メッセージ

さて、大変大変長らく放置しました。 一年半放置したサイトでも、アクセスしてくださってありがとう。そして期待を裏切り続けてごめんなさい。 平成の終わりに思うところがありまして、戻って来ました。
思えばアニメ三銃士放映時は、昭和の終わりと正に平成の幕開けだったわけですね。あれから30年。何が変わったのでしょうか。 (大上段からですけど)

その話の前に、大河ドラマを振り返りたいと思います。
昨年の大河ドラマ、おんな城主直虎はあらゆる意味で惜しいドラマでした。特に12〜33話は秀逸でした。ダル物第三部がもし脚色されるなら三谷幸喜より森下女史で見てみたい、と思いました。ダル物の中でもっとも繊細で情感に満ちた30年後の人間交差、悲劇に向かうラウルとアトス親子、あれこれ小賢しく裏切るアラミス枢機卿、身を亡ぼすフーケなどを、情け容赦もなく神経を削りとるようなディテールで見せてくれるでしょう。
しかしながら34話以降に色々と疑問が残るところもありまして。1つは、直虎と4人の男との関係という概念に縛られ過ぎて、主人公の一貫性と個々の人間との気持ちの交流が非現実的なものになってしまったこと。主人公が人として最も執着したのが直親で、一緒に暮らしたのが龍雲丸だったのに、何故か視聴者に主人公の伴侶としてインパクトを与えまくったのが、対立するフリをしていた小野政次だったという(笑)…。森下女史の人間関係観にはいまいちついていけず、おそらくダル物第三部が森下脚本で脚色されたら、ダルタニャンはコンスタンスを忘れてオリキャラと結婚してしまうんだろうなと思われました。
2つ目は女性の生き方というテーマの描写です。尼であり禅僧である直虎は、男でもなく女でもないジェンダーを超越した人間といううってつけのカテゴリーにいるのにもかかわらず、家を潰した逃避と、龍雲丸の誘いに乗ってあっさり還俗してしまいます。直政登場までの間は、もういっそ直虎じゃなくて架空の人物の流浪冒険譚でいいんじゃないかと思いました。思えば30年前のN○Kの方が進歩的だったなあと。あろうことか、フランスの国民的小説の色男の代名詞を性別逆転したあげく、物語内では恋愛を封印、戦仲間とはブロマンス関係のまま各方面を欺きまくり己のミッションに忠実に遂行させた末に、修道院入りラストまで構想していたわけですからね。結局、平成という時代は何だったのでしょうか。女性作家が手掛けると等身大の弱さに正直になってしまうからでしょうか。戦国と言う時代には女性でも家を背負って死んでいたのですが、安易な方に逃避させ続けないでほしかったなーともやっとしました。
今年の大河ドラマ、西郷どんは、大河ドラマのセルフパロディみたいなもので、林真理子原作にぎらぎらしていたバブル時代の残滓を感じました。
昭和も遠くなって平成も終わりに近づき、貧富の差や政治の不安定さや、ある意味再び困難な時代の入り口を通っている緊迫感はありますよね。



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2018年12月30日

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photo by flickr nedoja mladojenovic

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