十年後! 

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  第1話 パリからの使者  


荒涼たるフランドルの大平原は、はるか地平線のかなたで高い空とつながり、視界をさえぎるものは何もない。緑の残る丘陵地に点々と連なる幕営、その合間に炊飯の煙がたちのぼる。
ここ、クールトレの地は前線だというのに、戦いの緊迫もうすれ、日常ののどけさに満ちていた。

「おーい、喧嘩だ、喧嘩だぞ!」
天幕のすきまから、兵士たちが駆け寄っていく。
「やっちまえ、ピエール!」
「負けるな、アンドレ!」
物見遊山の兵士たちが円になって取り囲み、その中央に少年が二人取っ組みあっていた。
「牛だよ牛!」
「違うよ、鮫だ!」
「なんだとー!」
まさに、力のぶつかりあいと、野次馬の騒擾が頂点に達した瞬間、力強い声が上から聞こえた。
「君たち何やってるんだ!」
ピエールとアンドレと呼ばれた少年2人は、しゅんとうなだれてお互いから離れた。
「ダルタニャン隊長!」
野次馬たちも一斉に静まり、道をあけた。

兵士たちをかきわけて、ひとりの青年がつかつかと前に進み出た。
浅黒く日に焼けた精悍な面つき、栗色の髪とちょっと上を向いた鼻、いたずらっぽそうな青い目は活気のある光を放っている。
青年が十年前とちょっと違ったことといえば、戦地で鍛えられたがっしりとした体躯と、あごに少々の無精ひげを蓄えていたことと、わずかながらも甘くて苦い人生経験を積み上げた、厚みのある額だった。

「君たち、何で喧嘩をしているんだね?」
隊長は少年たちに歩みよった。
「だって、ピエールが……」
「牛と鮫、どっちが大きいか言い争ってたんです」
ダルタニャンは、ふうとため息をついたのち高らかに言い放った。
「象だ!!」
「へっ?」
「象だよ。世界一大きい動物は。君たち見たことがあるかい?」
ピエールとアンドレは顔を見合わせた。
「象はこーんなに大きい。僕は国王陛下に象をもらったんだ。君たちにもいつか見せてあげよう。だから喧嘩はやめるんだ。戦いの前に体力を無駄に使うんじゃないぞ」
ダルタニャン隊長は二人の少年の肩に手を置いた。

「オーギュスト爺さん、戦局はどうだい?」
ダルタニャンは物見やぐらの上にのぼっていった。その上では老人が望遠鏡を覗いている。
「何とも。敵陣に異常なし。ここ3か月戦局は動かん」
「もう講和条約が結ばれていてもいいころだ。あーあ、ビールも飲み飽きたよ」
ダルタニャンはぐったりと腰をおろした。
「パリに戻りたいなあ」
「隊長はパリのご出身で?」
「ああ。パリにはコンスタンスが待っているんだ」
「婚約者ですかい。そいつは不憫でなあ。」
「そして、パリには三銃士がいた。」
ダルタニャンは言葉を続けた。
「でも、今はみんないない。銃士隊もなくなってしまった。」
「若いころっていうのはいいもんですなあ。隊長」
「今でも若いさ」

そのとき、見張りの老人は望遠鏡を逆方向に向けた。
「おや、使者が来ましたぞ」
望遠鏡を渡されたダルタニャンがすかさず覗き込むと、宮廷風のお仕着せをきた従者が、幕営地に近づいてくるのが見えた。
従者のマントには、見覚えのある金糸の縫い取りがあり、その模様は誇り高きフランス王家の紋章フルール・ド・リ。
「パリからだ!」ダルタニャンは梯子を駆け下りた。

「フランドル方面コンデ大公付き第三連隊、連隊長シャルル・ダルタニャン殿にマゼラン宰相からの親書をお持ちしました。」使者はうやうやしく手紙を広げた。
「このたび、ダルタニャン殿を国王ルイ十四世陛下付き銃士隊長に任命す。ただちにパリに帰られたし」
「なんだって!」ダルタニャンは目をぱちくりしながら任命書をもぎとった。
「これでパリに戻れる!」
ダルタニャンは天幕に駆け込むと、自分の荷物を手当たり次第にまとめ始めた。
「みんな後を頼んだぞ!」
呆気にとられた使者を残して、ダルタニャンはロシナンテ2号に飛び乗ると、ギャロップで駆け出した。
「ひゃっほーい!パリに戻るぞ!コンスタンス、コンスタンス―!」

ひなげし、あねもね、ライラック、よく手入れされた花壇を、南風が吹きぬける。
ブロワにあるこじんまりとした領主の居城の庭には、花が咲き乱れていた。
「伯爵様。これからどこに行くのですか?」
「これからパリに行くんだ。ラウル。さあ。ブロワととも今しばらくのお別れだ」
ひとりの貴族が、小さな男の子の手をひき、城門にとめた馬車に乗り込む。
「パリというのは、どんなところですか?」
くるくるとした薄いブロンドの髪の毛の子供を膝の上に載せると、伯爵は御者に合図をした。
「大きなまちだよ。そこで君は騎士になるための教育を受ける」
伯爵のふと目が遠くなった。
「私も若いころそこで宮廷の銃士とした過ごした。高官たちの陰謀、剣の小競り合い。貴婦人たちの舞踏会。華やかだけれど、危険も誘惑もある世界だ。そこで、仲間たちと友情を誓い、陛下のために働いたのだ。」
「僕も立派な騎士になります。伯爵様」
馬車は軽やかな音をたてて走り出した。

パリ。その中心に鎮座するルーブル宮殿。
この時代に拡張された水辺のギャラリーは、セーヌ川の右岸に面しながら、チュイルリー宮へとつながっている。
アンヌ王妃、いや、今やルイ十四世の摂政となった太后は、眼下のセーヌの川の流れを眺めていた。そのの美貌は年月を経てもまずます輝き、ある種の威厳を保っていた。それは、王室に男児をもうけたという自信と、リシュリューという天敵がいなくなった安堵から来るものであった。
ふと、こっそりと扉が開き、緋色の服を着た男が入っていた。
「ああ、あなたですか。マザラン」
「太后殿下にはご機嫌うるわしゅう」
「先ほど国王陛下はお休みになられました」
マザランは本題を切り出すのを待ち構えていた。
「ついに高等法院が反旗を翻しました」
アンヌはしばらくの沈黙の後に口を開いた。
「古くからの貴族に加えて彼らもですか。ルイ13世陛下の時代にはこんなことにはならなかったのに」
「民衆たちは道にバリケードをつくり、マザランを倒せと叫んでいます。」マザランは続けた。
「わかっています。私が標的だということを。彼らはイタリア人である私に従うのが嫌なのです」
「でも、貴方がいなければ、陛下とリシュリューの死後、どうやってここまでやって来れたのか。ルイはまだ幼い。わたくしもスペインからフランスに来てもう十数年、心はすっかりフランス人のつもりでしたのに。どうして彼らは我々をよそ者扱いするのでしょう」
「わたくしとて同じです。このマザラン、祖国を捨てフランスに帰化し、我が身をこの王国の繁栄に捧げる覚悟でおります。しかしながらリシュリュー猊下が始めた戦争は、フランスの威信にかけても続けなくてはなりません。戦争には予算が必要なのです」
「我々は、陛下は安全なのでしょうか」
「その点はご心配なく。前線からいくつかの軍隊を呼び戻しました。あと、宮中警護とパリの治安維持のために、トレヴィル殿解任後、解散していた銃士隊を再結成します」
「まあ、どなたが指揮にあたりますの?」
「ダルタニャン。今ごろフランドルの前線から早馬で駆けてくることでしょう!」
「ダルタニャンですって!」
アンヌの声が思わず高くなった。
「思い出しますわ。私の危機を救ってくれたあの日のことを。あの方には友人がいました」
「アトス、ポルトス、アラミス」マザランが続ける。
「かつて名を馳せた三銃士です。彼らも呼び戻したら、きっと叛徒どもを蹴散らしこの都に平和をもたらしてくれるでしょう」
マザランは太后の顔を見つめた。

オスマン男爵のパリ大改造の前のパリ市街は、小道が迷路のように走り路地は暗く、家はまるで住み主が手当たり次第階層を積み上げたような無秩序な外観を成していた。
セーヌ川左岸、下町といえるほどの場所ではないが、16世紀以後に開けた目抜き通りに近い、野石積みの民家に仕立て屋のボナシューの工房はあった。
「それではジャン、おつとめに行ってくるわ。お父さんをよろしくね」
既に髪を結う年頃になったコンスタンスは扉口の前で振り返った。
「気を付けてね。広場にはバリケードが張られたらしいよ。コンスタンス」若い青年が奥から答えた。
コンスタンスが家から出ていった後、入れ違いに、赤い制服を着た兵士が数名工房にどやどやと入ってきた。
「マザラン枢機卿付き護衛隊長のマンシー二だ。パリ中の民家から武器を摘発している」
イタリア語訛りの抜けない男がジャンの前に立ちはだかった。
「家の中に火薬や銃器がないか見せてもらおう」
「何言ってるんだ。ここは仕立て屋だよ」
「騒ぐな小僧。これはマザラン猊下の命令なのだ。」
「子供扱いしないでくれよ。おいらはもう一人前の職人だよ」ジャンはむくれた。
マンシーニとその部下たちは、工房のすみずみまで調べ始めた。
「問題ありません」
「よし。次の家だ」マンシーニとその部下は振り返りもせずに出て行った。
「こういうときダルタニャンさんがいてくれたらね」
工房の奥から仕事の手を止めたコレットが出てきた。
「ダルタニャン。もう半年も便りをよこさないじゃないか。生きてるんだか死んでるんだかもわからないよ」
ジャンは小石を蹴飛ばしながら、通りを行くマンシーニの後ろ姿を眺めていた。

そのとき、マンシーニに勢い余ってぶつかってきた騎馬の男が目に飛び込んだ。
男は、尻もちをついたマンシーニに、帽子をとって詫びると通りを一目散に駆けて来る。
見慣れた羽根つき帽子。見慣れた軍馬。男はボナシュー工房の前で手綱を引いた。
「やあ、ジャン。久しぶりだなあ」
「ダルタニャン、ダルタニャンじゃないか!!」ジャンは目を開いた。
「大きくなったなあ」ダルタニャンは、すっかり自分と同じくらいの背の高さになった青年を抱擁した。
「何で便りをくれないんだよ。てっきり死んでしまったかもしれないと思ったじゃないか」
「ああ、別に何も変わったことは起こらなかったから」
ダルタニャンはポケットから親書を取り出した。
「それよりも、これを見てくれよ。銃士隊長の辞令だ」
嬉しそうなダルタニャンとは裏腹に、ジャンの顔が少し曇った。
「ダルタニャンは、いっつも自分の出世のことしか頭にないんだ」
「久しぶりに会ったのにどうしたんだ。ジャン」
「ダルタニャンは所詮貴族だ。おいらたちとは違うのさ」
「喜んでくれよ。これからルーブル宮殿に行ってくる。じゃ、また」
ダルタニャンは馬に拍車を入れた。
「コンスタンスもさっきそっちに行ったよ」
その背中をジャンの声が追いかけた。

コンスタンスがドーフィーヌ通りに近づくと、民衆があちこちから
椅子や樽や木切れを持ち寄り、道の両側にバリケードを築いていた。
「聞いたか?高等法院でブルッセルとブランメニルの弁論を!」
「マザランへの挑戦状だ」
民衆たちは口々に叫びながら、手に手に金槌や鋸やほうきを持ち集まりつつあった。
コンスタンスが、路地から駆けてくる民衆の動きに翻弄されながら、
後ろから追いついてくる緋色の制服の一隊を見つけた。マザランの側近のマンシーニであった。
「王妃様付きの女官のコンスタンス殿ではないか。マドモワゼル。女のひとり歩きは危険だ。一緒に来なさい」
マンシーニの護衛隊はコンスタンスを囲むように、ルーブル宮殿に向かって進もうとした。
そのとき、人々の群れが一行を遮った。
「マザランの護衛隊だ」
「マザランの犬!」
緋色の制服に向かって人々はばらばらと投石器で石を投げ始めた。
「マザランをやっつけろ! イタリア人はフランスから出ていけー!」
「マザランを倒せ!」
いつのまには、マンシー二の一隊とコンスタンスはパリの群衆に取り囲まれていた。

ダルタニャンは愛馬のロシナンテ2号に拍車を入れながら、前方のドーフィーヌ広場で騒ぎが起こっているのを見つけた。そして、緋色の枢機卿付の兵士たちに警護されている女が誰だかすぐにわかった。
「コンスタンス!」
群衆の頭を馬でひらりと飛び越え、コンスタンスの前に着地した。
「やめるんだ。君たち。このダルタニャンが相手だ」
ダルタニャンは剣をとり前に進み出る。
「ダルタニャンだって…。」
パリの民衆の中に動揺が走った。
ダルタニャンはすかさず短銃を空に向けて発砲した。
民衆が耳を塞いだそのすきに、コンスタンスを馬の背に乗せて走り出した。
置いてきぼりにされた護衛隊士たちは唖然としてその姿を見送った。

ダルタニャンは、サン・タントワーヌ通りまで来ると、バリケードの角で馬をとめた。
「ダルタニャン!ダルタニャンなのね!」コンスタンスはダルタニャンの肩に抱きついた。
「長い間待たせてごめんよ。コンスタンス」
そうだ、と思い出したばかりに、ダルタニャンはポケットをまさぐった。
「銃士隊長の辞令をもらったんだ。もう、これでパリにいられる。君の傍にずっといられるよ」
ダルタニャンは、コンスタンスの目を見ながら言った。
「だから、僕たち、結婚しないか…」
最後まで言い切らないうちに、背後のバリケードが爆発した。
木片や砂ぼこりを思い切り浴びた二人はむせた。
「何でパリにこんなに火薬があるんだ!?まるで戦場じゃないか」

ダルタニャンはコンスタンスを馬の背に乗せながらルーブル宮殿に駆けていった。
どうして自分が呼び戻されたか、事態を把握していくにつれ、わかったような気がしたのだ。


第1話 終わり


fig.
17世紀拡張中のルーブル宮殿
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:LouvreL13.jpg

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