十年後!

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  第2話 伯爵の秘密  


「お入りなさい」
ダルタニャンは新王宮の枢機卿の執務室におずおずと入っていった。
そこはかつては、恐るべき宰相リシュリューの書斎でもあった部屋である。数々の冷酷な陰謀がこの部屋から生まれ、パリに来たばかりのダルタニャンも巻き込まれていったのだ。
しかしながら、現在では、この部屋の主はリシュリューではなく、ピッシーナ生まれのジュリオ・マッツァリー二、フランス読みでジュール・マザランとなっていた。
ダルタニャンは、正面に座ってペンを走らせているイタリア人をまじまじと見つめた。
リシュリューほど神経質で虚弱な感じはなく、彫りの深い顔立ちはどこか愛嬌があった。
「コンデ大公付き第3連隊長、シャルル・ダルタニャン、ただいまご命令により、フランドルの駐屯地から戻ってまいりました」
「ダルタニャン、君か」
マザランは親しみを込めてダルタニャンと目を合わせた。
「このたび、首都の治安維持と王宮の警備強化のために銃士隊を再編成することにした。
まず、銃士隊長の辞令を受け取ってくれたまえ」
「ありがたくお引き受けいたします」
ダルタニャンは直立不動で答えた。
「隊士たちの選抜は君に任せよう。君には親しい友人がいたと聞く」
「アトス、ポルトス、アラミス。パリの三銃士です」
「家名に傷がつかぬよう、偽名で入隊した貴族の子弟だな。彼らが再び集まり剣をとれば、この内乱のパリに平和が訪れるだろう」
「そのように思います」
「トレヴィル殿の館を詰所として再び使いたまえ。これはその命令書だ。それから」
マザランは紙にペンをとってサインをした。
「仲間を探しに行くのに先立つものが必要だ。これを持っていきなさい」
命令書と一緒に、金貨の入った袋をダルタニャンに渡した。

「猊下!」
ダルタニャンと入れ違いに、傷だらけで逃げ帰ってきたマンシーニが執務室に飛び込んだ。
「今しがた面会されたあの若い貴族は何者ですか。先ほどパリの民衆たちをひとりで蹴散らしました」
「ああ、あの男か。ダルタニャンを銃士隊長に任命した」
マザランは涼しい顔で答えた。途端にマンシーにの顔に狼狽の色が浮かんだ。
「このマンシー二、猊下にフランスまでついて行き忠誠を尽くしたのに、私の働きでは不十分だとおっしゃるのですか」
「違う。マンチーニ」
マザランはニヤリと笑った。
「お前はイタリア人で、私の甥だ。私が近親者ばかり取り立てるのを好ましく思わぬ輩が宮中に大勢いる。銃士隊を再結成し、ダルタニャンと三銃士を表に出せば、彼らの不満はそらされるであろう。私は今までと変わりなくお前を信用してるぞ」
「なるほど、そういうお心づもりですか。さすがマザラン猊下」
マンシー二もにやりと笑った。
「そうだ……このフランスで心から信じられるものは身内だけだ」
マザランはそっとため息をついた。

ダルタニャンは、ボナシュー家の懐かしい屋根裏部屋にいた。
「ええと、どこだっけ」
奥の箪笥から古い胴着やら手袋やらを手当たり次第に取り出した。
「あった。あった!」
ダルタニャンは、手を上着で拭いてから、注意深くその紙包みを開封した。
ポルトスからの手紙だった。
『ダルタニャン、僕はピエールフォンの田舎に引っこみ、公証人未亡人と結婚して毎日よろしくやっているよ。コンスタンスやジャンによろしく。ポルトス改めデュ・バロン』
「よし、ポルトスの居所はわかった。次はアトスだ。」
ダルタニャンが行李の中に頭を突っ込むと、半分破れた長靴を引っ張り出した。長靴を上に下に向きを変えていると中からくちゃくちゃになった紙切れが出てきた。
「こんなところにあった。アトスの手紙だ」
『ブロワにある土地を相続することになった。ワインは旨い。いつか遊びに来てくれ』
「ブロワ、といっても広いな。どこの土地を相続したんだろう。」
アラミスはどうしたんだろう、と再び行李の中を探しながら、ダルタニャンの頭の中にベル・イール島での出来事が走馬灯のようにふとよぎった。
「アラミスは無理でも仕方ないか。まあ、ポルトスとアトスに聞いてみよう」
と、その時、屋根裏の窓からけたたましい物音がして、一羽のニワトリが部屋に入ってきた。
「コケコッコー! コッコ―!」
散らかした部屋の中をバタバタと引っ掻き回しながら暴れている。
「な、何だこのニワトリは!」
ニワトリはダルタニャンは不審な侵入者と思ったらしく、トサカを立てて威嚇しはじめた。
「ま、待ってくれ。僕がこの部屋の主だぞ」
下からジャンが駆け上がってきた。
「パウル君、ダメだよ。ダルタニャンの邪魔しちゃあ」
「パウル君?」
「そうだよ。ニワトリのパウル君だよ。おいらにしか懐かないんだ」
ジャンはニワトリを抱えて言った。
「パウル君はね。占いが得意なんだ。よく当たるんだ」
へへっと得意げにジャンはニワトリを撫でた。

マレ地区にあるルネサンス様式のファサードのある邸宅。
良く刈り込んだ木々が果樹園や中庭の噴水を取り囲んでいた。
「ラ・フェール伯爵と申します。シュヴルーズ公爵夫人にお取次ぎを」
黒いビロードの上着、紫の裏地のベストを着た貴族は、小さな男の子の手をひいていた。
ゆるく波打つ黒い髪は部分的に白いものが幾分混じり、昔鍛えたと思われるその体躯はきびきびとした動きを失っていなかった。

趣味の良い調度品に囲まれたサロンの長椅子の上に公爵夫人は寝そべっていた。
かつてフランス一の美女とうたわれた、その美貌はやや衰えていたが
年を経て重なるますます妖艶になっていた。
「まあ、ようこそパリへ。ラフェール伯爵」
公爵夫人は驚きの声をあげて立ち上がり、伯爵に駆け寄った。
「いいえ、昔はアトスというお名前でしたよね」
伯爵は、いやアトスは礼儀正しく夫人の手に接吻をした。
「お久しぶりです。公爵夫人」
「よくぞ、古い友情を思い出して、私の呼びかけに応じて来てくれました」
「ええ、公爵夫人。実は私がパリに参上したのは、それが理由だけでないのです」
アトスはいずまいを正した。
「私が後見人をしている子供の教育のためにパリにやってきました」
「子供ですって?貴方は確か結婚なさったのですか」
「いいえ。私は結婚することはないと思いますが、さる理由がございまして男の子の後見人をしています」
「不躾で失礼いたしましたわ。確か女嫌いで通っていらっしゃいましたよね」
「友情の方が大切ですから」
アトスは静かに目を伏せた。公爵夫人の頬が嬉しさで赤くなった。
「そう、殿方はいつも友情を大切になさる。わたくしも王妃様と長年の友情を築いて参りました。何よりも王妃様のことを理解しバッキンガム公爵との仲立ちをしたのも私です。だけれども今の王妃様は、あのイタリア人であるマザランのことしか心にないご様子」
公爵夫人は、扇子をもてあそびながら部屋の中を歩きまわった。
「あまつさえ、わたくしや古くから王家にお仕えしている貴族たちのことをお忘れになっていらっしゃる」
「その点にかけましては、私も意見を同じくしております。ラ・フェール伯爵家は、ヴァロアの王様の時代から、フランス王家のために命を賭け忠誠を尽くして参りました。しかし、マザラン枢機卿の時代になってからは、宮廷で幅を利かせているのは新興商人や外国人ばかり。ルイ14 世陛下はまだ幼く、アンヌ王妃様は、温和なご性格からか政治にさほど熱心ではない。全て彼らを操っているのがマザランなのです」
公爵夫人はアトスを見つめた。
「貴方のような立派な武人が、我々の側にいるというのは心強いですわ」
「ところで、実はそのお話は本題ではなく、今日ははばかりながら、お目通し願いたい人間を連れて参りました」
「わたくしに会わせたい方ですって?」
公爵夫人は好奇心で身を乗り出した。
「長いお話になります。よろしいでしょうか。」
アトスは静かに話し始めた。

「昔むかし、と申しましても今からそう遠くない昔のことですが、あるところに、ひとりの高貴な女性がおりました。その名前はマリー・ミション」
「マリー・ミション…!」公爵夫人ははっとした。
「そう、これはマリー・ミションという名前の女性のお話ですが、よろしいでしょうか。王妃様を友人と呼び、宰相リシュリューをも翻弄した、稀代の美女。そのマリー・ミションは、ついにリシュリューに対するとある陰謀が発覚し、ローシュの城に軟禁されることになりました。リシュリューの追手が迫っていることを案じた王妃様は、かねてからの計画通り、衣装係の侍女に変装用の男服を持たせ、彼女の元に届けさせたのです。マリー・ミションはケティという侍女を連れ、嵐の夜に逃避行を開始しました。忘れもしない、新月の夜。空には雷鳴が轟いていました」
「どうして貴方がそんなことを知っているのです?」
「まだ、お話は続きます。公爵夫人。リムーザンのローシュ・ラベイユという小さな村の十字路にあった司教館までお連れすることにしましょう。マリー・ミションは、なんとか、村にたどり着き、一夜の宿を求めるために司教館の扉をノックしました。しかしながら中にいたのは、坊さんではなかったのです。坊さんは村人の急な臨終のミサのために家を空けており、留守を預かったのは一時間前に到着した別の旅人でした」
「その旅人いうのは?」
「わたくしでございます」アトスは一礼した。
「暖炉の薪も切れ、明かりをともす灯油ももう切れそうだった。マリー・ミションは、ほとんど新月の暗闇の中、雷光だけをたよりに先客と出会ったのです」
「覚えています。そしてその先客の殿方が誰かということも、口には出さぬけれどわかっていたのです」
「私も、マリー・ミションの正体が、どのような貴婦人かということも、彼女が帽子を脱いだとたんにわかりました」
「続きをお話しします。私は急ぎの要件があり、まだ夜も明けぬうちから司教館を出ました。ちょうど一年後、別の要件でその村を通った時、坊さんに挨拶をしに司教館に立ち寄ったのです。そうしたら中ではちょっとした騒動が起こっていました。10月11日という紙切れと金貨の袋と共に、生後3か月の男の子の赤ん坊が、金の揺り籠に入れて届けられていたのです。そこでその貴族は、つまり私はその赤ん坊を引き取ることにしました」
「マリー・ミションは、追放から戻った時、自分の手で育てたくなりその司教館を訪れました。そのお坊さんのお話によれば、さる立派な殿方が将来を保証するからと言って連れて帰ったという…。で、その子は今どうしているのです?」
「そこにいます」
公爵夫人は飛び上がった。
「何ですって!何ですって!すぐに会いたいわ」
「ラウルといいます。いずれはブラジュロンヌの領地を継がせるつもりです」
アトスは扉から手招きすると、金髪の利発そうな男の子があらわれた。
「まあ、あなたがラウル。何てかわいらしいんでしょう」
公爵夫人はラウルを抱きしめて額にキスをした。
「お母様にそっくりですよ」
アトスは柔和な微笑を浮かべながら言った。
ラウルはこの母親のように自分を抱きしめる女性が何者か当惑していた。
「伯爵様。公爵夫人とおっしゃいましたが、この方は王妃様ではございませんか?」
「いいえ。でもあなたを何よりも大切に思うひとりの女であることに変わりはありませんわ」
公爵夫人はアトスの代わりに答えた。

「猊下、つれて参りました」
マンシーニは、ひとりの男の腕をつかんで、枢機卿の執務室に入った。
男は眼帯をつけ、身につけた衣服は上質ながらもくたびれていた。かつての隼眼の伯爵ロシュフォールその人であった。
「バスチーユの居心地はどうかい。ロシュフォール伯爵」
「この私を牢屋にぶちこんでおいて何を言う。このイタ公! リシュリュー閣下への恩義を忘れたのか」
「残念ながら、世の中は権力を握ったものが正義なのだよ」
マザランは笑いながら言った。
「ところで貴公に尋ねたいことがある。話の内容によっては赦免状を出してもよい」
マザランの目が抜け目なく光った。
「パリの三銃士をご存知か」
「ああ、あのにっくき奴らのことか」
「今どこにいる」
「そんなこと俺が知るか!」
「その三銃士とダルタニャンと対等にわたりあったという女がいたが、あれはお前たちの仲間だったのか」
「ミレディーのことか。あれはリシュリュー閣下に雇われていただけだ。動物を操り人心をたぶらかす恐ろしい女だった」
「処刑されたと聞くが」
「いいや、鉄仮面と組んでベルイール島に立てこもり、島もろとも爆破されて死んだ。お前がフランスに来る前の話だ」
「要塞工事や海戦を女ひとりが指揮できたものとは思えないが」
「それは、鉄仮面のしわざだ」
「正体を知っているのか」
「いいや。仮面は海から見つかったが、死体はまだ誰も見ていない」
「相当な剣の使い手ではなかったか」
「ああ、背丈はぬきんでて高く怪力で武術に通じた男だった。しかし奴の素顔も目的も誰にもわからぬ。全ては闇に葬られたはずだ。しかし、こんなことを聞いて何になるというのだ?」
「ありがとう。ロシュフォール伯爵。それではまた君の部屋に戻ってよい」
「騙したな。出してくれるんじゃなかったのか!」
マンシー二は再びロシュフォール伯爵の腕をとり連行した。階段の踊り場で、一瞬のすきを見たロシュフォールはマンシー二に体当たりをくらわした。よろめいたすきに、ロシュフォールは逃げ出した。

階段からまさに降りたところで、ロシュフォールはダルタニャンはばったり顔を合わせた。
「お前はロシュフォールじゃないか!」
「お前はダルタニャンじゃないか!」
「おーい、ダルタニャン。その男は囚人だ。捕まえてくれ!」
階段の上からマンシーニが叫ぶ。
ダルタニャンは腰の剣を抜いた。
「ようし。逃がさないぞ。ロシュフォール。僕が相手だ」
ロシュフォールも先ほどマンシーニから奪い取った剣を構えた。
「ダルタニャンか。相変わらずだな」
ダルタニャンとロシュフォールの剣の火花が散った。
しばらくの丁々発止の後、ダルタニャンの一撃がロシュフォールの剣の鞘をはらった。
剣はその手から転げ落ちた。
すかさず、マンシーニが囚人の手をつかんだ。
「さあ、もうこれで観念しろ。バスチーユに戻るぞ」
ロシュフォール伯爵はがっくりと肩をたれた。

ボナシューの家の屋根裏でダルタニャンは意気揚々と荷造りをしていた。
扉からジャンが覗き込んだ。
「ダルタニャン、これからどこか旅行なんだい?」
「ピカルディーに行ってくる。ポルトスに会いに行くんだ」
ジャンはわざとらしく咳払いして、口をはさんだ。
「コンスタンスとは話をしたの?」
「話って何を?」
「いや、将来の計画とか、どこに住むかとか…」
「ああ、そのこと?銃士隊が無事に動けるようになってから考えるよ。だって今はやることが多すぎてトレヴィル殿の館に寝泊まりするしかないんだ。悪いがジャン。またしばらくこの家を空けるよ」
荷造りを終えたダルタニャンは階段を軽い足取りで降りて行った。
「ダルタニャンの鈍感。あんな仕事人間、婚約者に見放されても、おいらは知らないよ」
ジャンは若い銃士隊長の後ろ姿を見送りながらつぶやいた。


第2話 終わり


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