COLUMN2

BACK | NEXT | HOME

  検証―マザラン宰相はヘタリア人なのか―  


リシュリューの後継者となったフランスの宰相、そしてカトリックの枢機卿でもあり、イタリア中部の小貴族の生まれでありながら、フランスの政治の中枢に上りつめ、三十年戦争の終結とパリの内乱状態の難局を舵取りしたイタリア人、ジュール・マザラン。

デュマの「二十年後」では、あれほどの小物扱いされ、「ピッシーナの大泥棒」などとさんざんな言われようをされた彼ですが、では、本当に彼は「ヘタレ」なのでしょうか。以下それを検証したみたいと思います。

さて、まずデュマ自身はマザランを嫌いなのか、一体どう思っているのかというと、
ダルタニャン物語第二部のマザランの描写、
「ガスコン人とイタリア人は似ている」 第3巻 p.30
この一言につきると思います。

原作のダルタニャン同様、抜け目なく、二枚舌で、情にほだされやすく、女に弱い(笑)、そしていくらか単細胞で直情的。
そして両者は、どちらも下層貴族の生まれで、自分の運と才覚次第で出世の階段を昇ろうと野心を燃やしています。
さらに、そこに、私なりの見解を付け加えてみますと、
ガスコン人から勇猛果敢さを引いたのがイタリア人
イタリア人から芸術家気質を引いたのがガスコン人
なのかもしれません。
「二十年後」において、ダルタニャンの上司でありながら、理解者でもなく、敵役でもない、あの不思議な立ち回りは、つまるところ、主人公と一種の同類嫌悪みたいなものを催したからではないでしょうか。

さて、ジュール・マザラン、イタリア名でジューリオ・マッツァリー二は、ローマでベンティボーリオ司教の片腕としてめきめきと頭角をあらわします。1634年教皇特使としてパリに派遣されたときに、リシュリューに謁見しその知己を得ます。そしてリシュリューに手腕を認められ、ヘッドハントされてフランスに帰化し、リシュリューの死後、彼によってその後継者に指名されます。

ところで、デュマの三銃士では悪役として描かれた、リシュリュー枢機卿ですが、歴史上では「近代国家成立の父」と呼ばれています。では、彼のやったことが、どういう意味で「近代的」であったのでしょうか。

17世紀初頭、まだフランスは国家といえるほどのまとまりはなく、ルイ13世もブルボン朝創始者のアンリ4世から王位を継いだものの、コンデ公の反乱や新教徒たちの反乱など、領内に不安定要素を抱えていました。また、北ではハプスブルグ領ネーデルランドが、南にはパプスブルグ家が統治するスペインがあり、さらに東には当時宗教戦争でカオス状態になった神聖ローマ帝国に接していました。リシュリューの信念でもあるフランス王国の強大化を目ざすのなら、それは隣のハプスブルグ家への対抗、そして領内の封建諸侯の抑え込みが必要だったわけです。

ハプスブルグ家への対抗については、三銃士でおなじみ、スペイン出身のアンヌ王妃を目の敵にしていたエピソードを思い起こさせます。そして、さらにイタリアのマントヴァ公国の継承問題にも、ハプスブルグ家を牽制するために首を突っ込み、自ら軍を率いてイタリアに出兵します。さらに、スペイン領ロンバルディアとフランスの間にはさまれた、北イタリアのジェノヴァ共和国とサヴォイア公国の戦争にも介入します。三十年戦争では、対ハプスブルク政策のために新教国側につき、一時期ローマ教皇と不仲になったりもしています。国内政策としては、封建地方貴族の力を押さえ、王が直接的に統治する、今でいう中央集権の仕組みを作ります。例えば、地方に国防目的以外の城塞や砦を築くことを禁じ、王が直接徴税するための地方監察官を置き、三部会をとりやめ、また貴族(封建騎士)たちの慣習となっていた決闘を禁止します。フロンドの乱で対立する有力貴族というのは、いわば、この頃から不満を抱えていたわけです。

思うに、リシュリューがマザランを後継者に指名した背景には、フランス王国内での彼の基盤のなさが、逆に権力を継ぐ者として都合が良かったからではないか、と推測することもできます。
さて、マザランは、こうしてリシュリューの政策を引き継ぎますが、ところが、彼自身の人間性というのは、もうちょっと「前近代」のところにあったのではないかと思われます。

そのひとつとして、未亡人となったアンヌ王妃との関係、そして、3人の甥と7人の姪をローマから呼び寄せ、「マザリネット」といわれる近親者の一派を作ったこと。これによって、彼はフランス人の反感を買う原因にもなりました。
こうした彼の行動は、イタリア人の典型ともいえる二つの気質で説明がつきます。
NIPOTISMO(ニポティズモ):歴代のローマ教皇は、絶えず自分の親族や息のかかった者を側近にとりたてました。この伝統は、現在のイタリアの近親者取り立てのコネ社会にも流れています。
CAMPANISMO(カンパ二ズモ):一言で言うと、おらが村至上愛です。長い間都市国家に分かれていたなごりで、現在でもイタリア人は自分の生まれた町に帰属意識があり、国家にはありません。そして、半径30km以内のことには人間関係で処理できるのですが、それ以上のこととなると……国レベルで鉄道の遅れや郵便システムが機能しないことにもあらわれています。

リシュリューほどの強靭な理性はおそらくなく(笑)、もう少し狭い世界の幸福を追求したマザランは、前時代的なヒューマンスケールの中に生きていたといえるかもしれません
仕事で接する美しい未亡人に心トキメクかもしれないし、自分の身内がそばにいてくれたら安心だ、そういう彼を傍若無人だということもできるかもしれないし、人間臭いということもできるでしょう。

そして、21世紀でも。イタリア男のカリカチュアとして語り草になる首相がひとり。シルヴィオ・ベルルスコーニ(元首相)珍言集です。
2007年「もし結婚していなかったら、カルファーニャとすぐに結婚したかった」
首相との不倫関係が噂されている、元ヌードモデルのマーラ・カルファーニャ機会均等相(33)に対しての発言。これで首相夫人は怒り狂い、ベルルスコーニ首相は即全国紙で謝罪しました。
元ヌードモデルの大臣…。ベルルスコー二の趣味丸出し閣僚人事で、これまた美人すぎる観光相にミケーラ・ブランビラ。ひとこと、「これで政治ができるの?」と言いたいところですが、それでも動いている不思議な国。
2009年「あなたの妻は私があげた」
フランスのサルコジ大統領夫人のカーラ・ブルーニが、イタリア系出身である事を知り、サルコジに対し発言。
2009年「あなたからの蘇生処置は大歓迎(ハート)」
イタリア中部マグニチュード6.3の地震発生の際、被災者キャンプで医療活動に従事していた女性医師に対し発言。また、家を失った人々の被災者キャンプを見て、「毎日キャンプで暮らせるから、楽しいんじゃないかな」と発言し、被災者の怒りも買ったらしい。
その他、未成年買春疑惑まであり、それが問題になると、成人の法的年令を引き下げようとする法律を議会で通そうとしたとか……。そんな彼も、ユーロ経済危機で退陣、街頭インタビューでは「もう少し真面目な人が首相になってもらいたいわ」と言われてました。

「イケメン修道士コンテスト」が公然と行われ、宗教と快楽追求が同居する不思議民族。ルーブル美術館に行ったイタリア人観光客は「すごい!良くオーガナイズされたシステムだ」と感嘆する(そこかいっ!)近代化の遅れた国。戦争はルネサンス時代から傭兵任せだったため、今世紀においては世界最弱の「ヘタリア」というありがたくない名称までつけられました。でも、名誉のために言うならば、一匹狼と芸術家はとてつもなく大きなことをやらかすし、頑固職人と主婦は真面目で地道。(もちろん人にもよりますが)フランス人よりも保守的で家庭的。
ベルルスコーニと比較すれば、マザランは純情で可愛いもんじゃないでしょうか。

三銃士第二部の面白さというのは、中世の騎士道をひきずる血気盛んな元銃士たちが自らの信条をかけて、政治に対して立ち向かうことにあるのですが、皮肉なことに、リシュリュー亡き後の肝心の為政者自身も「前近代的な」モラルと人情の間で揺れているのです。
そして、第三部では、こういった武人たちが華やかな王朝絵巻を繰り広げる宮廷人に姿を変えてしまいます。

それほど名門の生まれでもないジューリオ・マッツアリー二は、あのままイタリア半島にいても、ローマ教皇の下の高官どまりでおわっていたかもしれません。そう考えると、彼が、廃墟の草むらと化したローマを脱出し、人口増加で建設の槌音響くパリの土を踏んだ時、この国に自身を賭けてみよう、と思った気持ちがわからないわけでもないかもしれません。

BACK | NEXT | HOME
Copyright (c) 2011 Kyoko ASHITA All rights reserved.
  inserted by FC2 system