楽しんでいるんだろ?」
「だけれども、雉はどの季節だって旨いわけではない。ぶどう酒だって、不作の年もあればあたりの年もある。リンゴだって、熟れる前は青々として水っぽいけれどある日突然甘くおいしくなる」
「君にしてはずいぶんと哲学的なことを言うなあ」
「どんな極上の鹿肉も毎日食べていれば旨くなくなる」
「つまり、君は変化を欲しがっている、というわけだ」
ダルタニャンは言った。
「その通りだ」
「ならいい話がある」ダルタニャンは身を乗り出した。
「銃士隊が再興されるんだ。マザランとアンヌ太后のために働かないか。昔のようにみんなで力をあわせて冒険をするんだ」
「冒険、いいなあ。」ポルトスが立ち上がった。
「腕が鳴る。僕は乗ったぞ」
「ところで他の仲間の居所を知っているかい。アトスとアラミスのことだけど」
「アトスは、そうだ。不思議なことがあるんだ」
ポルトスは声をひそめた。
「何年か前に親戚の葬儀のついでに、ブロワに立ち寄ったんだ。そしたらあいつは小さな子供の剣の相手をしていた」
「子供?」ダルタニャンも声をひそめる。
「後見人だといってたけど、目元が似てるんだ」
「実にアトスらしくない」
「らしくない、だろ?」
「それで、アラミスは?」
「ああ、2年前に手紙をもらったよ。ええと、何て書いてあったんだっけ…。”親愛なるポルトスへ。僕は神に祈りを捧げながら隠遁生活をおくっている。居場所は聞かないでくれたまえ。”相変わらずの秘密主義者だ」
「アラミスらしいな」
「らしいだろ」
楽しい語らいの夜は更け、翌朝、二騎の武者がピエールフォンの城門から出て、パリに向かっていった。

パリからモー街道を北に進んだノワジー・ル・セック村。
村はずれの森の近くに、粗い地石を積み上げたひなびたカルメル会女子修道院があった。
礼拝堂に隣接する鐘楼では、午後の鐘がなっている。
黒塗りの馬車が一台、修道院の中庭に入っていった。馬車の正面には金泥で紋章が描かれている。それはシュヴルーズ公爵家のものであった。
黒い服を着た御者が三人、馬車から降りてきた。
「デルブレー修道院長にお会いしたい。」

厨房では、大きな鍋の中に湯気がたち、林檎の匂いが立ちのぼってくる。
青いものから、赤いものまで、籠に入れられた色とりどり林檎はひとつひとつ皮をむかれ、種を刳りぬかれ、心地よい音を立てて包丁で刻まれたあと、鍋の中に入れられていく。
「院長様、公爵家の馬車が来ました。」若い修道女が、ジャム作りの作業の真っ最中の厨房に飛び込んできた。
デルブレー修道院長は、いつも決まった合図であるかのように立ち上がった。

中庭の回廊を抜け、黒い馬車の前に修道院長は姿をあらわした。
「例のものは厩舎にあります」
三人の御者に目配せすると、長居は無用とばかりに向きを変えた。
「院長殿お待ちください。シュヴルーズ公爵夫人からことづてが」
御者は後ろから呼び止めた。
「そのことでしたら、わたくしの気持ちは変わらないとお伝えください」院長は振り返る。
御者は馬車の中から、細長い包みを取り出した。
「これは公爵夫人からです」
ずっしりと重いその包みを修道院長は手にとった。
そうこうしているうちに、残りの二人の御者は厩舎から小麦の入った大きな麻袋を馬車に詰め込んだ。それが終わると、いつも手慣れた作業のように、それから、ぶどう酒の樽とチーズの塊も馬車に乗せていった。
院長はそれを全て見届けることなく、まるで誰かに見られることを恐れているかのように、修道院の中に入っていった。

パリ、ボナシューの工房の前では、ジャンは何かを待ちわびるかように戸口に立っていた。
家の前の路地から、ふと、一羽のニワトリが道の真ん中をよちよち歩きながら、工房に向かってくる。
「パウル君が戻ってきた!」
ジャンはニワトリに駆け寄った。
「えらいよ。パウル君。注文を取ってくるニワトリなんておまえだけだ」
ジャンに撫でられてニワトリは嬉しそうにグルッグルッと鳴いた。
ジャンはすかさずパウル君の背中に取り付けられている袋から手紙を抜き取った。
「飾り紐100本だって。スカロンさんからの注文だよ。おーい、コレット、仕事をはじめるよ」
若い仕立て屋職人はいそいそと奥の仕事部屋に戻った。

そのとき二階の屋根裏部屋からダルタニャンの声が聞こえてきた。
「当座の荷物は全部運んでいくよ」
「ダルタニャン、もう行ってしまうの?」コンスタンスが追いかける。
「ああ、トレヴィル邸が詰所兼住居になるんだ。もう少し整理したら君の部屋も用意するからね」
ダルタニャンは、照れくさそうにコンスタンスの目を見ないで言った。
「でも忘れないで。ここはあなたのうちよ」
「どうして?仕立て屋はジャンが継ぐことになるじゃないか」
「私が生まれて育ったのはこのうちなのよ」
「そうだよ。君の実家だ」
「違うの。ダルタニャン。このうちに戻って来るあなたを、わたしはいつも待っていたの。ここで一緒にした生活がいつも楽しかったの」
「コンスタンス。夢にまで見た銃士隊が復活するんだ。君も喜んでくれよ。生活ならあっちの館でできるじゃないか。使用人も雇えるし、君も楽ができる」
ダルタニャンは大きな荷物を背負って馬に飛び乗ると、コンスタンスの頬にキスをした。
「じゃ、また。コンスタンス」帽子を振って、馬に拍車を入れた。

パリ、マレ地区の瀟洒なルネサンス様式のファサードのある邸宅。
「ラウルの教育のことはご心配なく。いい家庭教師を見つけました」
シュヴルーズ公爵夫人は長椅子に座りながら言った。その額にはやや白くなったが輝きを失わない、プラチナブロンドの巻き毛が垂れていた。
「ご親切は痛み入ります。」アトスは頭を垂れた。
「この家にもちょくちょく来させるといいでしょう。友人の音楽家や数学者や詩人が出入りしていますから、彼らから直接教えを受けられます」
「一流の宮廷人になるためには最高の環境です」
「ところで、我々の次の計画ですが…。」公爵夫人は声をひそめて続けた。
「バスチーユのボーフォール公を脱獄させます。準備はすでに詩人のスカロンが進めています」
「ボーフォール公といえば、アンリ四世の血を引く王族で、マザランに陰謀を企てたがために監獄に入れられたという…」
「そうです。王族を監獄に入れるなど、先のリシュリューならやらなかったこと。不敬なイタリア人ならではの暴挙です。ボーフォール公ならば、我々の首領となり得るお方です。伯爵、是非とも力をお貸しください」
「わかりました。ところで公爵夫人、わたしひとりでお役に立てることができれば光栄なのですが、昔の友人アラミスもパリに呼んだというのは本当ですか」
「ああ、そのことでしたら。あまり良いお返事をもらえていないのですけれど」
「ポルトスやダルタニャンにも声をかけておきましょう。我々四人が揃えば、マザランも好き勝手なことはできますまい」
アトスは帰り仕度をしながら、公爵夫人と目を合わせた。

真夜中の修道院の一室を月の光が照らしだしていた。
灯火の油の一筋の明かりをもとに、デルブレー修道院長は昼間シュヴルーズ公爵夫人から届けられた包みを取り出した。
茶色いビロードの幾重にもくるまれた布を、ひとつずつ丁寧にはがしていくと、中から出てきたのは
一振りの剣であった。剣身は月の光を反射して青白く輝いていた。
修道院長は添えられた手紙を一読すると、ため息をつき、
暖炉の薪の中にくべた。
赤々とした炎につつまれながら、手紙がゆっくりと燃えて灰になっていくのをじっと見つめていた。



第3話 終わり

BACK | NEXT | INDEX
inserted by FC2 system